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『クリティカル・ビジネス・パラダイム』読んだよ

山口周『クリティカル・ビジネス・パラダイム』読みました。

江草的は、だいたいの本を読ませていただいていて、Voicyも全聴了しているぐらいの山口氏のファン。

とくに前作の『ビジネスの未来』が江草的には大ヒットだったので、

このたび、最新作の『クリティカル・ビジネス・パラダイム』も早速手に取ったのでした。なんでも『ビジネスの未来』の続編的な立ち位置ということですし。


して、読了。

いやー、本作も面白かったですね。

氏の狙い通りと言うべきか、クリティカル・ビジネスやりてえなという衝動が湧いてきます。


正確かつ詳細な説明はぜひ本書を読んでいただきたいのですが、一応江草なりに解説すると、クリティカル・ビジネスというのは、従来の王道であるアファーマティブ・ビジネスと対照的なビジネスのあり方を指す概念です。

従来型のアファーマティブ・ビジネスが、マーケットのニーズをくみ取って、それに対応する製品を提供するという定型的な消費者迎合的なやり方であるのに対し、クリティカル・ビジネスは今まで誰もたいして注目してこなかった社会問題を取り上げて変革を目指すために斬新な手法で物やサービスを売ります。「こういうもんだから仕方ないな」と皆が社会の常識として無意識に受け入れていたところにあえて反抗して、常識を相対化する(批判する)形で登場するタイプです。

元からニーズがあったり広く課題として認識されてるテーマをミッションとして掲げるわけではないがために、最初は少数派の反抗者として登場します。だから、当初「なんだあれ」「ばかじゃないのか」などと嘲笑されることは必発なのですが、それでも粘り強くビジネスを進める勇気や胆力が必要という過酷な道です。この点、ウケが良い課題に対して定番の安心安全な手法で関わろうとするアファーマティブ・ビジネスの方が楽ではあります。

しかし、そのクリティカル・ビジネスが「多くの人は気付いてなかったが重要な問題」すなわち普遍的な問題を鋭く突いていた時、次第にそのビジネスは大きな社会変革的影響力を持つことになります。そして、実際にそうしたビジネスがますます求められる環境になってきていると。

そんなクリティカル・ビジネス時代に変わるパラダイムシフトが現在進行形で起きているということを、さまざまな事例や言説を通して示しているのが本書『クリティカル・ビジネス・パラダイム』ということになります。

江草的には株式会社COTENの「人文知を広める」というミッションを掲げるビジネスにも近いものを感じますし、山口氏が本書を通して「クリティカル・ビジネスを指南する」ということ自体も、従来のアファーマティブ・ビジネスのもたらしてる社会矛盾に対し反抗しているクリティカル・ビジネスであると言えるでしょう。

COTENや山口氏を推しとしてる江草は、そのクリティカル・ビジネス的な装いに知らず知らずのうちに惹かれてるのかもしれませんね。

まあ、上の江草の抽象的かつ拙い説明ではなんですから(おそらく不正確な部分が多々あるかと思いますし)、こうしたビジネスの姿勢に興味が湧いた方はぜひ読んでみてください。


さて、ここからは、江草個人的なメモというかクエスチョンみたいなものを付記していきます。仮に講演を聞いた後の質問タイムがあったら確認してみたいポイントを書いておこうみたいな感じです。

江草的には総じて山口氏のクリティカル・ビジネスのビジョンには支持的ではありつつも、「そうすんなり行くかなあ」と、いくつか気になる点はあるんですよね。

多分「クリティカル・ビジネス」の提言を聞いた時に、多くの人が抱くであろう疑問点でもあるのではないかと思うのでちょっと書いておいてみます。


まず、反抗的・批判的という姿勢でありながら結局は「ビジネス」という形をとっているのはどういうことか、という拒否反応を示す人は多いだろうなという点。

もっとも、本書内でも「なぜビジネスである必要があるのか」という点はきっちり説得的に説明されています。十分妥当な説明だろうと江草的には感じます。

ただ、おそらくこの社会において「ビジネスに対してこそ反抗したい」という方は少なからず居ると思うんですよね。いわゆる左寄りの人に多い反市場主義者と言いますか、そういう方々から見ると、「クリティカル・ビジネス」はたいして反抗的ではない、むしろ現行の資本主義スキームに乗っかってるだけの「順体制派」であると見られるだろうなと。

この点は、山口氏も以前から「資本主義をハックする」という表現を用いていたり、「左派的な革命運動は全く無意味だった」という言説をたびたびされており、「革命よりも変革」派なのは明らかなので、氏として一貫性のある姿勢ではあるのですが、「クリティカル」と言いながらそのクリティカルさに疑問が(ラディカルな反体制派の方々から)呈示されそうというのは何とも苦しい課題になるのではないかと思うんですね。

(たとえば修正資本主義派のセドラチェクと反資本主義派のグレーバーの対話がまさにこの議論の調整の難しさを示してました)

「そういう人たち(革命派)はほっておけ」というのも一つのやり方なのかもしれませんが、「クリティカル・ビジネス」があくまで「ビジネス」であるがゆえに永遠に「ビジネス」そのものについては批判しえないというのは、「クリティカル」の名を冠している以上は、いつまでもアキレス腱のようにずっと攻め立てられるポイントとして残るだろうなと。

この問題とどう対峙していくかはクリティカル・ビジネスをする上では避けて通れない悩みになる気がしています。


また、この点が問題になるのは、クリティカル・ビジネスが外見上「クリティカル」なだけで事実上ただのアファーマティブ・ビジネスに陥るという危険性が十分にありえるからです。

ジョセフ・ヒース&アンドルー・ポターの『反逆の神話』がまさにこの問題を提示されてたと思いますが、

「反体制の顔をして実質的にはただの金稼ぎ」という欺瞞性が、反体制っぽいビジネスに往々にして見られるという厳しい指摘です。

たとえば、山口氏がクリティカル・ビジネスの一例として挙げていた無印良品も確かに当初「アンチブランド」のコンセプトで脚光を浴びたのだろうと思うのですが、今や皮肉なことに「無印良品」自身が確立された一大ブランドになってるわけで、なかなか「反抗性」というのは維持するのが難しい特性と言えましょう。(なお、江草は無印良品好きで同社の化粧水と乳液も愛用してたりもしますし、あくまで同社を非難してるわけではないですよ。「反抗」の難しさを示す例として挙げています)

あるいは、書籍で紹介されてたBLM運動でのNIKEの事例も「見せかけの反抗」の例ですね。

このように、反体制的ビジネスは「反体制ぽいというだけで案外儲かる」という点で欺瞞や堕落に陥りやすい点はかねてから批判や疑問があるわけなので、ヒースらが批判するような「反体制風ビジネス」と、今回山口氏が提言するような「クリティカル・ビジネス」とで何が違うのかという問いは突きつけられるところでしょう。

もっとも、「反資本主義」的な意味での反体制ビジネスにこそヒースらも批判の目を向けてるところがあり、あくまでビジネスとして意識的に市場の力を活かそうとしている点で山口氏の提唱するクリティカル・ビジネスは『反逆の神話』と、さほど矛盾しているわけではないようには思います。

ですが、たとえラディカルな反資本主義運動ではなくとも、資本主義の調整も含めた社会変革を図ろうとしている以上は、「クリティカル・ビジネス」かのように見せかけて結局は「人々は反体制ぽいものが好き」というマーケットニーズを狙った「アファーマティブ・ビジネス」になってるだけという堕落をどう防ぐかは、クリティカル・ビジネス・パラダイムの行く末においてやっぱり大きな課題になるのかなと思います。

実際、(こちらはクリティカル・ビジネスというよりはソーシャル・ビジネスの文脈ですが)最近でも「ESGウォッシュ」みたいな問題は言われてるわけですし、クリティカル・ビジネス・パラダイムでも、(特にもし今後クリティカル・ビジネス・パラダイムが広く人々に受け入れられた時にこそ)「クリティカル・ウォッシュ」の蔓延をどう防ぐかという点が、それこそ「クリティカル」なポイントとなるでしょう。

もちろん、山口氏もこの点は認識されていて、その対応策として社会の人々のセンスを上げていくこと、言わば「美意識」を上げて行くことを想定されている印象です。

BLMでのNIKEの「見せかけの反抗」がすぐに見破られたように、「なんちゃってクリティカル」もすぐに見破れるように透明性を高くし、人々の感覚を研ぎ澄ませることがその蔓延を防ぐのに重要となるわけですね。

それを重要視しているからこそ山口氏も本書を通じてその重要性を説いていると。非常に戦略的に一貫した狙いがあるなあと感服します。

とはいえ、「美的センスを持とう」とか「教養を持とう」とか、あるいは「欲求の水準の高低がある」のような、J・S・ミルの「満足な豚より不満足なソクラテス」を彷彿とさせる空気感は、エリート的啓蒙主義感も否めず、その点に拒否反応を起こす人も少なくないかもしれません。

顧客の啓蒙・批判がクリティカル・ビジネスの肝であるがゆえに、ここに生じる軋轢とどう対峙していくかもまた、クリティカル・ビジネスの避けがたい課題になるのではないでしょうか。


色々と言ってきましたが、上で述べたようにクリティカル・ビジネスについては江草は支持的な立場です。だから、ただ「こういうところツッコまれそうだなあ」というポイントを書いておいただけで、クリティカル・ビジネスの意義を否定しようという意図は全然ないことは強調しておきます。
研究室内で研究発表の予演会をしてる時とか、「どうディフェンスする?」と問いかける意図で、仲間内からもあえて批判的な質問が加えられるでしょう。あくまで、あの感じです。(江草は延々とチマチマ発表者を質問攻めにする嫌らしいタイプのキャラです)

クリティカル・ビジネス・パラダイムの話を聞いた途端に「そうだそうだ」と諸手を挙げて従順に、、、賛同し始めるのは、それこそどうにも「クリティカル」っぽくないですから、クリティカル・ビジネス・パラダイムがアンチパターンになりえる可能性についても先に批判的に検討しておく方が、クリティカル・ビジネスの賛同者としてふさわしい態度かなと思った次第です。

それがクリティカル・ビジネスであろうとも、それ自体が常にクリティカルな目線を注がれることで初めてクリティカル・ビジネス・パラダイムたりえるのではないでしょうか。


以上、読了直後の興奮で駆け足で書いたまとまりない感想で、失礼しました。

ともかくも、すぐにこれだけの感想文を書くぐらいには、とても面白く、刺激を受けたので、ぜひすぐに再読して考察をさらに高めたいと思える一冊でした。オススメです。

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