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成長している実感があるから、とてもうれしいんです。#FC今治でプレーする 横山夢樹

パスを受けて前を向くと、迷わずドリブルで仕掛けてゴールネットを揺さぶったプロ初ゴール。ほろ苦いデビュー戦に落胆することなく、結果で応えるたくましい姿に、これから描かれる成長曲線がポジティブにイメージされて、実に楽しみになってきます。今治で、自分は伸びる。すばらしい才能がここから鍛えられ、磨かれていくことになります。


▼プロフィール
よこやま・ゆめき
2005年9月23日生まれ、東京都出身。173㎝、68㎏。利き足は右。MF。背番号36。
FCトッカーノU-12(東京都)→FCトッカーノU-15(東京都) →帝京高(東京都)

■悔しさとともに眠りについたデビュー戦の夜

プロデビュー戦となった第2節・ツエーゲン金沢戦(〇3-1)は、途中出場、途中交代。悔しさを味わうと同時に、大いに発奮するきっかけになったと思います。

ピッチに入るとき、いよいよ試合に出られるうれしさがありましたが、自分の思うようなプレーがまるでできませんでした。3-0から1点返され、けっこう緊迫したムードの中で、自分は守備の理解が足りなかった上に、周りもよく見えていませんでしたね。

もちろん、そのときはめちゃくちゃ悔しかったです。『Jリーグのデビュー戦で途中出場、途中交代する選手なんているのかな?』と思いましたが、次の日が練習試合(対戦相手、スコアとも非公開)で、自分としては切り替えて、金沢戦の反省を生かすしかありませんでした。

金沢戦は、相手を全力で追いかける守備が際立ちましたが、その分、持ち味である攻撃面の良さを発揮し切れなかった印象です。

あの試合で、たとえばドリブル突破といった自分の特徴を封じ込まれていたら、ものすごく落ち込んでいたと思います。でもそうではなくて、守備に課題があっての途中交代。守備は自分の中でやり方を整理して、意識を変えることによって解決できます。デビュー戦の金沢戦は、自分が成長するための良い経験になったと今では思っています。

公式戦のピッチで一番、感じたのは、サポーターのみなさんの声援のすごさです。当たり前ですが、練習や練習試合とはまったく違いました。連動して守備をするとき、後ろからの声が聞こえにくいし、その中でもアクションを起こさなければならない難しさが、よく分かりました。

後ろの声を聞くことはとても大事です。でも、それに頼りっぱなしになるのではなく、自分で状況を把握してプレスを掛けに行く力をもっと付けないといけない。まだまだ力不足ですが、トレーニングから意識することで向上させていきたいです。

金沢戦翌日の練習試合には、気持ちをどのように整理し、切り替えて臨んだのですか?

金沢戦直後のロッカールームは最悪でしたね。チームが連勝して周りのみんなはめちゃくちゃ盛り上がっていましたが、自分だけ落ち込んでいました。トヨくん(阪野豊史選手)には『こういうこともあるよ』と励まされましたが、『いや、それでもやっぱり……』という思いが強かったです。

それで翌日の練習試合の前のミーティングで、服部(年宏)監督に『昨日の夜は眠れたか?』と聞かれたんです。正直、悔しくて仕方なかったのですが、睡眠はしっかり取っていました。金沢戦の悔しさよりも、練習試合で少しでも自分が良くなっているところを示したかったですから。それで『眠れました』と答えると、服部監督には『本当に?』と疑われました(笑)。

練習試合で特に意識したのは守備のところです。金沢戦はデビュー戦ということもあって、とにかく目の前の相手に寄せることしか考えられませんでした。でも、もっと冷静に『こちら側から寄せていこう』と周りを見ることを意識しながら守備できたと思います。

金沢戦から2週間後のY.S.C.C.横浜戦で、プロ初先発のチャンスが来るとは思っていませんでした。試合前には服部監督やチームメートから『思い切りプレーしてこい』と声を掛けてもらって、リラックスして、いい形で試合に入れたと思います。それがゴールにもつながって、本当によかったです。

■すべてのタッチに意味がある

金沢戦の悔しさをばねに、YS横浜戦に臨むことができたわけですね?

スタジアムに入るときは、かなり緊張していました。『また早い時間で交代になったらどうしよう』『自分がボールを奪われて失点したらどうしよう』といったネガティブな思いがありましたが、ウォーミングアップでピッチに入ったときは、そこまでの緊張はなくて。試合になったら、楽しい気持ちでいっぱいでした。

金沢戦の悔しさが、YS横浜戦のゴールにつながったかどうかは分かりません。ただ、『金沢戦の分も、やってやる』と力むよりも、『いつも通りにプレーしよう』という強い思いを持っていました。そしてゴールを決めることができて、『これを、これからも続けていきたい』と感じましたね。

YS横浜戦の前には、『次に出番が来たらドリブルで仕掛けて、思い切りシュートを打ちます』と話していましたが、まさにその通りのプロ初ゴールでした。

虎くん(近藤高虎選手)の前にスペースがあって、うまくそこにポジションを取ることができました。そして虎くんがパスするタイミングで相手が寄せてくるのが分かって、わなを仕掛ける感じでボールにタッチしたらうまく食いついてくれて、一気に剝がすことができたんです。そこからは、いつも居残り練習で繰り返している角度からペナルティエリアに侵入して、決めるだけでした。

パスを受けてからシュートまで、すべてのタッチに意味があったわけですね?

ゴール前までボールを運んだとき、ヴィニ(マルクス・ヴィニシウス選手)が僕の名前を呼んでいるのが分かりました。でもシュートを打ち切ろうと決断して、足を振り抜いて本当によかったです。

決めた瞬間は、ちょっと信じられないというか、『現実なのかな?』という不思議な感覚で、もちろんめちゃくちゃうれしかったです。関東の試合ということで、家族や知り合いもたくさん応援に来てくれていたし、プロの世界ですから、ゴールを決めることによって見られ方も変わります。だからこそ、これを継続しないといけないと思いました。

YS横浜戦のゴールは、2024年2・3月のJ3月間ベストゴールに選ばれました。

試合の後、家族や友だちから、たくさん連絡をもらいました。でもその後、メンバーに入らない試合もけっこうあって。『あれで満足してはいけない』という思いで取り組んではいましたが、正直、複雑な気持ちでもありました。その中で、J3でベストだと認めてもらえたのはとてもポジティブなことだったし、うれしかったです。

メンタル的にネガティブになると、ドリブルにも影響するんですよ。プレーが後ろ向きになってしまって。YS横浜戦でゴールを決めたからこそ、あれ以上のゴールを決めたいんです。次に出番が来たら、しっかり点を取りたい。その思いが、いっそう強まっています。

父・博敏さんはかつてジェフユナイテッド千葉(当時は市原)や横浜FC、ヴァンフォーレ甲府などでプレーし、兄・歩夢さんは現在、J1のサガン鳥栖でプレーしています。まさに、Jリーガーになるべくしてなったという環境だったのではないでしょうか。

3歳くらいからボールを蹴っていましたね。歩夢とはいつも1対1をしていて、負けたら悔しくて泣いていました(笑)。父と歩夢と3人で、公園でボールを蹴ることもありましたね。

歩夢は今、J1の舞台に立っていますが、子どものころはむしろ僕の方が目立っていたんです。父に は、『あのときの悔しさがあるから、歩夢は今、J1でプレーできているんだぞ』と言われます。

■僕の特徴を分かってくれているからこそ

ドリブルは子どものころから得意だったのですか?

もともと自分は、自主練習とか大嫌いだったんですよ。だけどコロナのタイミングで、『このままではまずいな』と思うようになって。いろいろな活動が自粛になって、時間ができたこともあったので、友だちとずっとボールを蹴っていたら、どんどんドリブルが上達して、いつの間にか自分の持ち味になっていきました。

FC今治でのプレーを見た歩夢選手から、アドバイスを受けることはありますか? 

ほとんどないですね。FC今治でのプレーを見てくれているとは思いますが。ただ以前、東京の実家に帰ったときに、歩夢が「ファーストタッチが大事なんだ」と言ったことがあるんです。僕に直接、言ったわけではなくて、会話の流れだったんですけど。

あとから母に、「あれは夢樹へのアドバイスだよ」と言われて、『え、そうなの?』となりました。まったく、そんな感じではなかったんですよ。でも間接的に、僕のプレーを見て感じたことを伝えてくれたのかもしれませんね。

Jリーガーになることが明確な目標になったのは、いつごろですか?

帝京高校に入るときには、すでに目標でした。やるからにはJ1のピッチに立ちたい思いがありましたが、高校2年のとき、FC今治の練習に参加することになったんです。今治に行ってみると、自分がとてもフィットしている感覚がありました。それはすごく大事なことだと感じたし、背伸びしてJ1のチームに入ってすぐレンタルに出されるよりも、FC今治で着実に試合に出場する経験を積み重ねていきたいと考えるようになりました。

FC今治はチームの雰囲気がいいのはもちろんのこと、サッカー面もしっかりしていると感じたこともあります。去年のキャンプにも参加しましたが、J1やJ2のチーム、韓国のKリーグのチームと練習試合をやっても対等に戦えていたし、何よりとてもプレーしやすかった。それで高校3年生になる前に、FC今治に入ることを決断しました。

実は、監督の日比(威)先生には、『決めるのはもう少し待ってからでもいいんじゃないか?』と言われていたんです。U-18日本代表にも選ばれて、FC今治以外にも興味を持ってくれるチームが出てくる可能性もありましたから。

でも僕は、自分の特徴をよく分かってくれているFC今治が良かったんです。J3で活躍すれば、道も開けるはずだし。歩夢がJ3の松本山雅で結果を出して、J1の鳥栖にステップアップしたのを見ていたこともあります。焦るのではなく、試合に出て、しっかりと活躍する。それこそが大事だという自分の気持ちを家族にも伝えたし、学校でも毎日、昼休みにサッカー部の部室に行っては、日比先生に訴え続けました。

そして高校3年になる直前の去年の3月22日に、2024シーズンのFC今治加入が内定しました。チームで求められるものは何だと考えていますか?

一番は、違いを見せることです。ドリブル突破で終わるだけではなく、決定的な仕事をする。プロ1年目とか関係なく、結果を出していきたいし、毎日の練習から全力で意識しています。

高校までとは違って、今は毎日に人生がかかっています。練習のプレーによってチームメートの信頼を得られることもあれば、逆に一気に下がったりもする。そんな緊張感の中でサッカーをやれています。自然と、プレーの責任感にもつながります。

プロになって、ボールを持っていないとき、オフザボールの意識が一番、変わりました。高校まではあまり考えずにボールを受けて、どんどん仕掛けていけばよかったのですが、プロでは仕掛けることさえ難しい。常に周りの状況をしっかり見て、どういうポジションを取れば自分の特徴を発揮できるか、頭を動かし続けなければなりません。それは守備をするときにもいえることで、高校とは全然違いますね。

■負けたくない気持ちも忘れずに

帝京高校でも一緒だった梅木怜選手の存在も、大きな刺激になっていると思います。

シンプルに怜はすごいです。本人に直接、言うことはないですけど。年代別の日本代表の常連だし、自分たちの世代では一番すごい右サイドバックだと思います。ポジションは違いますが、正直、負けたくないです。

僕もU-18日本代表には入りましたが、入り続けることができていないのが現状です。怜はU-18、そしてU-19と常連ですからね。高校からずっと一緒にサッカーをやっているので、怜のすごさはよく分かります。

ただ、そこにとらわれすぎるのではなく、毎日のトレーニングで自分がやるべきことを着実にやり続ける。今は、そう考えています。そして、負けたくない気持ちも大事だと思うので、頭の片隅に置きながら、がんばっていきたいです。

第7節・FC大阪戦(△0-0)で途中出場し、プロデビューとなった梅木選手のファーストタッチが、裏を取ろうとする横山選手を狙った縦パスでしたね。

怜だからこそ、あそこでパスが出てくるんですよ。信頼関係があるから、僕も動きだしました。高校でも、怜から自分へ長いボールで展開することがよくあって、しかもあいつはミスをしない。キックの精度がすごいし、視野も広いから、動きだせばパスが来るんです。

これからのFC今治でホットラインになっていくのが楽しみです! いよいよプロとしてのキャリアをスタートさせたFC今治で実現させたい夢を聞かせてください。

プロとしてプレーする以上、日本代表としてワールドカップでプレーするのは大きな夢です。そして、今の代表は海外組が多い。ゆくゆくはヨーロッパで活躍するような選手になりたいです。18歳というのは、世界で見れば若手だと甘えられる年齢ではありません。将来、ヨーロッパでプレーしたいということを忘れず、FC今治でどん欲にチャンスをつかんで、チームの勝利に貢献するために練習から取り組んでいきます。

ワールドクラスのプレーということで、中学のころは、ネイマール選手のプレー動画をよく見ていました。今は三笘薫選手(ブライトン)や、FC東京の俵積田晃太選手の動画を見ることが多くて、結局は自分のやり方になるんですけど、『こういう仕掛け方、抜き方があるんだ』と刺激を受けています。俵積田選手は僕と年齢がほとんど変わらないのに、去年、プロ1年目から大活躍ですよね。自分も今治でやらないと、という気持ちになります。

今治で、どんどん成長できる実感があってすごくうれしいです。プロになって改めて気づかされたオフザボールのところを大事にしつつ、自分の特徴も忘れずに、ドリブルで仕掛けて結果を出していきたいですね。

取材・構成/大中祐二