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掌編 物理的手段

 計画停電の夜だった。私は真っ暗な寝室でスマートフォンの画面を光らせていた。メッセージアプリの右上で、電源マークが21、19とカウントダウンを始める。

「電源そろそろやばいんじゃない?」おろおろするクマのぬいぐるみのスタンプとともにあなたからメッセージが届く。

うん いま18 だよ

 私はうさぎが斜めにぶっ倒れているスタンプを押下する。

 私は小さい頃から、冷蔵庫の稼働音が嫌いだった。あの常に響く低いモーター音を聞いていると、人間は電気がないと生きていけなくなっているのだと思い、子供心にそれがひどく恐ろしく感じた。冷蔵庫が出し抜けにビイィンと激しく鳴るのは更に怖かった。しかし現代で、その日飲む分だけの牛乳やその日の夜に食べる肉を調理の直前に買う生活に、自分だけ後戻りすることはとても難しいことだ、というところでいつも思考は止まる。今日はその音はしないので静かな夜だった。
 ところでこんなに計画停電があって、冷蔵庫の食材は大丈夫なんだろうか。政府は数時間なら大丈夫だとか、停電になる前に庫内に氷を沢山作っておけとか言っているが。

「停電のときは、街灯とか信号はどうなってるの?」相手のところでは計画停電は行われていない。

 外に 出ない からわからない 信号だけは 動いてる かも

「信号のだけでもかなりの電力なんだろうね」

 あなたとも 電気がなければ 関わりあえないね

 そんな風に我々を支配する電気が憎かった。しかしこの恋人とは、電気がなければ知り合うこともできなかったのだった。私たちの恋はインターネットで花開いた。

 別の日、私たちはなるべく電力に頼らない方法で交流ができないか考えてみた。まず第一に手紙。しかし私は何にでも首を突っ込んでくる親と同居していて、見慣れない名前と住所を記した封筒が頻繁に届けば、見咎められる可能性が高かった。
 矢文はどうかと恋人は言った。四百キロ飛べる矢文があればいいけどね。
 のろしは? うちで焚いたのろしが、あなたのところまで見えるかしら。それにどうやって解読するの。
 色々考えたけれど、現代において電気なしに遠方の人と交流するのはかなり難しいのが現実だった。電気以外の通信手段の多くは貧弱化、もしくは失われていた。ロストテクノロジー。たぶん、江戸や鎌倉の昔から、遠くへ何かを送ることはとても大変なことだったのだ。いっそドローン? でも長距離飛べるドローンはまだなかったし、ドローンは使用にあたっての法律遵守がやっかいだった。
 現代の子らしくメッセージアプリやメールでいいじゃないか、たまに偽名で手紙を書いて、と諦めかけたころ、公園の脇をぶらぶら歩いていた鳩と目が合った。

 私たちはほどなくして、伝書鳩大会のチャンピオンになった。私たちの鳩が他の鳩に負ける訳がないのだった。なにしろ常に真剣勝負の伝書をしているのだからね。



 《たべさんのHeart to heartに触発されて書きました。勝手に引用しましたが、不快だったら言ってくださいね》

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