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おまえの涙腺の固さ具合、知らんし。

小5の時、すんごい泣き虫の転校生の男の子がやってきて、ほぼ毎日、手の掌底あたりで目をグリグリさせながら、うわーんって声を上げて泣くものですから、席が近かった私は、「大丈夫だから」「ぜんぜん怖くないから」と言って彼の背中をさすり、ほぼ毎日、彼を泣き止ます係をしていたのである。毎日のことなので、だんだんと彼を泣き止ますコツを覚えてきて、泣き止ますまでのタイムアタック的なことも密かにやりつつ、泣いている理由が、「新しい学校で不安だから」とか「クラスの誰々に冷たくされた」ではなく、「朝お父さんに怒られたから」だった時は「それは知らん」と言って突っぱねたら、彼もフフッと泣きながら笑っていました。

数週間も経つと、彼が泣く回数もだんだんと減ってきて、ようやく新しい学校にも慣れてくれた、クラスの一員になってくれた、と私も胸を撫で下ろしていたのですが、転校してきてからちょうど半年過ぎたあたりの朝、私が教室に入ると、彼がいつもの姿勢で爆発したように号泣しているのである。ちょっと様子が尋常ではない。この泣き方は自分の心の弱さから泣いているのではなく、泣くための大義名分が彼の中にある時の泣き方であって、いつもの泣き方が60だとすると、150のパワーを使って泣いている。これは何かあったなと思って、彼に事情を聞くと、また転校することになったのだという。「せっかくクラスのみんなと仲良くなったのに」「絶対に転校したくない」という彼の主張は、私が親身になって彼を泣き止ましてきた成果でもあり、まあこればっかりはしょうがないよ、と慰めつつ、自分も悲しみながら少し誇らしい、そんな複雑な感情を抱いたことを覚えております。
そんなこんなで彼のお別れ会もつつがなく行われ、そこでも彼は号泣しながら「みんなのことは絶対に忘れないから」という言葉を残し、新しい学校へと転校していきました。それが確か11月の月末あたりのこと。

二学期が終わって冬休みに入ったある日、私は家でクラスメイトへの年賀状を書いていたのですが、転校した彼にも送ってあげようと思い立ちました。しかし住所がわからない。新しい住所の電話番号は知っていたので、彼に直接聞こうと思って、約一ヶ月振りに電話をかけることにする。もう新しい学校には慣れただろうか。また毎日のように泣いているのではないか。その隣には私のような泣き止ませ係はいるのか。もしもし。彼のお母さんが出る。前の学校のクラスメイトの…と名乗る。あーはいはい、と言ってお母さんが彼を呼ぶ。ものすごく不機嫌そうな彼の返事が聞こえる。嫌な予感。彼が電話に出る。おまえに年賀状を書こうと思ってさ、住所が知りたいんだけど。そう伝えると、彼は開口一番「今新しいクラスの子とゲームしてるんだけど…」と不愉快を隠そうともしない口調で、私に言った。ふーん、ならいいわ、と言って私は電話を切った。それ以来、彼とは一度も会っていない。これが最後に交わした会話である。彼から年賀状が来ることもなかった。おそらく今生において、これが私と彼との最後の接点となるだろう。

この電話を切った瞬間から今に至るまで、私はすぐ泣くやつを信用していない。彼は心が繊細でやさしいからすぐ泣いてしまうのではなく、涙を流すハードルが低いだけだった。よくよく考えたら、泣いていない時の彼はそれほど良いやつではなかった。彼が泣いている理由はすべて「自分が可哀想だから」であって、彼が自分以外の理由で泣いたことなど一度もなかった。よく映画を観た感想で、「6回泣きました!」とか言っている人がいるが、いやいや、おまえの涙腺の固さ具合知らんし。と思ってしまう。涙はただの生理現象である。心の調子が悪かったら『とっとこハム太郎』を観ても泣くだろう。作品の評価基準にはならない。生理現象の報告をするな。どうしても涙を流したことを報告したいなら、鑑賞中に屁もこいただろうから、屁の報告もしろ。「6回泣きました!あと、屁も2発こきました!」これなら【生理現象の報告がしたい人】として、成立する。涙腺の固さは人それぞれなのだから、あなたが涙を流したことは、信用に足る情報にはならないのである。

人が悲しみに暮れて泣いている姿というのは、圧倒的な弱者に見えるので、私のようなカインドボーイはうっかり憐憫を感じて手を差し伸べてしまうのであるが、その対象がやさしい心を持っているのかは別問題、ということを、血涙を流しながら書き記すことで、今回のnoteを終わりとする。

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