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春にさらわれそうな男の話

桜並木を歩いていた。
地元は桜が有名な場所だ。春には桜にちなんだ祭りが開催されるくらい。
僕はこの春地元に帰ってきたばかりだ。ついこの前まで大学生で、遠くの大学に通っていたため一人暮らしをしていたが、地元の企業に内定をもらい、実家から通える距離だったので帰ってきたのだ。
そんな僕が、4年ぶりの地元は自分の目にどう映るのだろうと実家の近くを歩いていて、ふと桜並木を見た瞬間、桜が満開の頃の記憶が呼び出された。気が付けば、桜並木に吸い寄せられるように近くを歩いていた。
今歩いている桜並木の桜は例年より遅咲きで、いつもなら満開であろう4月上旬の今であっても、まだつぼみの状態だ。
「まあ、3月とかとても寒かったもんな」
そう誰に聞こえるわけでもない独り言を呟きながら、春の日差しの中を歩いていたその時だった。
暖かい春の陽気が春風を運んできて、僕の頬を撫でた。風の吹く方向につられて見上げたら、先ほどまでつぼみだった桜並木の桜が軒並み満開になっていた。春風に乗って運ばれてくる花びらが宙を舞う。その様子がただただ美しくて呆気に取られていたのだが。
「また、会ったね」
とても中性的な男性だった。髪は白く、瞳はマゼンタのピンク。肌も透き通るほど白い。服は全身真っ白だが、カジュアルな見た目をしている。
会った記憶はないが、向こうはこちらを知っているようで。
「その様子だと覚えてなさそうだけど」
少し寂しそうに、彼は目を伏せた。
「まあ、それもしょうがないし、ちょうどいいのかな」
そう言って、次の瞬間には花びらに変わって消えてしまった。花びらが風に乗って僕を包み込む。
僕は頭をフル回転させて全ての記憶をさらってみた。そういえば、子供のころにこの場所で、同じような経験をしたかもしれない。
「待って」
気づいたら言葉が出ていた。そんなことをしたって、再び現れてくれる保証なんてどこにもないのに。
「君のこと、覚えてるかもしれない」
僕の頭をめぐる記憶の中に、かすかに彼の姿を見つけた。子供のころ、確かに会ったことがあるような。
「だいぶ前に、会ったことあるよね?」
正直に声をかけてみた。相手の様子からして、僕のことを覚えていそうだから。
「君からしたらだいぶ前かもね」
彼の声だけが聞こえる。春の陽気のような暖かい声が。
思えば、自分が子供のころに会った時も、彼は今と変わらない見た目をしていた。
彼にとっては、昨日のことのよう、ということなのだろう。
「まあとにかく、思い出してくれてよかった」
声から安心した様子が伝わってくる。
「僕、遠くに行ってたけど帰ってきたんだ。だからしばらくここにいると思うからさ」
安心させるように、言い聞かせるように、彼に話しかけた。
「毎年、この場所で会おう。君はたぶん桜の時期にしかいないと思うから。これは僕の直感なんだけど」
桜の花びらが姿を変えて現れるのが彼ならば、桜の花びらがある時期にしか彼は現れないだろう。それが僕の考えだった。
数秒の沈黙の後、花びらが形を成し、先ほどの男性が現れた。
「うん、約束だよ。絶対に。」
彼は安心したように微笑んだ。
そして小指を出して差し出してきたので、そっと小指を絡ませた。指切りげんまんだ。
「…なんか織姫と彦星みたいでロマンチックだよね。一年に一度しか会えないって」
彼が子供のように笑って言った。
一年に一度という意味では、織姫と彦星と同じような概念ではあるのか?と思ったけれど。
「確かに言われてみれば。でも違うとすれば恋人同士じゃないってところかな」
そんな感じで軽口をたたきながら話していると、気づけば夕方になってしまった。西日が僕たち2人を照らす。
元々この辺りを歩いていたのが15時くらいだったから、すぐ夕方になるのも不思議ではない。
「名残惜しいけど、もう帰らないと」
頬を搔きながら、申し訳なさそうに僕が伝えると、
「そうか、もうそんな時間だよね」
そう言って、彼は何かを取り出した。チャリチャリ、と金属の擦れる音が聞こえる。
「お守り。絶対なくさないでよ」
手渡されたのは桜の形のモチーフがあしらわれている金属製のブレスレットだった。
「じゃあまた、1年後に」
桜吹雪が目の前を包んで、桜吹雪が体を包み込む。
気づけば元のつぼみの残る桜並木に戻っていた。
手元に残ったのは、渡されたブレスレットだけ。僕はそれを、左の手首につけた。ブレスレットに残る、彼のぬくもりをかすかに感じながら。
「必ず、また来るね」
自分に言い聞かせるようにそう言って、僕はまた桜並木を歩く。
忘れられない思い出と、一年に一度の約束と共に。

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