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母の旅立ち

こんにちは
看護師まーです。

今回で母の闘病記は最後になります。
自分の母ながら、やっぱりすごい人でした。

母は強し

母の背中をみて学ばせてもらったなと思います。


緊急入院から急遽のドタバタ退院。
退院した翌朝から更に母の体調は悪くなり
胸の音がゴロゴロとしていました。それでも母は「息苦しくない、大丈夫だから」と、私以外の家族を仕事に送り出しました。

母のゴロゴロは治ることはなく、どんどん酷くなっていきました。
訪問看護師さんに看てもらいましたが、酸素の値は問題なし、本人が苦しがっていないなら様子をみようと言う事になりました。

お昼前
母から突然、家族みんなに家に帰る様に連絡して欲しいとお願いされました。
連日、母の入院や退院でみんな仕事の調整をしてるので、母のワガママでは連絡できないと伝えまさしたが、どうしてもみんなに戻ってくる様に連絡して欲しいと譲ってくれませんでした。

父、弟、私の夫に連絡を入れ、家に帰って来てもらう様に伝えました。当然ながら、みんな仕事なので母のワガママには付き合えないと言われましたが、母がどうしても帰って来て欲しいと言っている事を伝え、急いで帰って来てもらう事になりました。

父が1番に帰宅
父がどごまで母の残された時間があると思っているのかは分かりませんでしたが、さすがにかなり深刻な状況だと言う事は分かったようでした。それでも特別な言葉を母に掛けるでもなく、いつも通り「どないしたんや?大丈夫か?」と夫婦の会話をしていたように思います。

それから弟が帰宅し、最後に私の夫が帰宅。
全員が揃ったのは連絡を入れた3時間後の事でした。母の病状は午前中よりも更に悪化、胸のゴロゴロは強くなり息苦しそうでした。医療用の麻薬を使いながら様子をみていたのですが、とってもしんどそうだったので、もう少し症状コントロールをして欲しいと、再度訪問看護師さんを要請、往診医と連携をはかってもらい再訪問してもらう事になりました。

母と過ごせる最後の時間だと思ったので、訪問看護師さんがきた時に家族の集合写真を撮って頂きました。

母以外、皆んな泣き顔の写真
あまり見る事はありませんが、母の偉大さを思い出させてくれます。

訪問看護師さんが帰った後、母は家族一人一人に話しかけ始めました。
私には「お母さんがおらんくなっても、やっていけるか?後のことは任したよ。」と言う言葉でした。
心の中は母がいなくなったら、私はやっていけないと思っていましたが、間も無く旅立とうとしている母に安心して旅立ってほしくて、「お母さんに色々教えてもらってきたから、大丈夫。やっていけるよ。ありがとう。」と泣きながら伝えたのを覚えています。

母は家族一人一人に順番にお礼の言葉とこれから頑張るように伝え切りました。

その後、父の腕の中で程なくして母は眠る様に旅立ちました。

人生であれほど悲しかった日はありません。

いつまでも続くと思っていた大切な人との時間。時間はやはり有限です。
いつか私たちも旅立ちます。
どう生きるかは自分で決められる。
私は母の様に周りの人から愛される生き方をしたいと思います。

追記
母をおばぁちゃんにしてあげられなかったのが心残りでしたが、母が亡くなって翌月、私のお腹に新たな命が誕生していた事が分かりました。私は若年性の卵巣機能低下症があり普通には子どもができず、不妊治療を受けていました。それでもなかなか子どもに恵まれず母に赤ちゃんを見せてあげられなかったのですが、お母さんが赤ちゃんになって戻ってきてくれたのかなと思っています。

何か困った時、母がいてくれたらなぁと思う事が今でもあり、母の偉大さを感じ続けています。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

看護師まー



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