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【超考察】スクールアイドルミュージカル再演感想レポート(三万字超)


まえがき


 スクールアイドルミュージカル千穐楽、終演!!!(3週間前)
 と、言うことで観に行かれた方も多いと思います。しかしながら、(私も初見がそうだったように)舞台芸術に疎いライバーからすると、わりとハイスピードで進む話を細かいところまで追えられなかった方も多いでしょう。そこで昨年の初演千穐楽と今回の昼夜の計3回だけしか見ていませんが、私のオタク語りついでに色々考察できたらなと思い泥酔の中筆を取った次第であります、アンズ部長!


 イベント後は記憶がトぶ人間なので整合性の面から、『スクールアイドルミュージカルアルバム』を参照して曲ごとに区分けして、それぞれのストーリーについて詳しく深堀りし、スクールアイドルミュージカルが何を伝えたかったのかを書いていきます。
 前回はネタバレを控えめにするためにも演出やストーリー構成など、裏目な話題を主軸にしましたが、今回はストーリー、キャスト、演技、小ネタ、演出を、オタクの妄想合わせて込み込みでお送り致します。

 なお、リアルが忙し過ぎて3週間もかかってしまいましたが、その分かなりのボリュームにできたので是非読んでいただけると幸いです。酔った勢いで書いてるので文法ガバガバにもご容赦下さい。


ストーリー考察


きらりひらり舞う桜


 脚本家「取り敢えずこれで一発オタクぶん殴って黙らすか〜!😁👊」

 という発想で産まれた(偏見)神曲。筆者は初演後きらりひら難民となり、アルバム発売まで延々とゲネプロ映像を流していました。
 
 軽快なパーカッションから始まるきらりひら〜。かなり明るめな曲調な正統派アイドルソング感がありますね。
 「駅で、電車で〜」と女学生らしさを前面に出しており、恐らくライバーであろう観客へ『これはラブライブだよ〜』というアピールとして女学生+アイドルらしさ(ここでは“スクールアイドル”とは言わないでおきます)を出しているのだと思われます。
 いい歳こいてる我々のノスタルジーを刺激してきますね……

 前記事でも述べたように、ミュージカルは最初の掴みの曲がかな〜〜〜〜り重要。巨大なライブ会場に慣れたオタクが超至近距離で、計算された音響を以って受ける激烈な音圧も含め圧倒されたことでしょう。きらりひらは正にピッタリでしたね。
 ただ、この曲は単なる導入のライブシーンではなく、ちゃんと物語としても次に繋がっているのです。それこそ第二の導入かつストーリーの重要な土台となるあなたがセンター

あなたがセンター

  まず最初にビビるのがキョウカ理事長(岡村さやかさん)のブッ飛んだ歌声。
 「特に新入生ェ~↑‼♪(美声)」はそこのけ小娘どもと言わんばかりの声量ですが、それもそのはず理事長二人はガチの舞台女優。方や15年のキャリアを持つベテランミュージカル女優、方や元宝塚月組トップの天才女優。大抵の観客はこの声と演技で「あっ、この舞台マジじゃん…」と理解できるでしょう。

 理事長は裏の主役と言っても過言ありません。が、また後に語るので話を戻すと、理事長はアンズに対し「息を切らしてるなんて〜」と叱咤しています。
 ここできらりひらを見返す(見返させてくれ…)と、序盤は確かに完璧なパフォーマンスなのですが、確かに終盤を見るとルリカだけ明らかに息切れしているんですよね。胸に手を当てて前かがみになっているのでわりとわかりやすい演技なのですが、筆者はギリギリ千穐楽に気付けました。マジでホッとした
 そして後述(「君と見る夢」項参照)の点も含めると、きらりひらは既にストーリーの一部である上、明るい曲調の裏でアンズの心身を蝕む現況を示唆している超重要な場面ということです。先に言ってくれ…

 この後に理事長が決めポーズを続ける笑いポイントも、ここでは単純にコメディ要素を見せて、気軽に笑っても良いんだよ〜と初心者のライバーに舞台芸術が大衆娯楽だということを伝える意味が含まれている良い場面だと思っています。

夢見る世界

 続いては場面変わって椿咲花のルリカのシーン。筆者がかなり好きな曲です。
 まずはルリカの独白。アンズへの憧れを抱くも父親と約束を思い出して憧れだけで終わってしまいます。
 因みにラブライブ!の女尊男無の演出から声が聞こえない高坂父や高海父、澁谷父と違いルリカ父は明確にこの世にいません。故人です。"最期"に交わした約束です。
 シリーズでは他に船乗りの渡辺父、海外にいる葉月父、明確にされていませんが家には居なさそうな近江父等がいます。ただ、明確にキャラクターに影響を与えている父親キャラは初めてな気がしますね(葉月父は資金援助やゲーム漬で娘と関わっていますが、どちらかと言えば舞台装置的役割なので別)。

 この時点では父親がキーポイントなことしか示されていませんが、次の「伝統の系譜」では父親との約束の内容が歌われています。これを加味すると、ルリカの成績はその約束を動機に保たれていたことがわかりますね。
 そして、ルリカは物語開始(アンズを知る)まで成績トップを保ち続けたバケモン頭脳の持ち主ですが、サボるとすぐ結果に出ることからも所謂天才型ではなく、努力でトップを勝ち取っている一般人なことも推測がつきます。つまるところ彼女の精神性としては非常〜に責任感の強い、大人びた理性を持ち合わせているのだと言えます。更に転じて、それを上回る程のアイドルに対する憧れはとても大きなものであることも読み取れるでしょう。
 
 続くのは椿咲花アンサンブル+ネームド4人の歌唱。事前情報だと名門進学校くらいしか情報がないのでおしとやかなお嬢様学校なのかな?と思わせてからの「勉強~♪勉強~♪」のインパクトがまたすごい。
 
正に我々の認識が「人は云う~」という歌詞そのままであり、物語内での世論=観客となるので、このギャップは様々な面で没入感を上げてくれます。
 学校の説明となる最初の導入で滝桜はアイドルを目指す少女たちの明るさとその裏の難しさを表現しましたが、こちらは勉強や成績(を課す、“今時流行る訳ない=時代遅れ”の大人)がしがらみとなっているだけの普通の女学生。見事な対比になっています。

 因みにここ、ネームドキャラの中で一番豪快に教科書を振り回してるのが(多分)マーヤなんですよね。勉強嫌いの彼女ならではと言った感じかな?
 皆様も、ミュージカルでは話してないキャラもチョロチョロ動いて可愛いな~と思った方が多いんじゃないでしょうか。
 例えばアニメーションだと、スクリーンという狭く切り取られた空間の中に観客の視線を閉じ込める関係上、喋らないキャラクターに個々の動きをつけてしまうと視線が散乱し鑑賞の邪魔になってしまいます。しかし舞台では広い空間で観客が自由に視線を動かす(または誘導する)ことができるので、複雑な情報の提示を行ってもメインのストーリーを妨害する可能性が低くなるのです。 
 そういった身体での情報伝達ができるのも舞台芸術の面白さだと思います。

 この後の台詞部分では椿咲花5人組の関係性が見えてきます。また順番的にはもう少し後ですがドルオタバレ(次週週間テスト結果発表)のところまで通して書きますと、椿咲花5人組もかなりミーハーな、お年頃の女学生であることがわかります。
 更に勉強などに対しても強いプライドがある、という訳ではないようです。これがわかるのがルリカの成績に対する各々の反応で、実は彼女たちってルリカの成績低下そのものに対しての心配や叱咤はしていないんですよね。
 「これまでずっと1位だったルリカ」が2位になったというイレギュラーな自体に混乱しているだけで、マーヤは体調不良や気分転換などルリカ本人の心配をしていますし、ヒカルはルリカの反応を見てあまり心配せず、新しいことでも始めたら?とかなりポジティブです。ユキノは大袈裟に留年の心配までしていますが、それ以外はルリカの力になりたい、など悩みや問題があるのではないかという心配が勝っています。
 つまり彼女たちは、「ルリカの成績が下がった」から騒いでいるのではなく、「成績が下がるほどのことがルリカにあった」から騒いでいるのです。

 では、ルリカの幼馴染のユズハちゃんはどうでしょうか。
 彼女も最初は楽観視していますが、次週の結果発表ではユズハトルネードや再演で進化したユズハトルネード改(最早回転していなかった)を見せるなど、一番意識しているのは間違いありません。これは彼女が学年2位であり、5人の中で相対的に順位が変動したのがユズハだけ……つまり唯一影響を受けている当人だからと思われます。
 ここだけではただのヤバい幼馴染ですが、物語が進むにつれユズハの心境が更に深く見えてくることになります。
 さてこのユズハちゃんですが、彼女は習い事を大量にやってる上で全国トップ進学校で成績2位を取り続けている真正のバケモンなんですよね。ルリカが塾のみ?なのと比較すると多分こっちの方がイカれています。恐らく一番ヤバいのはこの幼馴染だと覚えておいてください。後で出ます。

伝統の系譜

 ルリカとマドカ理事長の歌唱。前述しましたがこちら(蒼乃夕妃さん)も歌声がダンチです。理事長二人に言えることですが、声音に感情が十二分に込められているのは大前提として、ビブラートなどの技法を備えた上で単純に声量が大きいことに加えて、とてつもなく聞き取りやすいんですよね。音響上声が響きやすくブレやすい劇場内であの明瞭さは凄まじいものがあります。 
 人は見たいものが見えない、聞きたいものが聞こえない時にストレスを感じる構造になっているので、一字一句聞き取りやすい声というのはそれだけで心地良いものなのです。
 

 ここからはちょっとした妄想になりますが、理事長の背景を妄想してみましょう。「伝統の系譜」を聞く限りマドカ理事長は毒親という訳ではなく、娘の将来を真剣に考えている母親なんですよね。盲目的に目の前の成績に固執する訳ではなく、将来、ひいては椿咲花の次期理事長となった時に勉学が助けてくれるという確信を持っています。
 理事長は二人とも全国模試で1位と2位を取り合っていたのでかなりの才女です。そこから半分くらいオタクの妄想をプラスして考察すると、マドカ理事長は勉学によって大成したのではないでしょうか。

 識者によると劇中でガラケーを使用していたことや、ネットではなくマスメディアが主体となっていること、サヤカをはじめ滝桜アンサンブルにもルーズソックスを履いている生徒が何人かいることから、時代設定は1990年代~2000年代?くらいと言われています。間を取って2000年と考え、その16年前の平均第一子出産年齢がだいたい27歳なので、理事長たちは恐らく1957年頃に生まれたと考えられます。
 彼女たちは学校経営者なので参考にはなりませんが、男女雇用機会均等法制定が1985年。しかもこの頃は努力義務であり、(年齢に誤差±10年しても)彼女たちが大人になった頃は、あまり女性にとって社会的に進出しやすい時代とは言えません。もしその時代に成り上がったとするならば、マドカ理事長が自分と同じように娘に勉学に励ませるのはごく自然なことではないでしょうか。
 学校の理事長になるには学校法人を作る、既存の学校を買収する、先代から受け継ぐなど様々な方法があるらしいです。恐らくは相続の可能性が高いですが、どの道でも厳しいことには違いないでしょう。それも含めるとマドカ理事長の心境も理解できてくると思います。彼女は実体験から、学生のうちに力をつけていないと将来苦労するのは当人だと理解しているのです。(8割妄想)

 また、キョウカ理事長に関してはここまで深い妄想はできませんが、ヒントはあります。マドカ理事長がアンズの転校後、「おばあさまの家から通っている」と言っています。この”おばあさま”がキョウカ理事長の母親(義母の可能性も?)として、更にイナズマイレブン並の突発的転校をここはひとつ”おばあさま”の助力と考えて(妄想して)みると、彼女はキョウカ理事長にバレずにアンズを転校させ、通わせるという財力と権力を持った、マドカ理事長にも認知されている(昔馴染みなのでただ面識がある可能性もあるが)ご婦人となります。

 そんな人間が親類にいれば、キョウカ理事長は莫大な金銭が力になることを理解しているはずです。これを基に上記の情報を9割を妄想で固めると、キョウカ理事長がやたらと知名度向上による資金集めを重要視しているのは、金銭関係で問題があった経験があるから。なんて考えも浮かんできます。
 例えば権力者の元へ嫁いだ実家が様々な社会情勢でダメージを受け傾いたアイドルを目指していたけれど売れずに挫折した……等々。これ以上は9割9分どころか十二割妄想になってしまうのでここまでにしておきますが、二人の内容は大違いな青春時代もフィーチャーされると嬉しいですね。

話を戻します。

目指せメジャーデビュー~輝かしい未来

 滝桜の生徒は我の強い人間が多いです。特にサヤカミスズはそれぞれダンスと歌に絶対の自信を持っている(多分順番合ってる、逆だったら指摘お願いします)ようで、虎視眈々とエースを狙っていることが示唆されています。
 それにしてもセンターについて話してる時の感じ、リアル女子高っぽくて怖い……知らないけど。現実でもこんな感じにヒリつくんですかね……?

 ところで、滝桜と椿咲花だったら滝桜のが良くね?と思った方も多いのではないでしょうか。
 しかしながら、「輝かしい未来」でキョウカ理事長は明確に「今を楽しむ暇は無い」と歌っているんですよね。つまり根本ではマドカ理事長と同じく今を犠牲にして未来のために努力することを強いているのです。彼女たちはスクールアイドルではなく芸能コースアイドル部。ルリカがドルオタ化したことを暴露した辺りでヒカルが「芸能コースなんてプロみたいなもん」と言っていますが、正にその通りと言えるでしょう。プロとはあくまで社会の一員であり、それに応じた意識が求められるものですから。

なりたい自分


 基本的にルリカとアンズはイコールの関係性、同じ心理状態にあります。序盤では互いに元々母親想いですが、それに揺らぎが生じている状態です。  
 また、本作にはこの2人だけでなく椿咲花と滝桜、そして理事長と娘など密接な二項関係が多く登場します。きっと国語の授業で習ったと思いますが、何か2つの事柄が挙げられていればそれは大抵対比か等号を表します。このことは本作でも一貫しているので頭に入れておいてください。

 ちなみにこの曲名「なりたい自分」ですが、これは自分”が”なりたいのではありません。今は変わってしまったけど、純粋に歌を楽しんで母親を喜ばせられていた昔の自分”に”なりたいという懐古的、後悔的な意味だと筆者は考えています。
 その上で、アンズは母親が満足いっていないのは現在の自分の力不足だと理解していて、だからこそ自分がいなくなることで他の実力のあるメンバーがセンターになり、母親も満足のいくクオリティのチームになるはずだ、という想いもあり、結果転校を決意したのだと考えられます。

 ルリカももう少し後に母親にアイドルがしたいと打ち明けたますが、それはアンズの編入を知り、アイドルも勉強も両方頑張ればいい(約束も守る)という結論に達したからです。それまでは明確にアイドルをやりたいと宣言することはありませんでした。
 アンズもルリカも、根本として親への想いと利己心のどちらかに傾き切ることはなく、人格を因数分解できる単純なキャラクターではなく人間らしい多面性の精神をしていると言えるでしょう。

きらりひらり舞う桜(Reprise)


 ミュージカルなどの舞台芸術において、場面転換の方法は様々です。小物を使ったり音響照明を使ったり、舞台装置を動かしたり。作品の演出とその世界観によって個性的な場面転換を見るのも醍醐味の一つです。そして今回は夢と現実の転換。ここを夢で躍らせたのは非常に上手いと感じました。
 知っての通り我々のような教養のないオタクは自分のテリトリーであるアニメラブライブ!に引っ張られ、ライブパートに強い特別感を抱く人間です。そんな我々はライブ(歌劇)シーンと物語が連結、交互に現れるミュージカルに慣れていません。

 そこで巧みなのが、演出としてその認識の差異を利用している点なのです。
 ルリカにとっての特別な時間かつ夢という独立した時空間にライブシーンを持ってくることで、観客とルリカでこのシーンが様々な意味で特別な場面なのだと、我々のメタ感覚と連動させる演出が成されているのです。曲中でルリカの挙動不審にあれ?と思わせているのも、夢オチに納得させる効果的な手段でしょう。
 

ここずっと寝てるマーヤ好き…

わが校の流儀

 理事長たちの背景が説明されます。何気に2校が初めて交わる場面ですね。やはりプロと言うべきか、初演よりも演技が進化していて感動しました。「三流学校~♪」の後にマドカ理事長が高笑いを上げるのですが、多分これ初演だと無かった?演技ですね。これでおっ⁉となりました。
 更に千穐楽では「化石学校~♪」の後にも「なっ…⁉」と反応する声を小さく入れていたのですが、(私の記憶が正しければ)楽日の昼公演には入っていませんでした。こういった何度も観ることでわかる楽しさ生ものの特権です。
 更にもうお気づきかもしれませんが、このシーンまで理事長たちはわりとコメディチックな部分が多いのです。これは二人を「憎めないキャラ」とすることでこれまで単純な障害的な役割を担うことが多かった、(生徒会長や)理事長といった主人公よりも格上のキャラクターでありながらもヘイトを買うことを防いでいると推測できます。
 経営者会議で他の理事長?たちがコテコテの関西弁でコミカル面を強調しているのも、我々が大人という不慣れなイレギュラーに対して拒否感を抱かないようにしているのかもしれません。
 この他基本的に笑いところが多く設置されているので、演技とのギャップに挟まれて我々は理事長沼に堕ちていくわけですね。

それぞれの役割

それは、皆の意見?それとも…貴女の意見?

なんだこの演技力……皆殺しのレヴューかな?

 本当に背筋が凍りつくような声音の変化にビビりまくりでした。もうここしか覚えてない……

平凡な未来


 椿咲花の生徒は親の影響が強く進学校として入ってきた者が多そうですが、だからといってそれが本当に自分のためになるのか?という疑問は当然のことでしょう。現実世界でも誰もが抱えた悩みだと思います。
 彼女たちは進学校生ですがあくまで平凡な学生であり、キラキラ輝いて見える滝桜アイドル部に憧れを持ちます。

 同時に高校生になり、自然と自我が形成されていくも将来への見通しがつかないことへの不安に苛まれる。アイデンティティを模索しているはずなのに見つからない。そういった現状に疑問を抱き始めているのです。
 そして滝桜と比較し、(ほぼ)プロとして活動する彼女たちを大人として、自分よりも上の存在として認識し、逆に親に選択を任せている自分たちがちっぽけな子供に見えてきているのです。でもそれ以外の生き方を知らず、いつか滝桜のような輝かしい未来が見えるのか。
 そういったは漠然とした不安を歌った場面ですね。

 

噂の転校生~発足!椿咲花アイドル部


 アンズが転校して、深く二校が関わり始めるところで前半終了。本公演は50m/20m/50mと公演時間のわりに休憩がしっかり取られていると思いますが、これも舞台初心者を意識してのことと考えると、良い切り方だと思います。

 個人的な話をすると、初演ではあまりキャラを覚えずに観ました。30分ほどで見分けがつくようにはなったのですが、やはり2校が混ざると多少なりとも複雑化します。
 そこで休憩時間に改めてチラシやパンフレットを見て確認したりすることではっきりと認識できたので助かりました。更に言えば物販を買いに行く観客が非常に多かったので、そういった意味でも理に適った、互いに利のある設計なのでしょう。

 歌劇パートとしては、まず「噂の転校生」。アンサンブル(椿咲花一般生徒)が歌うことからも「夢見る世界」に似た構成です。ここで詳しく示されているのが、ルリカたち以外も世間やアイドル、更に本来天上の存在だったアンズが自分たちの近くへ舞い降りたこと等に対して強い関心を持っていることです。
 一見してそこまで重要でもない、状況説明的な歌詞に思われますが、後半の「深まる仲」で描写される一般生徒の感情に説得力を持たせる重要な役割を担っているのです。
 こういった物語舞台芸術作品においてアンサンブルの立ち位置は、アニメーションの“モブ”よりもずっと表現価値が高く、ストーリーを読み解くにあたってボディーブローのように効いてくることが多いので注目です。

 そして前半の〆である「発足〜」は最も盛り上がるように歌われています。マドカ理事長の「部長~!!!!!」(クソデカボイス)からの歌い出し、そしてキョウカ理事長+滝桜のガチギレ歌唱とその演出など一気に畳み掛けてきましたね。個人的には、滝桜生徒のパートがアイドルを舐め腐ってる(ように見える)椿咲花への怒りが爆発していてお気に入りです。

 キョウカ理事長、滝桜生徒、マドカ理事長、アンズ、ルリカ、椿咲花生徒と様々な立場が錯綜しており、それぞれが文字通り入り乱れて歌っていることからも非常にカオスな場面です。
 この場面は滝桜と椿咲花の実質的ファーストコンタクトであり、ここからアンズをはじめ感情が変化したり立場が入れ替わったりと目まぐるしく物語が進んでいきます。なのでそのスタートとして対バン形式で歌わせることで、二校の立場や意思をはっきりさせる役割も果たしていると推測できます。
 ここで引くのも「こんなことになるなんて〜」という感情を観客とリンクさせる、良い引きだと思います。

 またこの前に理事長同士で電話するシーンもあるのですが、こちらもパワーアップしていましたね。特にわかりやすいのはキョウカ理事長の「チャラチャラってあなちゃ!」とわざと噛む台詞。(多分)初演ではなかった(と記憶してる)ので再演でのパワーアップだと思います。また次の「エースなの、センターなの、看板娘なの!」もコミカル具合が増しており、笑いが大きく感じました。
 マドカ理事長も「フン!」や「イーだ!」などの感情表現がより顕著になっており、再演や千穐楽に対する気合の入り方が伺えますね。それにしてもこの二人、互いがベテランだからって好き勝手演技しまくってるのでは……?

新しいチャンス


 ホンットに理事長の歌唱力エグいっすね……流石に言い過ぎてしつこいとは思うんですが、それ程の衝撃だったので何度でも言います。初めてマトモに見たミュージカル鑑賞がスクミュで良かったァ……(感嘆)
 さて、この時点で滝桜アイドル部は崩壊の兆しを見せています。理事長はキレっぱなしですし、ミスズたちは巡ってきたセンターのチャンスにギラギラしています。この時点では単純に「アンズが抜けた」ことしか理解しておらず、後にその影響を理解らせられることになります。まぁつまるところ……ギスギス滝桜、再び。
 
 
またそれとは対称的に、後半部分はアンサンブルのみで歌っていることからも、センターは欲しいけどそれとは別にアンズがいた頃が好きだった、という他メンバーの気持、チームとしての乖離を示しています。というかこのシーンマジで空気悪くて初見ビビりました。女子高ってやっぱこんなんなんですかね……?

親友


 今作随一の神曲。ラブライブ!は幼馴染が重いね……
 それぞれのパートから始まり、「親友ってそういうこと~」や「わからない~」の部分などは声が合わさっている=同じ気持ちの示唆と考えられます。
 互いに親友ではあるはずなのに、嫉妬という初めての感情で自分の心がわからなくなっているユズハ。今までずっと一緒にいたのに断られて不安になっているルリカ。……これ、アレですよね。

 普通に相違相愛ですよね。

 すれ違ってはいるのですが、ルリカの不安がそもそもユズハを一番の友達だと感じているからであって、決して運命の出会いにNTRれている訳ではないんです。ただこれはユズハが初めての感情に振り回されているのが原因であり、後にユズハはラブライブ!の幼馴染で唯一嫉妬を自己解決した上で幼馴染として覚醒するというトンデモムーブを繰り出します。マジでヤバいんですよねこの女。
 正直ユズハについて書きたくて筆を執ったのですが、彼女に関してはストリートライブまでは観ないとすべてを理解できないのでまだまだ引き伸ばして、後にまとめて記述します。

目指せメジャーデビュー

ギスギス滝桜、三たび。
女子高って(ry


深まる仲


 任命された時は反抗していたアンズですが、いざやらなくていいと言われるとやってしまいます。ダチョウ倶楽部かな?
 冗談はともかく、やる気になった原因はルリカたちが勉強との両立などを条件としていることを知り、彼女たちも本気だと知ったからです。最初にあった時に「貴女に私の何がわかるの?」と言っていますが、これは単純にルリカがミーハーでアイドルを追っかけるだけの、何も考えていないお気楽な奴に見えたからでしょう。アンズが絡むときのルリカはIQが著しく下がるので、仕方ないとも言えます。

 ただ、前述のとおりアンズの挫折は自分の力不足のせいであり、それは自分には向いていないのか、などと考え負のスパイラルに陥った結果アイドル部から逃げた=アイドルを真剣にできなかったことだと自覚しています。なので彼女の中には不真面目な自分に対する嫌悪感が渦巻いており、逆に真剣にアイドルをやろうとするルリカたちが眩しく見えたのではないでしょうか。
 ここでアンズの挫折の因果関係がおかしいと思った方は鋭いですが、これに関しても後述(「君と見る夢」項参照)します。

 また後半のアンサンブルパートについて、実はここで歌われている「あの子の見えている世界はどんなだろう、想像できない」という意味の歌詞は劇中三度に渡って歌われているのですが、前二度と最後では明確に対象が違うのです。
 「夢見る世界」「平凡な未来」では椿咲花5人組から滝桜に対しての羨望で歌われていましたが、今回はアンサンブル(一般生徒)から椿咲花のアイドル部に対して歌われています。つまりは自分と同じ平凡な女学生だったはずの子たちが唐突にアイドル部としてキラキラし始めたことに対して、憧れや羨望、何故?という疑問を感じているのです。
 わりと強めの脳破壊ですが、ではルリカたちとアンサンブルの違いは何かあるのでしょうか。互いに椿咲花の生徒として勉強は頑張っていると思われますし、生徒たちも「噂の転校生」で騒ぎ出すなどアイドルも認知しています。なのに何故、彼女たちだけがアイドルになることができたのでしょうか。
 そのアンサーは「いつかわたしも」から「夢の羅針盤」にかけての流れに在り、この問いこそがスクールアイドルミュージカルで最も重要な題材なのです。

伝統の系譜(Reprise)


 廃校を知ったルリカは理事長にスクールアイドルで学校を助ける、と宣言します。このあたりのシーンは終幕の大団円までで最後に椿親子がコミュニケーションをとるシーンであり、明確にクライマックスまでの「転」となります。ここはルリカの決意表明のシーン……ではなく、マドカ理事長が娘の成長を知るシーンと読み取っています。
 理事長はいい子だった娘がいきなりアイドルなんていう訳の分からないものを始めようとしていることに戸惑っていましたが、ここではっきりとそれを受け止めます。

 おそらく、以前のルリカなら「アイドル部で助ける」ではなく「しっかりと勉強して、立派になってママを助ける」と言っていたでしょう。しかし彼女の選んだ手段はアイドル部。理事長はそこに、娘のアイドルへの情熱が単純な好奇心や遊び心ではないこと、そして自らが選んだ手段を信じる自主性の確立を目撃するのです。
 「伝統の系譜」でマドカ理事長は娘想いの母親と述べましたが、あの歌でマドカ理事長は、本当にルリカのことしか歌っていません。溺愛しまくってます。「教師を納得させる」というのも、そのあとの歌詞を踏まえると現在の話ではなく、「(ルリカが次期理事長として相応しいと)納得させる」という意味に取れますよね。

 そしてラストの歌詞の「大事な約束」とは、ルリカにとっては「ママと支えあう」という唯一の肉親として双方向、ある意味で対等な約束ですが、マドカ理事長にとっては将来のために勉強する、という母親と娘がするような単純な、一方向なものであり、この時点で既に齟齬が生じているのです。
 その齟齬を、ルリカが庇護を受ける幼い子供ではなく、本当は母親のことを大切に思い、支えたいと願うほどに成長しているのだという事実とともにここで知るのです。

 そうしてルリカを一人の大人として認めたからこそ実質的に学校を譲り、自由にさせようと決意する……言うなれば「母親としての前進」の場面だと言えるのではないでしょうか。

 ただ、恐らくこの時点では理事長は現実問題としてアイドル部で廃校問題が解決するとは思っておらず、半ば諦めの心境にいます。椿咲花が長くないことを悟り、本来ならば大人になったルリカに譲る予定だったのを早めて、「(学校に関しても)貴女の好きになさい」と言っている側面もあると思います。

なくして初めて気づくこと

 ギスギス滝桜は終わらない…
 アンズがいなくなり、彼女たちは初めて彼女のセンターとしての役割を理解します。それは……

椿咲花面接官「貴女をもので例えると?」

アンズ「潤滑油です」 

 そう、アンズはバチバチになるはずのアイドル部をの仲をまとめる超絶コミュ強だったのです。
 確かに、穂乃果千歌なども突出してパフォーマンスが良いという描写はなく、(メタ的には身も蓋もないですが)部の創始者なことを除けばチームの中でのムードメーカー担当的な役割が強めです。
 明確なセンター、ひいてはチーム全体曲に関する描写は薄いですが、虹ヶ咲の歩夢やアニガサキで部長になったかすみも部内の雰囲気を保っている様子は簡単に想像できると思います。

 そういった本質を理解した面々は、やはりセンターはアンズだと改めて感じさせられています。物語前半で一番突っかかっていたミスズも、「圧倒的なパフォーマンスで~」と歌っているようにアンズがセンターであるはっきりした根拠があれば納得していたでしょう。
 当時はそれがわからず、自分は教育係を任されているのに成長しない癖、縁故採用でセンターになっていることが不満であれだけ強気だったのです。言い換えればムードメーカーの役割であったことに対しては冷静に理解しているのです。

 ところで(唐突な妄想)、キョウカ理事長は学校の命運をアイドル部に賭けており、それは本気も本気だったことに間違いないでしょう。そんな彼女が、娘可愛さにセンターを固定するというのはいささか矛盾しているとは思いませんか?
 もちろんアンズ本人が言ったように、プロモーション等で彼女を外部から引き立てることは可能でしょう。しかし、理事長がミスズに言った「そんな甘くない」という言葉がセンターに立ちたいという気持ではなく、パフォーマンスの実力者がセンターに立つべきという単純な考えに対して、だったならば。アンズが持つセンターとしての真の素質……チームをまとめる才能に気付いていたならば。少しだけ、見方が変わってきませんか?  

 キョウカ理事長は良いパフォーマンスができるはずだからこそアンズをセンターに置き、そのうえで叱咤していたのではなく、ムードメーカーやステージでの先導役としてのセンターという唯一無二の役割だからこそ、それに見合ったパフォーマンスをしなければならないと思っていたのではないでしょうか。
 そして、「それぞれの役割」とは真の意味のセンターであるアンズであり、”センターとしてのアンズ”を成長させるミスズである、と。


君と見る夢


 スクールアイドルミュージカルの大黒柱とも呼べる歌です。
 ミュージカルにおける歌劇シーンは、ストーリーの進行としては停止していますが、人物の説明や心理描写といった内面的な情報を伝達する……言うなれば物語に深みを与える重要な役割があります。本作も、恐らく歌劇シーンを抜いて全編ストレートプレイにしてしまえば、出汁の無い味噌汁になってしまうでしょう。特にこの曲は後半の怒涛の展開をミュージカルとして支える屋台骨なので尚更です。
 因みに筆者はこれを聞くと問答無用で涙が流れる体質になってしまいました。

 曲中には度々二人称が登場しますが、前述したとおり本作は「2つ」の関係性が無数に重なっており、正にそれを体現した歌だと感じております。曲そのものに対しての考察は後ろにまとめますが、じつはこの場面もまた対比構造になっているのです。
 その真髄が、Reprise版で椿咲花アイドル部が踊り終わった後、それをひっそりと眺めているキョウカ理事長にあります。みんなで歌を歌って踊っていて、途中から右上にひっそりと現れるキョウカ理事長……同じ構図を皆さんは既に見ていますね?

 この曲は冒頭、「きらりひらり舞う桜」との対比を表しているのです。

 
 「君と見る夢」の振り付けはかなり単純なものになっています。「きらりひらり」が振りまくりポジション移動しまくりのトンでもない怪物だったのでちょっとだけ拍子抜けした人もいるのではないでしょうか。
 しかしこれ、恐らく意図的なもので作曲がアンズ、作詞がユズハということからもこの曲は彼女たちが自分で作った曲であり、従って振り付けも単純な、それこそ自転車にも乗れないような少女でもできるものでなければならないのです。滝桜の楽曲は外部委託(少なくともメンバーは無関係)なので、この点でまず真逆です。

 次にアンズを取り巻く状況について。「君と見る夢」ではアンズがセンターとしての役割を十全に果たしていることが見て取れます。最初に踊る場面でも、イントロで左右のメンバーに最初の振り付けを確認していたり、周りを先導する演技であったりと素人集団椿咲花5人組を見事まとめ上げています。対して「きらりひらり」では息切れしていたり、理事長に叱咤されていたりと上手くいっているとは言えませんね。

 加えて推測すると、ヒカルやマーヤの「ずっと前から友達だったみたい」「アンズのおかげでより仲が深まった」といった台詞から、彼女たちはアンズの持つコミュ力という才能について早い段階から気付いていた節があります。アンズがサークラ体質だったにもかかわらずストリートライブで復活できたのも、それを理解した上で、同様の役割をルリカが果たせていたから(椿咲花アイドル部はダブルセンターの二つ柱)とも考えられます。
 
 そしてキョウカ理事長は「きらりひらり」では理事長としてアンズたちに接していましたが、「君と見る夢」では母親として娘を眺めています。心の底からの笑顔で踊るアンズに、ようやく娘の気持を知るのです。「伝統の系譜(Reprise)」ではマドカ理事長娘の言葉と意志からそれを理解しましたが、今回はキョウカ理事長が娘の歌と笑顔で理解する。過去の自分との対比であると同時に、同じ境遇のライバルとのイコールということですね。

 親子の関係性について……そしてアンズのスランプについて、きっと先に見失ってしまったのはキョウカ理事長の方だと思います。理事長としての重課からか、母親の笑顔が消えたことによってアンズのパフォーマンスも迷走。それをアンズは自分の責任だと考え、負のスパイラルにはまってしまっていたのでしょう。
 キョウカ理事長はアンズの姿に昔の娘を思い出し、娘の笑顔に母親としての喜びを感じています。それは久しく表れていなかった母親の笑顔であり、アンズは椿咲花の面々とともに、いつの間にか「なりたい自分」になれていたのかもしれません。

 キョウカ理事長が理事長ではなく母親となる重要なシーンですが、これに凄まじいまでの説得力を持たせているのがこれまた岡村さやかさんの歌声です。「歌っている時だけ」の音に挟まれたほんの一瞬の間、嗚咽で裏返る声。後悔、歓喜、哀愁、困惑、すべてを混ぜて生み出す母親としての悲愴。これを歌声に乗せることのできる技量は、ミュージカル女優の神髄だと素人の我々でも直感できるはずです。


明日はきっと


 滝桜と椿咲花で板挟みになり、滝桜へ帰ってしまうアンズ。彼女もまたルリカと同様に、母への想いを捨てて利己に走ることは絶対にできない、心優しい少女なのです。
 ユキノ、ヒカル、マーヤ、ルリカは激しく動揺しますが、彼女たちの言い分にもそれぞれの意思が読み取れます。ユキノは興奮するヒカルとマーヤをなだめており、一歩引いた立ち位置にいますが、あくまでルリカと同じ立ち位置だと考えられます。ヒカルはアンズと滝桜は最早関係ない、というようにアンズを既に大切な仲間として考えています。また、マーヤはヒカルにも同意していますが、彼女の心境は「私たちを見捨てないよね!?」の台詞にあると考えています。

 マーヤは成績不良生徒(それでも努力で上位に食い込めるので馬鹿ではない)ですが、彼女が椿咲花ほどの進学校にいることは少し謎だと思いませんか?当然自分の意思というよりは親の選択でしょうが、優等生たちや、成績上位も問題ない上特に勉強を苦と思っていないヒカルに対して、明らかにマーヤは向いていません
 すると、実は彼女は5人組の中で最も親に振り回されている子供と言えるのではないでしょうか。日中の爆睡やオタク趣味からも逃避的に趣味に走る傾向が見られ、ネタキャラとして見られがちなマーヤの本性は親に反抗もできず、アイデンティティも見つけることのできなかった臆病な子供という推測が浮かんできます。

 「そんな陰キャには見えなくね?」と思うでしょうが、きっと椿咲花の面々、特にルリカがマーヤを椿咲花で精神的に救済したのではないでしょうか。
 マーヤたちからルリカへの評価は「皆を引っ張ってくれる」「皆ルリカが好き」とあり、突拍子もないような言動も含めて好意的に見られています。つまり、ルリカが持ち前の明るさでマーヤたちを引っ張っていくからこそ、マーヤたちは椿咲花で楽しく過ごせていたかもしれません。
 そんな中でルリカがアイドル部に誘い、そして同様に自分たちのために動いてくれているアンズ。元々興味があったアイドルにしてくれた、加えて弱気な自分を引っ張ってくれたアンズに、マーヤは強い感情を向けていても不思議ではありません。
 だからこそ、せっかく変わることができた自分、アイドルになれた自分たちの元を去っていくのは「見捨てる」ことと同義に映ったのだと、筆者は妄想しています。

 ルリカもアンズを引き留めていますが、最初に「アンズちゃんはどう思ってるの?」と訊いていることから、アンズの意志を無視してまで絶対に引き留めたいという意思はないように思えます。
 そのあとに「私は~」と自分の気持を述べて、有名にならなければいけないと表明もしていますが、実はルリカは滝桜側の意見も理解しているのです。そもそもこの時点でのルリカは第一として母親のためにアイドルをやっており、同じく母親のために戻らなければならないというアンズの気持を理解できないはずがないのです。
 しかし、本心はアンズとアイドル活動をしたいに決まっています。アンズも自分たちとのアイドル活動が楽しいのだとも知っているでしょう。でも、
だからこそ自分の意思と親への想いに挟まれる辛さは経験しており、アンズには部外者の自分たちではなく、アンズ本人の意思で選択してほしいと思っているのではないでしょうか。
 だからこそアンズ離脱後もある意味でそれに影響されずに、ストリートライブや滝桜文化祭への出場を決意しているのです。
 
 しかしながら、アンズは椿咲花アイドル部の根幹。ルリカたち5人だけのステージに、皆怖気ついてしまいます。
 ここでルリカの心境を歌うのが「明日はきっと」。基本的にグループの中心にいるルリカは、初めて孤独を経験します。ルリカは持ち前のコミュ力から輪の中心にいることが当たり前であり、それは言い換えれば友人がどれだけの価値を持つかをしっかりと理解していないのです。一人になって初めて気づく、いなくなった人の大切さ。この時のルリカは当たり前に気付くという点で「アンズがいなくなった後の滝桜アイドル部」と類似の心理状態にあるのです。
 
 それでも“約束”のために顔を上げようとするルリカ。しかし涙は溢れ続ける。思い出すのは友人たちの笑顔、皆で歌い、踊った記憶。この絶望の中で、ルリカは自分の本心に気付くのです。それこそが、ルリカをアイドル部の生徒からスクールアイドルへと進化させることになります。

いつかわたしも

 一番好き。「君と見る夢」が大黒柱ならば、この曲は縁の下の力持ちだと思います。

 実は非常に特殊な存在で、唯一椿咲花でも滝桜でもない少女たちの歌なんですよね。
 滝桜のような特別な女の子ではないけれど、椿咲花のようにただ漠然と、親の示している聳え立つ将来を眺めるのでもなく、きっと特別な存在になれると信じる少女たち。この歌を「ゆめの羅針盤」の前に挟んだのは大きな意味があると考えています。

 この歌が意味するのは、きっと全国に沢山、数えきれないほどいるであろう少女たちの夢の存在です。滝桜のように選ばれた訳でもない、椿咲花のようにきっと良い将来が待っているのでもない。ただ明確に夢だけを持って、今も未来も何一つ約束されていないけれど、自分の意思で我武者羅に遠い未来を望む女の子たちがたくさんいるのだと。
 そういった等身大の女の子が描かれているのがじんわり心にクる感じがありますね…(語彙力消失)。

 そんな彼女たちのパフォーマンスを見て、孤独に在るルリカ。そこに表れるのが、「君と見る夢」のアカペラでルリカに応えるユズハでした。
 ユズハの感情はかなり序盤から散見されます。「親友」からもわかる通り、ユズハは強いリスペクトと好意をルリカに向けています。そしていつも一緒なのが当たり前でした。
 それが崩れたのが物語序盤、週間テストでの順位逆転です。彼女の執拗なまでの心配は、いままでの日常が崩壊する不安から来るものでした。こういった描写から想像できるんですけど、多分この娘って、全力で勉強した上でルリカに負けて2位であることに快感を覚えるタイプの幼馴染ですよね。

 そしてアンズへの嫉妬。これは度々垣間見えるのですが、最も如実に表れているのがアンズが滝桜に呼び戻される場面。
 実はここ、ユズハはユキノよりもさらに大きく後ろにいて、アンズを呼び止めるようなことは一切しないのです。ただ立っているだけ。彼女の心にはアイドル部の楽しい記憶と、ルリカをNTRれた嫉妬がせめぎ合い、身体を固めてしまったのでしょう。
 アンズが居なくなって「ホッとした」と言っているように一時はそういったマイナスの感情を思い浮かべますが、ユズハはそれを自力で改心、幼馴染の元へと向かいます。
 ただ、ユズハは会場であるハーバーランドへ訪れるまで、悩み続けていたのではないかと考えています。

 

 「君と見る夢」は滝桜文化祭が最高潮なのでルリカとアンズの曲にも思えますが、作詞者はユズハであり、ユズハからルリカへ向けた、幼馴染への歌でもあります。
 特に歌詞は「平凡な未来」と同じくルリカの望む景色=アイドルの景色はユズハにはわからないと歌われており、常に隣りにいた二人の立ち位置に変化が現れていることへの戸惑いと見れます。つまりこの時点でのユズハは、憧れ自体はあれどルリカと違い、アイドルに対しての明確な夢を持っていないのです。しかしその上でルリカを支え、“いつかは”同じ夢を見たい、と希望を持つ、もしくは決意表明をする歌ということです。
 これが初めて作った曲であることからも、非常に素直な気持が表されている歌詞であることがわかります。

 以上のことを念頭に置き、ルリカとユズハのシーンを振り返りましょう。

 
 この場面でユズハは下手からゆっくりと現れています。もし事前に決意していたのなら、もっと早急にルリカの元に駆けつけても良いと思いませんか?
 しかしそうではないのなら、ユズハはルリカの姿を見るまで……正確には、ルリカが呟く「君と見る夢」を聞くまでは様々な葛藤があったのではないでしょうか。そしてその最たる感情は、アンズへの嫉妬や幼馴染としての立場等よりも、「自分がルリカの隣に立って良いのか」を考えていたのだと推測しています。 ユズハは己の嫉妬に羞恥を覚えていることからも本質的に理性的な人間です。そんな彼女がアンズ、ひいてはルリカに対して醜い感情を抱いたことに自罰を感じていたならば、ルリカの隣にいるのは邪な己ではなく、アンズが相応しいと考えても不思議ではありません。

 しかし、ルリカが一人ぼっちの時に歌ったのは「君と見る夢」。アンズとのダブルセンター曲ではありますが、文脈的にここで想われているのはユズハたち椿咲花のメンバーでしょう。ユズハもまた、そうしてルリカが己を想っていることを理解したからこそ、もう迷うこと無くルリカの隣で、ルリカを支えていく決心をした結果が「いつでも〜」で応えることに繋がったのだと思います。

 改心したユズハは、ルリカに「私の役割はルリカを支えること」だと宣言します。ここで“役割”という言葉を使うことで表現されるのが、滝桜でアンズの指導役を担っていたミスズとの対比ですね。

 二人は共にセンター(軸)の傍に立つ役割を持っています。その幼馴染を名付けて『幽波紋』!
 ですがミスズはセンターを望みながらも無理矢理指導役を背負わされているのに対し、ユズハはセンターに立つ=ステージからの一番の景色を見ることへの希望は無いものの、自らの意志でルリカの隣に経っている、完全な対称関係にあります。
 それは気持や今を犠牲にして未来を掴み取ろうとする商業的なアイドル観と、“やりたい”という気持を原動力にするスクールアイドルとの明確な対比が、はっきりと表現されているということなのです。

 そうしてユズハや他メンバーたちも無事集合し、失意にいたルリカは真に救済されることになります。
 ルリカもまた、廃校を阻止し母を助けるという約束のために一時はアイドル活動が手段になっていました。けれども、自分の本質は仲間たちと共に在ることだと気付き、それを動機に自分たちを『スクールアイドル』だと再定義します。
 これは漠然とした将来や現状に悩んでいた彼女たちが、初めて自らの意志で自らを決定するという所謂アイデンティティの決定を表しています。心身ともに大きな変化が生じる思春期における精神の確立は知的生命体である人間としての大きな成長であり、ルリカたちが一歩前に進んだと捉えて間違いないでしょう。

 そして、決意からライブに至るラブライブ!の根幹に則り、ルリカたちが意思決定を表したのが「夢の羅針盤」です。


夢の羅針盤


それがスクールアイドル!!!!!

 
 裏設定としてこの曲こそが、ラブライブ!世界における『スクールアイドル』という概念の始まりと考えて間違いないでしょう。
 物語的にも今まで将来や大人のしがらみに囚われていた彼女たちがアイドルを知り、行き着いた結論になります。

 この場面が物語のテーゼ、ひいてはラブライブ!シリーズの原点回帰である証明をするために、少しだけ過去のラブライブ!シリーズの話をします。

 例えば無印1話ラストでは、穂乃果がスクールアイドルをやることを決意し、その後にミュージカル的な唐突さを以って「ススメ→トゥモロウ」 を歌っています。
 我々のメタ的な視点では、μ'sを『スクールアイドル』と認識しているのは彼女たちが歌って踊っているからというのが最も強い根拠でしょう。しかし、ラブライブ!のコンセプトとして一貫している、彼女たちの物語におけるスクールアイドルの定義では、「やりたいという気持」があればスクールアイドルになることができるのです。
 これをまとめると、物語的には穂乃果がスクールアイドルになるためにはやりたい気持を描写する必要があり、スクールアイドルになったことを我々(視聴者)に証明するには歌と踊りが必要、という連立方程式が成り立ちます。

決意表明→(物語世界内での)スクドル化
ライブ→(メタ的に視聴者への)スクドル化の証明

決意表明→ライブ→名実(物語、メタ)共にスクドル化完了!

と表すとわかりやすいでしょうか。


 だからこそラブライブ!シリーズの1話では、スクールアイドルの物語が始まった証明としてライブパートを設ける必要があったんですね。
 そしてこの物語と歌が連結している性質こそラブライブ!シリーズの最大の特徴であり、同時にミュージカルとの共通項でもあると筆者は断言します。

 また、合わせて虹ヶ咲1話の「Dream with you」も比較するとわかりやすいでしょうか。歩夢が侑に正直に気持を伝えたからこそ、彼女は本質的にスクールアイドルと成ることができ、それを視聴覚的にわかりやすく描写したのが領域展開となります。
 虹ヶ咲は個別ストーリーかつかなり唐突に非現実的な演出が組み込まれるので斬新に感じた方も多いかもしれませんが、アニメーションの軸としてはむしろ無印1話へと原点回帰した作品だと筆者は認識しています。

 話を戻すと、スクミュではここで初めて『スクールアイドル』という言葉が発されます。ご理解の通りスクミュはスクールアイドルが生まれるに至った物語であると見ていいでしょう。
 そして歴代ラブライブ!のライブパートと同じように、ルリカたちも自分の気持を確立させた上で自分をスクールアイドルと認識し、それを表現(メタ的に言えば観客に対しての証明)したのが「夢の羅針盤」と言えるのです。

 歌詞に全てが書かれてあるので見て聴いていただければ理解すると思いますが、ひとつだけ解説したいのがアンサンブルの存在です。 
 途中から他のストリートパフォーマー役だったアンサンブルも合わせて途中から合わせて踊り始めます。ミュージカル、特に本作に関しては歌劇が心理描写に直結していることを踏まえると、アンサンブル(=「いつかわたしも」を歌う少女たち)も途中から……つまりルリカたちの歌を聴いて、ルリカたちと同じ気持になれたということを表していると考えられます。

 アイドルを夢見て我武者羅に努力していた普通の少女たちも、まだ特別な存在ではないけれど、もしかしたら叶わないかもしれないけれど。やりたいという気持があればもう私たちは『スクールアイドル』なんだという、夢見る少女を応援し、引っ張っていく歌詞に彼女たちも感化されたのです。
 アンサンブル(無関係の人々)がパフォーマンスに参加するというのはかなり非現実的ではありますが、ミュージカルのメタ的な前提理解がそれを解消しており、これもまたアニメではできない舞台特有の演出ですね。


 また一応記述しておくと、ルリカはこの時点で椿咲花を宣伝するような商業的なアイドルではなく、自分たちだけの『スクールアイドル』を目指す意志にあると思われるのに対し、アンサンブルは「きっときっと、いつかはきっと」と歌っており、アイドルを目指すことは変わりないということです。
 しかしながら、今の彼女たちは特別でもない普通の女の子。周りからは無駄な努力だと嘲られるかもしれません。だからこそ、ルリカたちの“やりたい”と思えばそれはもう一人のスクールアイドルだ、という歌が強い影響を与えたのではないでしょうか。

 一応、ここでスクールアイドルは妥協であるとか、プロを目指す目指さないといった視点は尽く的外れであると記述しておきます。
 そもそもプロとアマは対比関係ではあるものの、矛盾や対立、上下にある概念ではありません。加えてプロでの活動やプロを目指す必死な努力も、スクールアイドルとして自分のやりたい気持を全力で表現することも、その意志に優劣を付ける意味はなく、大切なのは己の心を信じることだけなのです。


君と見る夢(滝桜文化祭ver)


 滝桜の面々はメジャーデビュー発表を控え、非常に真剣な心持ちです。しかし、そんな生徒たちとは反対にキョウカ理事長は複雑な心境に在り、アンズに「これで本当に良かったの?」と尋ねます。これは椿咲花でのアンズを目撃し、本当の気持を知っているからこそ零れてしまった言葉です。
 理事長でありながらも母親の感情を残すキョウカに対し、アンズは“お母さん”ではなく“理事長”として接することで、本当に母親に見てほしかった「なりたい自分」の姿ではなく、理事長の娘としての責務を全うすることを決意しています。
 ある意味で責任と気持が前の場面と逆転してしている母娘ですが、アンズの言動は母親のことを想ってなので理事長もそれを受け入れるしかない状況にあるのです。

 そこに前座として椿咲花が歌うのが、アンズのポジションを抜いた形での「君と見る夢」。筆者もまさかこの形で来るとは思わなかったですね。

 いないメンバーのポジションを空けるというのはライブパフォーマンスでそう斬新なものではありませんが、ラブライブ!が仕掛けてくるとは……

 我々は「君と見る夢」を2回(ルリユズのアカペラを含めれば3回)聴いているので、余計に「いつでも〜」の返答が無い空白が静かに聴こえて仕方ありません。そして、それを見るアンズもまた同じ感覚でしょう。
 振付で手を繋ぐ部分や、ペアとのアイコンタクトまでそのまま行われているので、アンズの部分を何一つ補完することなくそのまま表されていることも衝撃的でした。

 そんな椿咲花のパフォーマンスに混乱が広がる中、アンズだけはその意図に気付きます。

 ただ、この時点での椿咲花の面々は、アンズに戻ってきて欲しくてこのパフォーマンスをしているのではないと記しておきます。

 これはライブ後に「まさか一緒に踊れるとは〜」等と言っていることからもわかりますが、ルリカたちの動機は仲間たちとスクールアイドルをやりたい、という一点のみが軸になっています。だからこそアイドルではなくスクールアイドルなのであり、椿咲花の宣伝も後回しにしてルリカが表現したかったことは「君と見る夢」はアンズを含めた6人の曲である、ということなのです。
 「夢の羅針盤」で「周りに無駄なことと〜」と歌われている通り、スクールアイドルのライブは根本として何かの手段に使われるものではなく(手段であること自体は駄目ではないが)、自分の素直な気持や仲間への想いをひたすら実直に表現したものであるはずです。そうした心からのパフォーマンスが現状を変化させる奇跡も起こり得るのは間違いないですが、その部分は決して本質ではないのです。

 よって、このステージもアンズが戻ってきたのはルリカたちが引き戻す手段としてパフォーマンスを行ったからではなく、ルリカたちの気持を受け取ったアンズが自分も同じ気持であることをルリカたちに表現しようとしたから……ひいては、アンズがルリカたちと同じ気持になったからだと考えられます。
 子供の頃は母親が喜んでくれたから、という純粋な理由で始めたアイドルを続けている理由がわからなくなっていたアンズですが、こうしてルリカたちと共に、自らの意志でやるという自主性の確立を成したのでした。
 そう、即ちここでようやく、椿咲花アイドル部の6人は“同じ夢”を見ることができたのです。

 また演出に関してこの場面で述べておきたいのが、ここのステージパフォーマンスからパッと滝桜の場面に切り替わる部分です。
 前記事でしつこいほど書いたように、初演では舞台装置が若干回転し、現れた滝桜にライトが当たると同時に椿咲花のダンスが完全に停止します。ここで滝桜へと意識を集めるミスディレクションにより、椿咲花は舞台から、そして我々の意識からも完璧に姿を消すことができるのです。
 これはショットこそ別ですが物語世界内では同一の空間にあり、時間的には同時に進行して(演出としては時間を遡らなければならない)という非常〜〜〜に特異的な状況になっています。例えばアニメでこれを演出するには、同一空間上にある都合音楽を止めることができず、踊りのショットを滝桜の会話に置き換えなければならない(踊りが映らずに曲が流れ続ける時間が必要)弊害が生じます。

 しかし演劇には、現実空間こそ同一ですが演出により時間や空間を停止させ、飛び越え、あまつさえ逆行できるという映像には無い自由度があるのです。ここだけは絶対に、アニメではできない舞台のアイデンティティだと断言できます。
 ここの演出は本ッッッッッ当に鳥肌モノで、これだけで一万円払った釣りが来るほどでした。

 しかしながら今回は劇場の都合上回転装置は使えず、代わりに滝桜をセット上部に起き、パッと照明や音楽を切り替えることで瞬間的な時空移動を行っています。
 これは理性的な認識というよりも感覚的に場面移動を表現しており、スケールダウンさせずに演出に齟齬を生じさせない素晴らしい代替案と言えます。滝桜の会話中、ステージの上部から小さく流れるBGMなど、セットの上に物語空間の形成を限定する技法も使われており、我々の無意識を巧みに操っているのも大切な演出ですね。
 こういった小さな演出技法を見つけられると舞台芸術を別視点からも楽しめるので、気にしてみるのも面白いかもしれません。

 

 さて、ルリカたちのライブは大成功。反面滝桜センターだったアンズの登場というインパクトにより、滝桜のメジャーデビュー発表は有耶無耶になってしまいました。
 それでもルリカたちだけでなく、ミスズたち滝桜アイドル部の面々も満足気でした。ここの彼女たちの感情として、当然メジャーデビューの機会を潰されたことに対して不満が無い訳では無いと思います。それでも、長い間自分たちのまとめ役でいた……反面、自分たちが無意識に苦しめていたアンズが解き放たれ、最高のライブをしたことの喜びは非常に大きい筈です。
 加えて、彼女たちがアイドルを目指すのは金銭的な目的ではなく、純粋にパフォーマーやアーティストといった自己表現への憧れが強いと考えられます。よってアンズのライブを見たことによる、ある意味での満足の感情があったのではないでしょうか。
 
 キョウカ理事長に関しても、謝るアンズへ一言「良かったわよ」と伝える様は母親の感情から来るものでしょう。アンズが飛び入りする前にも、「なんだか良くわからないけど、貴女の好きになさい!」と理由も聞かずに背中を押していることから、恐らく「君と見る夢(Reprise)」の場面からキョウカは理事長ではなく、母親として娘を想う決意をしていたのだと思われます。
 この後にルリカたちの元へ向かわせるのも、母親の目線で見ているのがわかる良い台詞ですね。


 そしてそんなキョウカ理事長へ、椿咲花の滝桜傘下加入を申し出るマドカ理事長。しかし「私達が意地を張ってどうするの!」と叱咤し、二校は対等な立場としての連盟校になるのでした。

 物語の根幹に椿咲花の廃校問題があるとはいえ、理事長たちで〆るとは思っておらず、初見ではかなり驚きました。しかしここで二人が和解することを描いたのは、恐らく“成長”が本作品のテーマであるからだと思います。

 作中で生徒たちはそれぞれ大きな成長を見せました。アンズを含めルリカたちはスクールアイドルというアイデンティティの確立、ミスズたちも描写は少ないですが、ギスギス滝桜で見たような自分本位な視野の狭さを反省したのは間違いないでしょう。
 こうした描写について断言しなければならないのが、『“成長”とは、子供が大人になることではない』ということです。

 本作で子供と大人の対比は顕著に表されていました。将来が見えない椿咲花の生徒たちは勿論、プロとして社会的な責任を負っていたミスズたち滝桜の生徒たちもまた、キョウカ理事長に『役割』を諭されながらも自分本位性が残る子供として見ることができます。
 しかしながら、自らをスクールアイドルと定義したルリカたちは果たして『大人になった』と言えるのでしょうか?

 スクールアイドルはやりたいからやる、という己の感情を第一にしたもので、プロアイドルと対比の関係にあることからも決して大人の立場ではないでしょう。それでも本作がスクールアイドルを是としているのは、そもそも成長とは大人になることではなく、子供は子供のまま成長することができると我々に表現したかったからだと考えています。

 役割や約束によって、大人になることを強いられてきた彼女たちが子供の立場のまま輝くことができる……言い換えれば、そのままの自分でいても良いのだと理解することが本作、ひいてはラブライブシリーズのであると断言しても良いでしょう。
 パッと思いつくのはサンシャインのヨハネ回でしょうか。あれもヨハネを辞めることへ葛藤していた善子が、ヨハネのままでいられる場所を見つける、という非常に似通ったストーリーになりますね。

 では、理事長たちはどうでしょうか。彼女たちは“理事長”と“母親”というどちらも大人の立場に在る側面を持っています。しかし、どちらか一方に傾倒したり在るべき姿を見失ったりと、大人であっても決して完璧ではありません。
 それでも二人は娘の成長に感化され、自らも変わることができました。つまりこの〆は、大人であっても子供と同じように、成長することができるのだという表現なのです。これまで女学生を中心としてきたラブライブ!シリーズでは大人は排他的に扱われていましたが、成長をキーにする本作で年齢の概念に囚われずに描ききったのは称賛する他無いと思います。

 また、アイドルとスクールアイドルに上下関係が無いように、大人と子供であってもどちらかが優れているだとか、どちらかであるべきだという思想はスクミュの本旨ではないでしょう。
 大切なのは『自分』という存在であり続けることで、自らの気持……スクールアイドルへの憧れや娘を想うことを一番とすることなのだと、スクールアイドルミュージカルはそれを伝えたかったのだと、筆者は受け取っています。
 歌で表すスクールアイドルの生徒たちと、言葉で表す理事長たち。という風にミュージカルの両面から〆ているのも上手い構成だと思いました。


椿滝桜高校文化祭 



 
お見事と言わざるを得ない大団円。ラブライブ!はこーでねーと!
 部長の任を解かれたミスズや運動音痴の治らないユズハ、親バカが爆発している理事長など、ハッピーエンドならではのネタの洪水に笑いながらも、10人+アンサンブルとなったステージには感動しました。
 これまでずっと制服だったのとは対称的に可愛らしい衣装に身を包んでおり、それぞれに特色もあるので自分たちで考えたのかな~、という妄想もはかどります。
 
 個々の演出で素晴らしいと感じたのがまず「きらりひらり舞う桜」のアンサンブルパート。主演のメンバーが脇に寄ってアンサンブルのみで歌う部分があり、非常に重要な役割を果たしながらも脇役だった彼女たちにスポットライトが当たるのは思わず涙が零れてしまいます。アンズをセンターとして置いていたこの曲でアンサンブルが輝くのはクるものがありますね。
 
 更に、どの曲もポジション移動が多いのも評価点。10人が並んでいるポジションから左右5人ずつがそのまま移動して入れ替わることが多く、端に立っていたキャラクターがセンターに立つことができるので、様々な立ち位置を楽しめます。
 筆者の推しはマーヤでして、彼女は順番的に端にいることが多いのですが、同時にセンターに立つ姿も見ることができて感無量でした。ラブライブ!は立ち位置や順番が固定化されがちなので、嬉しい演出ですね。

演者の佐藤美波さんはAKB48所属だからか非常に可愛らしい振りが多々見られ、ピンク面積が多い衣装も相まってドンピシャにハマりました。今度握手会行こうかな……でもこれ以上追っかけるコンテンツ増えたら彼方ちゃんのお財布壊れちゃうよ~。

 また、最後には観客と全員で「君と見る夢」の冒頭を歌うサプライズもあり吃驚仰天。コロナが5類になり、とにかく声を出して騒ぎたいオタクの欲求にも答える名采配。初演行ってなくてキャストの実写アクスタ買えなかった奴と、再演千秋楽行ってなくてキャストと一緒に「君と見る夢」歌えなかった雑魚おりゅ?
 


サブポイント


ぶっちゃけミュージカルってどうなの?


 メタクソ面白いです。

 ……真面目に答えますと、やはり個人差はあると思います。
  
 まず最初に、何度も書いた通り本作品はミュージカルだからこその表現が多々含まれており、ミュージカルである意味は十二分に存在します。アニメでも映画でも演劇でも、この完成度には至らなかったでしょう。
 (終演後に書いてもアレなのですが)やはりミュージカルには忌避感を覚える人が多く、そのせいで避けてしまった方もいらっしゃると思います。

 そもそも日本の舞台芸術教育がガバガバでして、教養もクソも無い餓鬼共に事前学習無しの唐突な義務教育で舞台芸術を見せたところで、スゲ〜!(小並感)ってなる訳無いんですよね。
 というか舞台芸術は大袈裟な演技表現だのミュージカルの非現実性だのに無意識でもいいので楽しさを見出す必要があるので、それがわからないと演劇は「良くわかんないけど大袈裟で気持悪いモノ」の第一印象がついてしまいます。恐らく義務教育で舞台芸術を見た子供のほぼほぼが最悪のファーストインプレッションを抱いているのではないでしょうか。
 これが長い間是正されずに黴のようにこびり付き、我々に演劇アレルギーを発症させているのです。

 これを克服するには取り敢えず演劇を見るしかありません。ですが四季のようなコテコテのミュージカルを初手に見ると拒否感が強いかと思われるので、まずは好きなジャンルのものから見ていきましょう。
 今回のスクールアイドルミュージカルも導入としてはかなりおすすめできますし、好きな演者が出ている作品を選ぶのも良いと思います。ラブライブ!声優も、林鼓子さん小泉萌香さんが舞台役者として活躍していますので、取り敢えず推しの方は行ってみるのを推奨します。

 筆者も6月頭に『DOLL』という演劇を観に行きまして、これは虹ヶ咲→小泉萌香→harmoe→岩田陽葵→DOLLと辿り着いた迷走の果てですが、非常に楽しめました。主演はジャニーズの林翔太さん、松本幸大さんのイケメン二人組で普通にメスになれますし、ヒロインの一人を演じた岩田陽葵さんの可愛らしくも妖艶な演技をわりと至近距離で観れたので満足度が高いです。
 近年はわりとなんでも舞台化しており、有名所で言えば『ぼっち・ざ・ろっく!』やら『チェンソーマン』もハイスピード舞台化したので、取り敢えず見てみると案外ハマるかもしれません。
 ついでに言うと(終わらぬオタク語り)先日harmoeの2ndライブに行ったんですが、二人共役者であり、コンセプトとして物語を組み込んでいるので音楽ライブながら演劇調な演出や歌い方をしていたので、そういった類似ジャンルから寄っていくのもアリですね。

 単純に食わず嫌いは馬鹿でしかないので、一度先入観抜きに見てから好き嫌いを判断してみましょう。



 チケットが高い?舞台はまぁそういうモンなので……ライブチケット1万の阿漕商売に慣れてるライバーなら大丈夫でしょう。働け!


廃校問題について 


 ラブライブ!負の伝統と名高い廃校問題。これが問題視されるのは『ラブライブ!におけるスクールアイドル』と『廃校という大きなスケール』が致命的に噛み合わないからなんですよね。
 パッと思いついたので比較対象として同じく全国大会で廃校の危機を脱する『ガールズ&パンツァー』を挙げますと、こちらは役人と「全国大会優勝したら廃校問題見直すよ〜」と約束させることで優勝と廃校をガッチリとイコールで結びつけた上、優勝に対して廃校阻止以上のスケールの動機を持たせたので問題視されることが少ないのです。
 
 後者について詳しく説明すると、ガルパンの主人公は昨年の決勝で水没しかけた仲間を助けたせいで優勝を逃したことから実家を勘当されます。そこで転校先で母や姉とは違う、仲間を想う思想が間違いではないと彼女たちに示すために優勝する(というよりも姉の高校に勝つ)ぞ!といった旨が優勝への動機として存在します。
 
 この動機は死にかけた仲間を助けることが正しい、という人道や道徳といった人間において最上級に優先すべき概念に裏付けされており、これに比べたら、廃校なんて比較になりません。この軸一本でも物語を成り立たせる力を有しているため、廃校問題が舞台装置に成り下ることができるのです。


 しかしながら、ラブライブ!シリーズは主人公チームが9人以上居る都合もあり、彼女たちの成長というある意味で包括的かつ曖昧な概念を主体としたストーリーの進行になります。そういった精神的な側面に対して廃校は単純に規模が大き過ぎるせいで物語の軸が拮抗してしまい、結果主人公たちと廃校が二項対立になり軸がブレてしまうのです。入学希望者を増やす手段が感情論なので優勝と廃校阻止が論理的に合致していないのも拍車をかけていますね。

 後は尺のせいで対戦相手の描写が足りず大会が一人相撲であることや、ライブパフォーマンスをMVとして固定化するメタ都合上本番(勝負)そのものがそれまでの結果発表に成り果て優勝のカタルシスが薄いことなども挙がりますが、重要なのは廃校問題は本来生徒が解決できる問題ではないのに、下手にストーリーに介入するせいで筋が脱線する、ということです。
 
 そして、既存のシリーズとスクールアイドルミュージカルの最も大きな差異が「廃校問題を大人が解決する」という点です。
 椿咲花のトップであるマドカ理事長と、知名度や金銭、経営能力に保証のあるキョウカ理事長を真の当事者とすることで、廃校問題を生徒には手の届かない問題から解決可能な範囲まで引きずり落としています。これは純粋に現実味のある脚本にする他、廃校問題の深刻度を下げて物語の本題の邪魔にならないようにするなど、非常に良い効果を与えています。
 そもそも廃校にアイドル活動で抵抗することをスクールアイドルという概念のアンチテーゼに置くことで主題により説得力を持たせていますし、理事長たちの成長の着地点に置くことで物語として綺麗に収まります。
 本作においては、廃校問題は有用なスパイスであったと言えるでしょう。

総括


 再々演、してくれ……!と願うほどには完成されている舞台です。もしまた何か進展があったら、是非足を運んでみてください。
 世界観の表示からキャラクターの描写、変化、そして何よりダンスパートに至るまで、ラブライブ!としても純粋なミュージカルとしても傑作と呼ぶ他ありません。初演からアルバム発売、再演に至り、オフィシャルブック発売も決定しており、期待で一杯です。
 物語自体は完結していますが、掘り下げられなかったメンバーなども進展があることを祈っております。

 非常に長くなりましたが、ご覧いただきありがとうございました。


蛇足・この記事について


 このオタク、妄想癖酷過ぎない???

 そう思った方は多いと思います。推測だの想いますだの考えますだのコイツ言いすぎだろ、制作の人そこまで考えてないと思うよ、という意見もあるでしょう。実際妄想マシマシで書いたのは否定できませんが、私は制作側の意図と視聴者の理解というのは一致する必要が無いと考えています。

 本来制作側は作品を通してのみ我々に主義主張を表現できるものです。なので重要なのは我々に何を伝達できるかであり、極論制作側が何を意図しているかなどこちらには関係ないのです。
 そもそも解釈とは観客個々人の独自なものですし、本記事もこうだ、という事実ではなく私の考えを述べているだけなので、異論があることはむしろ良いことだと思っています。

 そして作品を鑑賞するにあたり、こうして能動的に理解していくことこそ、創作物を最も楽しむことができると思っています。単純な演技や情報の開示を観客がただ飲み込んでいくだけでは芸術文化は発展せず、先にあるのは衰退のみです。何より作品の濃度は我々が没入すればするほど濃くできるものなので、是非皆様も妄想上等で様々な作品を観ていただけると幸いです。


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