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いつも泣いているあの子は

4歳児がギリギリ一人で開けれられるくらい重たい外ドアを開け、幼稚園の着替えロッカーの所へいく。

オッツ君(仮名)がいる。

また泣いている。

あの小さな子ども特有の変にリズミカルなスタッカートの雑じった泣きながらの途切れ途切れトークを切々とお父さんにしている。

親でないと解らないくらい言葉はぐちゃぐちゃなので、

もはや何を言っているかはわからない。

ただ、なにを言わんとしているかはエストニア語を全く聞いたことない人間にもわかる。


幼稚園に行きたくないのだ。猛烈に。


毎日ではないにしろほぼ毎週どこかのタイミングで同じような状況に遭遇する。

その度にオッツ君に対してもお父さんに対しても同情というか共感というかなんか漢字2字には収まらない感情が生まれる。でもボクにはどうすることもできない。

エストニアを含む北欧諸国の人たちは人づきあいがサバサバしているというイメージが強いかと思うが、大体は当たっている。

子ども同士が仲良くなかったり、親同士が知り合いでなければ「おはようございます」の挨拶を言ってあとは会話をしないのが普通。

あまり関係の深くない自分のような人間がどうこういうことでもないし、お節介なことをいう権利もないから、自分の娘が着替えて準備できた時に、「オッツ君も一緒にいこっか?」と、一言オッツ君に話しかけてみるのが精一杯。「ビヤダ」という返事が返ってきたら、「じゃぁ娘は先にいって待ってるね」と付け加えてその場を後にする。


娘の組に娘を届けた後、帰りしなにロッカーの所を通り過ぎる時も状況は変わってない。


いや、若干お父さんが諭しモードからイライラモードになっている。

公の場で子どもが駄々をこねたり、泣き叫んだりするのは親にとってなかなかメンタルをすり削られることだと思う。親だって人間だ。諭しモードとイライラモードをいったり来たりするのは当然だし。仕事にもいかなければいけないだろうし、周りからの視線が気になるのだってごく自然なコトだと思う。

オッツ君が家でお父さん・お母さんとどういう関係でどういった生活をしているかを全く知らないボクにはなぜオッツ君がこうまでも幼稚園に行きたくないのかはわからない。

「友達がいなくて楽しくない」
「先生が嫌い」
「嫌いな友達がいる」
「親ともっと一緒にいたい」

理由はこのリストに入ってないかもしれないし、このリスト全部かもしれない。

次女も同じように「ようちえんいきたくない」と言ってしぶる時期があった。

ただ、次女の場合は家を出るまでが一番大変で、一度家を出発すれば幼稚園についてからはスムーズだった。そしてぐちゃ泣きをすることもなかった。この辺も性格の違いなんだろうと思う。

次女はもしかすると「周囲」への意識が強めで、公の場では大げさな駄々はコネないだけかもしれない。そしてオッツ君は「周囲」なんてどうでもよくて自分の今感じている感情をストレートに伝えているだけなのかもしれない。

「幼稚園いやだ。親と一緒にいたい。」

というのはむしろ誉め言葉なんだと思う。

それだけ親のことを愛しているんだ。

一時だって離れたくない。

まさに、遠距離恋愛中のカップルが久しぶりに会って、僅かな時間を一緒に過ごした後、駅での見送りしている状態なんだ。

オッツ君ももしかしたらこうなのかもしれない。

オッツ君は「幼稚園に数か月おいてけぼりにされる」と感じてるのかもしれない。大げさかもしれないが子どものセンシティビティ、時間軸で考えると8時間はこれくらいの感覚ではないだろうか?

次女の時は、対策として普段より多めに家族の時間をつくったり、遊ぶ日を約束→実行をくり返していくうちに自然と落ち着いていた。


一日も早くオッツ君とお父さんが笑顔で幼稚園に登園する毎日がくることを陰ながら願っている。

オッツ君のお父さんもがんばれ。そしてオッツ君があなたのことをとてもとても愛していることを噛みしめて感じて。

あなたとあなたのパートナーがつくりあげたHOMEはオッツ君にとって最高の居場所なんだよ。きっと。それは胸を張って誇れることなんだとボクは思っている。


あなたの周りにはオッツ君はいるだろうか?

あたなたならどうする?

介入派?見守り派?


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