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【小説】メルクリウスの喚声 第六話

   Ⅵ 孔雀の尾

 年が明けた。正月らしいことを何もしないまま、三箇日も過ぎた。
 短い冬休みが終わる。容子は大学に出かけようとしたが、玄関で靴を履いて立ち上がった瞬間、倒れてしまった。
「軽い眩暈がしただけよ……」と容子はいった。竜也は気が気でなくなり、彼女を医者に診せた。すると、貧血と栄養失調の症状があると診断された。しばらく、容子には大学での仕事を休んでもらうことにした。
 一月下旬――その日も容子は湿った薄い布団の上で、夕方まで横になっていた。容子が目醒めたとき、竜也は台所に立っていた。
「竜也さん、どうしたの」
「いやなに、メシをつくってみようと思ってさ」
「無理しなくていいのに……」
 竜也は生まれてはじめて料理をするのだ。
「説明書きを読みながらやれば、おれでもできそうだ」
 容子は笑った。
「インスタントの雑炊をつくってくれてるのね」
「もうすぐできるぞ」
「でも私……コンビニのバイトに行かなきゃ。ずっと休んでるから、心配させちゃってるの」
「何いってるんだよ、そんな軀で」
「でも……」
 容子は口ごもった。来月から大学は長期の春休みに入る。収入のアテがないのだ。
「……そろそろ、Z出版から連絡が来るはずなんだ」
 容子を少しでも安心づけるために、その場しのぎの言葉を口にした。
「今日?」
 そう訊かれて、竜也は黙りこんだ。
 容子は小鼻をひくつかせて、
「……雑炊、大丈夫かな」
 竜也は台所に飛んでいった。雑炊が鍋の底で焦げついていた。
 何をやってもうまくいかない。容子に食事をつくってやることもままならない。持ち込んだ原稿はというと、シュラバ編集部に廻されてから一ヵ月月近くも経っているのに、返事がない。
「どう?」
 容子が起きてきた。
「ダメだな、おれは」
「焦げたところだけ捨てたら食べられるよ」
 二人で雑炊を食べた。会話はなく、煮詰まった雑炊が喉に詰まるようだった。
「……Z出版に行ってみる」竜也は口を開いた。「今日の夜行バスの予約が、まだ間に合うはずだ」
 いつも利用しているバス会社に電話を入れた。そんな竜也を、容子は不憫そうに見つめるばかりだった。

「いやァ、こっちからも再三けしかけてはいるんですけどね――。やっぱり大槻先生、お忙しいんだと思うんですよ、他で連載も持たれてますし――」
 はじめて顔を合わせる友金は、竜也と年恰好は変わらない今風の若者だった。
「すいません、せっかく来ていただいたのに……打ち合わせが入ってまして」
 彼はまた階上に戻っていった。
 竜也はZ出版社を出た。電車に乗って、新宿駅で降りた。あたりは人、人、人であふれ返っている。雑踏の中に身を任せて、自分を客観的に見つめ直したかった。
 歌舞伎町の赤いネオンの門が見えてきた。アテもなく歌舞伎町を歩いていると、雑居ビルの入り口に「麻雀」と書かれた置き看板があった。レートもさりげなく書き添えられてある。竜也は財布を取り出して、中身を確認した。五千円、入っている。ぎりぎり打てる額だった。最近では歌舞伎町でも低レートの雀荘が増えてきている。
 財布を覗いてぼんやりとしている無用心な竜也を嘲笑うように、通りすがりの若い男が肩をぶつけてきた。竜也はよろめいて、そのまま雑居ビルに入り、階段を上がっていた。
「いらっしゃいませぇ! お一人様っすか? はじめてっすか? 当店のルールはですね……」
 金髪の従業員が竜也を椅子に坐らせて、説明をはじめる。
(わざわざ東京まで来て、おれは何をしているんだろう――)
 金髪に促されて、五千円を渡した。赤や黄や青の色で塗り分けられたチップの入った籠を、金髪は竜也に渡して、
「しばらく卓が割れそうにないんすよ。メンバー、スリー入りで立てましょっか?」
 どの卓も欠員が出ないらしい。そこで竜也のために、従業員が三人入って卓を立てようという計らいだった。
「……急いでないので。どこかが割れるまで待ってます」
 竜也は断った。そこまでしてもらうほど、麻雀を早く打ちたがっているわけではない。
 それで金髪は心証を良くしたらしい。
「……ほら、あそこにサングラスのオッサン、いるでしょ。さっきから何やっても裏目で、全ッ然ツカねーの。あの卓に入れたら、お客さんラッキーっすよー」
 耳打ちしてくれた。竜也はなにげなく金髪が顎をしゃくった方向を見た。
「先生……?」
 竜也は立ち上がって声を出していた。麻雀を打っている皆が、怪訝な表情で竜也を睨む。サングラスをかけた不ヅキの男――大槻ヒロシも目線を上げた。しかし、彼はすぐに視線を卓上に戻した。銀座の夜では、あんなに竜也に構ってくれた大槻なのに、無愛想だった。
「あれ、知り合いっすか?」
「……人違いでした」
 ショックを受けて、坐りこんだ。何をのうのうと麻雀なんか打ってやがるんだ――おれの原作はどうなったんだ――心の中で呪詛を連ねた。
「トイレ行くよ」大槻の声だ。「代走、頼む」
「ハイハイ、ただいま――」
 金髪が卓に向かって走っていった。
「あっちの彼に頼めるかな?」
 大槻が指しているのは竜也だった。金髪は迷惑そうに苦笑いして、
「お客さん同士で、そういう連係みたいなことはちょっとねぇ――」
「まだ彼はゲームに入ってないだろ? 何も問題はないはずだ」
 大槻も負けが込んでいる上に、多少酒も入っているらしい。引かない構えだった。
「打ちますよ、先生――」
 竜也は大槻の〝代走〟を買って出た。金髪は、やれやれ、とでもいうように肩をすくめた。
「そんな冷えた席で打ったら、ケチがつくっすよ――」
 竜也は席についた。
 大槻の期待に応えることはできなかった。代わった一局は竜也が切った牌でロンされてしまった。早い巡目の闇テンで、不可抗力の交通事故のようなものだった。直後、大槻が戻ってきたので、竜也は軽く頭を下げた。
「お役に立てませんでした」
「もう一局頼むよ」
 その馴れなれしいいいかたに、竜也はムッとした。たまたま客として打ちに来たのに、これ以上金のかからない麻雀を打たせるつもりなのだろうか。
「無理かい?」
「……原作の選定は済んだんですか」
 この際、思い切って訊いてやった。失礼はお互い様だ。
「まだ悩んでるんだよ」大槻はさらりといってのける。「この半チャンを任せていいかな」
「なんですって――」
「もし君がトップを取れたら、考える」
 トップとは三万点以上離されたラス目である。最後の親も流れたところで、残りはたった三局しかない。絶望的な状況だ。
「気楽に打ってくれていいから。悪い流れを変えたいだけなんだよ」
 気楽に打てるわけがない。いきなり竜也にとって命運を決する勝負になってしまった。
 次の局も竜也はいいところがなく、敵にアガられてしまった。ますます点差は開いていく。背後で観戦している大槻は何もいわない。たばこに火を点けるライターの音だけが虚しく聞こえた。
 が、次局、竜也にチャンス手が舞いこんだ。持っているだけで点数が倍増するドラ牌が二枚もあり、手の仕上がりも早そうだった。あと一つ有効牌が入ればテンパイするというときに、対面から「リーチ!」の一声が上がった。
「ツイてないときってのは、得てしてこうなんだよな。良い手が入っても、あと一歩というところで相手に先を越されてしまう……うまくできてるよ、麻雀ってのは」
 大槻はたばこを吹かしながらボヤいた。
 対面からリーチがかかった同巡に、竜也もテンパイした。一歩出遅れている上に、どの牌で待つかの選択肢まで生まれてしまった。安全牌を切って狭い待ちにするか、危険牌を切って広い待ちを取るか――。前者はかなり狭い待ちだが、もしアガれたときには高得点を見込める。それに、とりあえずは安全牌を切れるという保身もある。
 竜也はちらりと後ろを振り返って、
「どうしましょうか」
「君の好きに打ってくれ。席を冷やしたのはおれなんだから、君は悪くないさ」
 竜也は点箱から千点棒を取り出して、卓の中央に投げた。
「僕もリーチです」
「行くしかないわな」
 そして危険牌を切り出そうとした。
「おいおい、ちょっと待て――」大槻が竜也の肩を揺さぶる。「持ち点も運もドン底なんだ。リーチをかけるのはいいが、一発逆転を狙わなきゃ――」
「一発逆転なんて、ないと思います」竜也は虚空を見つめて、いった。「ドン底だからといって、打ち方を変えるのは間違ってます。目先の誘惑に囚われず、地道な努力を続けていく――それしか勝つ方法はないんじゃないでしょうか」
「……あと二局だぜ」
 大槻は腕組みをして黙りこんだ。
 竜也はあらためて、危険牌を切ってリーチ宣言した。幸い、ロンの声はかからなかった。
 次巡、竜也はツモってきた牌を手許に叩きつけた。一発でアガリ牌を持ってきたのだ。
「やるなァ――」
 大槻は嬉しそうにいった。
「風向きが変わるといいんですけどね」
 最後の一局――オーラスを迎えた。前局のアガリで息を吹き返したのか、竜也の手は軽くなった。誰も追いつけない速さで逆転手をつくり、トップをまくることができた。
「君は不思議な力を持っているね」大槻は竜也を労うように肩をぽんぽんと叩いた。「ありがとう。向こうの卓が割れたみたいだぞ」
「先生、さっきの話――」
 竜也は従業員に引っ張られて、別の卓に案内された。大槻を振り返る。彼は席に坐って、次のゲーム開始のためのサイコロを振っていた。
 竜也は何かが吹っ切れた。それから時間の許す限り、麻雀を打った。欲をかかず、無心で、淡々と――。
 籠がチップで満ちていく。従業員が何度もやってきて、チップを預かり金として回収していった。ふと、勝ち金はいくらくらいになっているんだろう――と考えてしまったとき、勝負手が入っているというのに相手のリーチに降りてしまった。
 やめどきだった。従業員に声をかけて、チップを換金してもらう。
「すっげぇ勝ちましたね。こんなに勝った人、はじめて見たかもしんないっすよ」
 金髪は自分が勝ったかのように顔を輝かせて、チップの枚数をかぞえた。
「あっ! そういやァ、あのサングラスのオッサン、あれからマジで風向きが変わって三連勝したんすよ。まったく……お兄さんも人がいいやね」
 店内を見廻したが、大槻はいなくなっていた。

 翌朝帰宅すると、容子はまだ眠っていた。すやすやと静かに寝息を立てている。可愛らしかった寝顔は、いまではやつれてしまい、悲壮感が滲み出ていた。
 容子は竜也に対し、真っ当な職に就いて働け、とは一度もいったことがない。
(おれも働こうか――)
 しかし、プロの漫画原作者になるという夢を、どうしても諦めたくはなかった。財布を取り出して、中身を覗いた。札が詰まっている。こんなアブク銭を望んでいるのではない。麻雀でいくら勝っても無意味な気がした。
 そのとき、携帯が鳴った。シュラバ編集部からの着信だった。
「申し訳ないです!」開口一番、友金は大声で謝った。「やっと大槻先生が原作を選定してくださって、結城さんの原作で決定したんですよ」
「……は?」
「結城さんは先生とお知り合いなんですか?」
「何度か、麻雀を打ったことがあって――」
「ああー、そうだったんですね! 結城さんの原作なら間違いない、っていってましたよ」
 大槻は約束を忘れていたわけではなかったのだ。
「大槻先生、他に何かおっしゃってませんでしたか」
「期待されてましたよ。結城さんはシビアな人だから、面白いストーリーを徹底的に追求して書いてくれそうな気がする――と」
 竜也はまだ信じられない気持ちだったが、
「……ということは、書き直しですか?」
「あの原作、一話読み切りとしては長いな、となっておりまして――」友金はいった。「どうでしょうか、大槻先生も編集部としても、あれを連載にしたいと考えてるんですが――」
「連載!?」
「まずは集中連載ですけどね」友金は釘を刺した。「なので、せっかく提出していただいたんですが、〈消えたマントラ〉を三話分の集中連載として、書き直してもらえますか?」
「集中連載というと――三話で終わることが決まっていて、その後の進展は見込めないんですか? 長期連載になる可能性は――」
「ありますよ」友金は即答した。「集中連載の反響がよければ、もちろん長期連載にします。探偵物なのでシリーズ化しやすいですしね。ただ実話誌なので、取材は頑張ってもらいますよ、実話っぽさを出すために。まァ、あくまで漫画っていうか、エンターテインメントが前提ですけど」
「……ちなみに、集中連載用の原作は、いつまでに書けばいいんですか?」
「せめて来月の末までには、いただけたら助かります」
「わかりました」
 電話を終えた。
「竜也さん――」
 横たわった容子が目をこすって、甘ったるい声を出した。
「悪い、起こしちまったか」
 竜也は彼女の隣に寝そべった。
「電話で話してたのって……原作のこと?」
「やっと採ってもらったよ」竜也は答えた。「連載も確定した」
「連載まで決まったの?」
 容子は喜びより先に驚きの表情を浮かべた。
「まだ三話分の集中連載しか頼まれていないんだ。様子を見られてるんだよ。だから、きっちりと完成度の高い原稿をつくらなきゃいけない。前みたいな失敗をくりかえさないように――」
 容子は寝ぼけ眼のまま、竜也に抱きついた。
「転んだら起き上がればいいの。自分に恥じない作品を書くだけでいいのよ」
「万人を納得させることは不可能だからな――」
 竜也は容子を抱き返した。軀がもつれあい、お互いの体温が上昇していく。
「……今日はいいよ、つけなくても」容子は唐突にいった。「安全な日だから」
 竜也は戸惑った。
「……おれを犯してくれないか。容子の好きなようにしてくれ」
「竜也さん……変わったね」
 彼女は嬉しそうでもあり、悲しそうでもあった。

 新宿の雀荘で勝ち得たアブク銭で、竜也は資料を買い漁った。神秘思想から密儀宗教、オカルト関係の本にまで手を出した。それらは部屋の至るところに積み上げられ、布団を満足に敷けないほどだった。そのぶん、原作に役立つ知識が得られているのかというと、実際そうではなかった。メルクリウス教団の内部の様子や理念を書くだけならば、資料など必要ない。自分の経験だけで事足りる。
 竜也が本を掻き集めているわけは、教団がなんのために子どもを引き取っているかを知るためだった。カナから聞いた噂にすぎないが、いまとなっては事実であると信じられた。あれだけの大人数で、夜な夜な避妊なしのセックスに明け暮れていたら、免れることはできない問題だろう。
 いくら本を読んでも、答えどころかヒントさえも掴めなかった。いっそ想像で補ってしまおうかとも考える。掲載先が実話誌だとはいっても、漫画はエンターテインメントだ。人が読んで楽しいもの、実話風のフィクションをつくりあげることが求められるはずなのだから――。
 時は三月。その日も竜也は極寒の中、神戸の街を歩き廻って古本を物色していた。人で賑わう元町駅前から少し離れたところ、雑居ビルの二階に個人経営の小さな古本屋を見つけ、入ってみた。
 何かいい本が眠っているのではないかと期待したが、買うほどのものは置かれていなかった。
 そこは本だけでなく、昔のおもちゃや、古い雑誌の切り抜きなどもディスプレイされていた。雑多な品々に、なにげなく目をやっていると、
「まだ奥にもいろいろありますよ。出しましょうか?」
 レジの前で坐っていた丸眼鏡の店主が腰を上げて、声をかけてきた。
「いえ、結構です……」
 竜也はガラスケースから離れようとしたが、ふと足を止めた。「タロットセット 千円」と手書きの値札がつけられた木の小箱が置かれているのを見つけたのだ。
「タロットか……」
「それね、めっちゃお得ですよ。古くて、情緒があって。タロットって高いですからね」
 タロットカードは錬金術の秘密が詰められた一冊の秘伝書だ――という首藤の言葉が思い出された。
「見せてもらっていいですか」
 竜也は木の小箱を手に取った。箱には星のマークが刻まれていて、竜也はドキリとさせられた。よく見ると、それはメルクリウスを表す六芒星ではなく、五芒星だった。箱を開けてみる。使いこまれた感のあるタロットカードがおさめられていた。ところどころ変色もしていて、黴臭い。
「これ、いただきます」
 竜也は衝動的に買っていた。
 アパートに帰ると、炬燵台の上を片づけて、タロットをまぜた。タロット占い師がやるような複雑な占い方はわからないが、一枚引きなら竜也にもできる。シャッフルしたデッキを綺麗に一つにまとめて、縦に積む。
(首藤教授は何者なのか? おれにとって首藤教授とはどういう存在なのか? おれの判断は正しかったのか? 首藤教授との縁を断ち切ったおれは、原作者として成功できるのか? いま取りかかっている原稿を、おれはどのように書けばいいのか? はたして真実は――?)
 取りとめのない思いを胸に、一番上のカードを表に向けた。
 そのカードの絵柄を見て、竜也は思わず、後ろに飛び退いてしまった。それは非常に見覚えのある絵だった――。
「ただいま」
 容子が帰ってきた。ダッフルコートに身を包んで、首に巻いたストールに顔を半分も埋めている。
「すごく寒かったよ」
 暖房が使えない家に帰ってきても寒いはずだった。
「お、おかえり――」
 竜也はタロットカードを慌てて小箱に仕舞った。立ち上がり、ポットに水を入れて湯を沸かす。
「いつもありがとう、竜也さん」
「インスタントコーヒーくらいしか、おれにはつくれないからな」
「ううん、嬉しいよ」
 容子は脱いだコートをハンガーに掛けながら、部屋をぐるりと見廻して、
「それにしても……すごい本の量ね。また増えたんじゃない?」
 容子は手近な一冊を手に取った。その本のタイトルは『秘密結社』だった。容子が何かを感づくのではないか、と緊張する。それだけでなく、錬金術に関する本なども大量に買いこんでいるため、それを見た容子が首藤の話題を出さないことをいつも願っていた。
「ギャンブル関係の本で部屋がいっぱいになったこともあったけど……本当に今回は毛色の違う話を書いてるのね」
 書きかけだからといって、まだ容子には原稿を見せていない。
「あら、これは何?」
 炬燵台の上の五芒星が刻まれた小箱に、容子は目を留めた。
「ああ……タロットカードだよ」
 竜也は先ほど引いたカードの絵を思い出して、怖気を震った。
「ずいぶん古そうね。こんなの、竜也さん持ってたの?」
「今日買ったんだよ。古本屋で安く売られてたんだ」
「……なんだか怖いわ。どこから廻ってきたかもわからないのに。それにタロットって、中古のものを使うのはよくないって聞くわよ」
「誰かを占ったりしない限り、平気だろ。まさか呪いがかかるなんてこともあるまい」
 竜也はそわそわして、容子の手から小箱を取り上げて、
「仕事は、どんな調子?」
 話を逸らした。
「単調な仕事だし、私でも結構やれてるのよ」
 大学が春休みに入ったので、容子は派遣のアルバイトをしている。工場内でのパスタの盛り付けの仕事らしい。延々と流れてくるトレイにパスタをひたすら盛りつけていくのだという。クリエイティブ性のかけらもない仕事に、おれなら一時間で発狂してしまうかもしれないな……と竜也は思った。だが、容子だって同じことを思っているかもしれない。竜也を安心させるために、口では一人前に仕事をこなせているといっているだけなのかもしれなかった。
「体調はどうなんだ?」
「すっかり元気よ。晩ご飯の支度するね」
 容子は料理をはじめた。包丁で野菜を切っていた手を、すぐに止めた。
「あ……サラダにかけるドレッシングが切れちゃってたんだ」
「買ってくるよ」
 竜也はブルゾンを羽織って、玄関の扉を開けた。薄暗くなった空から、雪が降ってきていた。
「わあ、降りはじめたんだ」容子も外に顔を覗かせた。「大丈夫?」
「ひとっ走りしてくるよ」
「走っちゃダメよ、ほら――」
 容子はマフラーを持ってきて、竜也の首に巻いた。さらに手袋と傘も手渡してくる。
「滑らないように気をつけて」
 雪はまだ本格的には降り出していない。しかし凍えるような寒さで、手袋を通して傘を差している手がかじかんだ。
 ぽくぽく歩きながら、空を見上げる。無数の光の粒が舞い降りている。首藤の周囲を飛び交う、あの光り輝く異形の天使たちを思い出した。地上に舞い降りて一時的に物質化した天使たち――彼らは竜也を温かく見守ってくれる庇護者なのか、それとも神の裁きの内容を代言しにきた使者なのか――。
 駅から少し離れたところにある、ショッピングモール内のスーパーで、買い物を済ませた。
 そのあと、モール内の新刊書店を覗いた。新興宗教メルクリウス教団の実態を暴いたルポルタージュが出ていないだろうかと思って探したが、そんなものは出ていなかった。しかし、そんな本がすでに出版されていたら、竜也は世に出るチャンスがなくなってしまう。二番煎じに用はない。これまで数々の原作者が知識とアイデアを搾り取られて、使い捨てにされてきた。ヒット作を生み出したとしても、次にはそれを超えるクオリティの作品をつくらなければ、誰からも相手にされなくなる。これはゴールのないマラソンなのだ。
 メルクリウス教に関する自分の知識不足が歯がゆかった。ヒット云々の前に、一つの作品も満足に書き上げることができない自分に絶望した。新興宗教に関する本を適当に一冊買っただけで本屋をあとにする。
 本屋に隣接したところに、若者向けの腕時計専門店が開いている。ディスプレイにはカジュアルなデザインの時計ばかりが並んでいたが、中には落ち着いた印象の、容子に似合いそうな時計もあった。ダイヤに縁取られた小さな文字盤はホワイトシェルでつくられており、七色のグラデーションに輝いていた。竜也は一目惚れし、原作一話分の原稿料に等しい額を出して、ギフト用に包んでもらった。
 外は闇と雪に支配されていた。容子が心配しているかもしれない。だが、帰ってこの時計をプレゼントしたときの、彼女の喜ぶ顔が目に浮かぶようだった。竜也はマフラーに顔を埋めて、ほくそ笑んだ。
 軒を連ねる飲み屋を尻目に、中津浜線を横切って、街灯もまばらな道を歩く。車の通行はなく、人影も少ない。家々も殻を閉じたように静まり返っていた。
 竜也の後方にだけ、人の気配がある。後ろを振り向いた。男と思われる体格のいいシルエットが二つあった。
 嫌な予感がした。早足で家路を急ぐ。振り返ると、影はさっきよりも近づいてきている。まだ家は遠い。逃げ切ることは無理だと思った。傘を捨てて走り出す。狭い路地に逃げこんで、そのまま向こう側まで突っ切った。追手の姿は見えない。安堵して顔を前に戻したとき、男が二人、前の路地から現れた。
 二人は竜也に近づいてきた。ニットとマスクで顔を覆っているが、隙間からわずかに覗いている目玉は据わっていて、竜也をまっすぐに見ている。
 竜也は逆方向に走った。角を曲がったと見せかけて、柵を飛び越えて近くにあった公園に忍びこんだ。木陰に隠れて、息を殺す。黒ずくめの男が柵の向こうで立ち往生していた。うまく巻いたようだ。男はスマホを取り出して、誰かと連絡を取りはじめた。
「ここだ」
 声が聞こえて振り返った。もう一人の黒ずくめがスマホを耳に当てながら、立っていた。鳩尾に拳が飛んできて、竜也は膝をついた。さらに頬も殴打され、湿った木の葉で覆われた地面にぶっ倒れた。
 柵が軋む音がして、もう一人の男もやってきた。彼はゆっくりとした動作で地面から何かを拾い上げた。スーパーのビニール袋に入っていたドレッシングの瓶だった。地面に向かって叩きつけ、瓶は割れた。
 もう一方の男は、竜也が買ったばかりの本を手にして、中身を読んでいた。かと思うと、本を縦に破り裂いた。何度も何度も破り、本は紙吹雪になって竜也の顔の上に散った。
 瓶を割った男が、今度は小箱を手にしていた。
 容子のために買った時計だ。男は興味なさそうに見つめたあと、公園の砂場のほうに抛り投げた。そして竜也の脇腹に蹴りを入れた。呻く竜也の髪を掴んで、顔を近づけた。
「メルクリウスを侮辱する行為は許さない」男の目は異様な輝きを放っている。「さっさと手を引かないと、こんなもんじゃ済まない」
 ふたたび地面に放り出され、二人組は去っていった。
 起き上がる気力もなかった。顔の上に雪がぽとぽとと落ちてきて、痛む頬を濡らしていく。遠くで犬の鳴く声がしていた。このまま眠ってしまいたかった。
 ハッと目を開いて起き上がった。軀のあちこちに焼けるような痛みを覚えた。街灯のわずかな光を頼りにして、血眼になって犬の糞の臭いのする砂場を駆けずり廻った。
 時計の入った小箱は泥だらけになっていて、傷んでいた。手で泥を払って、大事にブルゾンのポケットに仕舞いこんだ。ふらふらとした足取りで家の方角へと歩を進めた。
(……あの黒ずくめは、メルクリウス教団の使者だ……)
 メルクリウス教団の内幕を暴露するような原稿を書いた竜也を牽制する意味で送られてきたに違いない。首藤が差し向けてきたのか、だがなぜ竜也がそんな原稿を書いていることを知っているのか――。
 見慣れたアパートの前に着いていた。鉄骨階段を上がって自室のノブを廻した。鍵が閉まっている。チャイムを鳴らした。容子は出てこない。
 自分の鍵でドアを開けると、中はもぬけの殻だった。部屋を荒らされた形跡はない。
 台所の流し台には、晩飯がラップにかけられて置かれていた。その隣には書き置きがあった。
『待てなくてごめんね。夜勤のバイトに行ってきます』
 容子はコンビニの夜勤の仕事も、いまだに掛け持ちしている。
 妙な胸騒ぎがした。
(まさか、あの黒ずくめの二人組に連れ去られたんじゃないか――)
 この手紙だって、無理やり書かされた可能性もある。
 容子に電話をかけた。電源が切られていて、繋がらない。
 家を飛び出した。ふたたび駅まで走る。足が地面を蹴るたびに脇腹が痛んだ。冷たい夜風が顔に突き刺さってくる。雪は勢いを増して降りしきり、視界を不鮮明にさせた。足がマンホールを踏んだときに滑って転げそうになった。滑らないように気をつけて……と最後にいった容子の顔が思い出された。
「容子……無事でいてくれよ」
 電車に飛び乗った。いつか、二駅離れた駅前のコンビニで容子が勤めているといっていたのを思い出した。
「容子は……いますか」
 コンビニに入って、レジに突っ立っていた老婆の店員に問いかけた。キョトンとした顔で見つめ返してくる。
「野村容子です。来ていますか」
「……お子さん? うちでは預かってませんけど」
 話にならない。このコンビニではないのだろうか。それともやはりメルクリウス教団に拉致されて――。
 散々悩んで、竜也は携帯で、ある人物を呼び出した。出ないだろうと思った。内心、出ないことを祈っていた。
 電話は繋がった。
「しばらくでしたね、結城さん――」
「首藤教授……」
 複雑な気持ちになった。いざ声を聞いてみると、懐かしさで胸がときめいてしまう。
「容子をどこにやったんですか」
「いなくなったのですね」
「何か知ってるんですね!?」
「私ではなく、メルクリウスがね――」
「教団施設にいるんですか!」
「いいえ。今夜は大学の研究室にいるのですよ――」
 竜也は電話を切って、総和大学に向かった。

 漆黒の闇と銀色の雪に包まれて、校舎の連なりが不気味な要塞のようにも見えた。校門は閉まっていたが、その脇にある「関係者用出入り口」と札のつけられた鉄格子の扉は開いていた。敷地内に足を踏み入れると、守衛室の中で坐っていた初老の守衛が立ち上がった。
「忘れ物をしたんです――」
 竜也はそう断って、文学部校舎に入った。
 エレベーターで六階に上がった。周りの状況は非常灯の緑色の明かりだけが教えてくれた。人の気配はなく、静まり返っている。まっすぐ伸びる廊下を前にしても、光の漏れている部屋は見当たらない。廊下の突き当たり、首藤の研究室の前まで来た。
 ガチャッと音が鳴り、竜也は身構えた。重々しい扉がゆっくりと開かれる。
 細く開けられた隙間から、目玉が一つ、覗いた。非常灯の明かりを反射した目玉は無表情に、竜也の顔を直視している。
「いらっしゃい」
「容子を、どこにやったんですか」
「お入りなさい」
 どんな罠が仕掛けられているかもわからない。中に屈強な男たちが待ち構えていて、袋叩きにされることまで想像して、恐怖で胸が苦しくなった。
 あとには引けなかった。容子の居場所を訊き出さなければならない。首藤は、竜也の周りに起こっているすべての成り行きを知り尽くしているに違いない。
「貴方が求めている答えを教えて差し上げますよ。そして貴方の気づいていない重大な事実も……」
 竜也は決心してドアノブを掴んで開いた。
 照明はついていない。
 部屋の中央付近で、何か大きな物体が蠢いている気配があった。夜目は利いてきているものの、正体は判然としなかった。
「貴方の忘れかけていたものを、その目に焼きつけてご覧なさい」
 部屋の照明がついた。眩しさに目を細める。
 禍々しい光景があった。倒されたソファの上で、女が男の上で跳ねていた。汗を垂らし、ただひたすら上下運動に情熱を注いでいる。
 下で仰向けに寝そべっているのは、見知らぬ若い男だった。突然部屋の照明をつけられ、首藤と竜也が近くで見ているというのに、まったく動じない。目の焦点が定まっておらず、どこを見ているかわからなかった。
 女は白目を剥きそうになって、猫のような鳴き声を出した。竜也も聞いたことのない嬌声だった。男と同様に、竜也の存在には気がついていない。
「よ……」
 容子、と呼びかけようとしたが、声にならなかった。
「彼女はメルクリウスを味方につけ、その力を吸収しています」首藤はいった。「近い将来、我がメルクリウス教団の右腕となるであろう存在です」
「嘘だ……!」
「我々の世界には一つの虚言もありません」
「容子を、たぶらかしやがって……!」
 竜也は半狂乱になって、首藤に向かって突進した。その華奢な軀に向かって体当たりを喰らわそうとした。
 直後、強い衝撃を受けて、竜也は床に倒れた。頭の上からバサバサッ――と物が降ってきた。顔を上げると、目の前は本棚だった。
「な……なんだ、どうなってるんだ」
「乱暴はよくありませんね」
 その声に振り向いた。視界がスローモーションで流れていき、首藤の姿を捕らえた。
 首藤が仁王立ちする向こう側で、容子の律動が止んだ。下にいる男がぶるっと軀を震わせた。
「原稿を取り下げないと大変なことになりますよ」
 首藤は着ているスーツを脱ぎながら、話しはじめた。
「いまの孔雀の尾のような虹色の変容はまやかしです。その後に訪れるのは赤化(ルベド)ならぬ黒化(ニグレド)です。我らがメルクリウスを利用するような行為は、みずからを腐敗させる――」
 研究室の中に、電子音が流れていることに気がついた。
 その途端、容子が男の股間に顔をうずめはじめた。男を早く復活させようと躍起になっている。
「野村さんは研究熱心な、いい生徒です。一時は流産して、どうなるかと思いましたがね」
 首藤は容子を振り返って微笑んだ。
「流産……?」
 首藤は全裸になり、研究室の入り口付近でくずおれている竜也のもとに、歩み寄った。
「彼らのように、私たちも宴に入ろうじゃありませんか――」
 首藤の股間と同様、竜也も意志とは反して、下半身が熱くなっていた。
「メルクリウスにすべてを捧ぐのです」首藤は竜也に手を伸ばした。「それに――貴方は、まだ真実に手が届いていないでしょう?」
 メルクリウス教団の真実を知らなければ、原稿を完成させることができない。
(おれの原稿の内容を、容子が首藤に密告していたんだ――)
 竜也は首藤の手を振り払った。ブルゾンのポケットから時計の入った小箱を取り出して、首藤の顔に投げつけた。
「痛ッ――?」
 彼の頬に傷がついた。
「……よくも、やってくれたな……私の顔に傷を……」
 首藤は恐ろしい形相になって、竜也に掴みかかろうとした。竜也は素早く立ち上がり、研究室から飛び出した――。

 アパートはメルクリウス教団の使い走りに見張られており、竜也は帰宅できなくなった。東京に行き、格安のウィークリーホテルに一週間滞在した。新しい原稿用紙に〈消えたマントラ〉を一から書き直した。
 多くの車が行き交う都道を沿って歩いていく。愛用のブルゾンを着ていても少し肌寒いが、陽射しが眩しく、気持ちがよかった。やがて、陽射しを遮るように高層ビルが建ち並ぶオフィス街に入った。
 Z出版社の重いガラスの扉を押して、受付嬢に来意を告げる。ロビーのソファに掛けて待っていると、目の前を見慣れた男が通りかかった。
「あ、結城さん、お久しぶりです」高塩だった。「なんだか、雰囲気が変わりましたね……」
 竜也は髭も髪の毛も伸ばしっぱなしで、手に持った紙袋には衣類と原稿を詰めこんでいた。
「浮浪者同然でして――」
 大げさなことをいったつもりだったが、事実だった。
「めげずに頑張ってくださいよ」高塩は口先だけで励ました。「またサンライズにも投稿してください。こないだ見させてもらった〈消えたマントラ〉は、ウチでは使えませんでしたけど、デキはよかったですから」
「どうも」
「最近の新人は、どれもパッとしないんですよね。今年の漫画革命賞は受賞作なしですよ」
「そう……ですか」
「おっと失礼。それでは、また……」
 電話がかかってきたらしく、彼はスマホを取り出しながら立ち去っていった。
 漫画革命賞――懐かしい響きだった。昨年、曲がりなりにも受賞したのは自分自身なのだということを思い出した。いつの間にか昨年の受賞者としての誇りを失い、ホームレスと化してしまっている自分が、他人事のように思えた。
 だが、取るに足らない自尊心を大事にしていた過去の自分を思うほうが哀れだった。勝負の世界において、プライドを持つ人間は二流だ。それは芸術においても同じだと思った。周りの状況に左右されず、ただ目の前の作品に没頭し、無我の境地に達することだけが重要なのだ。
 メルクリウスなど、必要ない。万事を平らかにするために存在するというメルクリウスにさえも左右されない自分を築き上げるのだ。
「――結城さん、お久しぶりです」
 友金がやってきた。暗い顔つきをしていて、いつもの元気がない。骨折しているのか、右腕にギプスを巻いている。
「遅れてしまって、すみません」竜也は原稿を差し出した。「〈消えたマントラ〉の初回三話分の原作を書いてきました」
 三話分の原稿を依頼されてから、三ヵ月もの時が過ぎていた。なぜそんなに時間がかかったのかというと、教団が子どもを引き取っている理由を調べていたからだ。
 だが、わからなかった。これ以上、原稿を待ってもらうわけにもいかず、結局その部分は言及しないままに脱稿した。大槻ヒロシが竜也をシビアだと評価してくれたことが、いまとなっては心苦しかった。
「受け取れません」
 その声に顔を上げた。
「期日に遅れたことは謝ります……」
「違うんですよ」友金は首を横に振った。「じつはZ出版に、とある宗教団体から脅迫の電話や手紙が頻々ときているんです」
「まさか、その団体は、メルクリウス――」
 友金はギプスを巻いている右腕をさすった。
 竜也の担当編集者だという理由で、友金もメルクリウス教団の使者に暴行を受けたのか――。
「もしかして、僕のせいで迷惑を――」
「気にしないでください」友金はいった。「ああいう雑誌ですから、これまである程度の嫌がらせには耐えてきました。けど、大槻先生が仕事を降りるというのだから仕方ないです」
 竜也は声が出なかった。
「今回の話はなかったことにしてください」
 Z出版社を出た。手許には無用の長物となった〈消えたマントラ〉の原稿がある。他の出版社に持ち込んでも、Z出版の二の舞になるだけだ。首藤は反逆者である竜也の動きを監視し、地獄の果てまでも追ってくるだろう。
〈消えたマントラ〉の原稿を破り裂いた。散りぢりになった紙切れが風に乗って、ビルのあいだを飛んでいった。竜也は風の行く先を見つめながら、心が折れかけている自分に気づいた。
 ブルゾンのポケットに手を当てた。そこには一枚のタロットカードが忍ばせてある。三ヵ月前に古物で買い、一枚引きのタロット占いで引き当てたカードだ。
 ポケットから取り出し、その絵柄を目に入れた。
 ――山羊の頭、額には五芒星の刻印、背には翼、胸に女性の乳房、股間に男性器を備えた両性具有の悪魔――バフォメットの絵が描かれている。
 かつて首藤から譲り受けたことのある「両性具有」のカードに酷似している。が、バフォメットは黒魔術の神として、首藤が忌避するものだった。なぜか――? 竜也はこの三ヵ月で、そのわけを調べ上げた。
 メルクリウスが皆にセックスをうながすものであるのに対して、バフォメットはそうした創造行為の権利を皆にあたえず、独占した。そのためにバフォメットの信仰者たちは、男色に耽るよりなかったという。中世の宗教的秘密結社として知られる、テンプル騎士団などがそうだ。
 つまり、バフォメットは首藤とは似て非なるもの。彼の提唱するメルクリウス教とは真逆の存在なのだ。
 いまの竜也にとってこのバフォメットのカードは、首藤に打ち勝つための強力な御守りとなっていた。
「このままじゃ終わらせないぞ――」
 ギャンブルで培った竜也の勘は鈍るどころか、研ぎ澄まされていく。かならず、教団の実態を白日のもとに曝す――。
 竜也はバフォメットのカードをポケットにもどした。

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