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なにも起こらない

 篤子は中学生になる息子の制服がいかに高いか、その値段をいってみせた。たしかにそんな高いスーツを道夫は持ったことがなかった。体操着も高い。上履きも高いし体育館履きも高い。高いもそうだが、学校指定のそれを買わなければならず、聞いたこともないメーカーで、とても値段に見合った代物ではないと、アルコールの勢いにまかせて篤子はぶちまける。ちょっとモノが見てみたいと道夫がいうと、たとえばコレ、とその日の夕に購入してきたスニーカーの箱を取ってきて食卓の上に置いた。たしかに道夫もそのメーカーの靴が店頭にならぶのを見たことがなかった。作りはどうでも、デザインは国内の某有名メーカーのそれに酷似している。
「こんなのアシックスでもアキレスでも、もっと質も良くてカッコいいのがヨーカドーで半値で売ってる。納得できないよ」篤子がいう。
「これ、色指定なんだ」箱の面に丸い緑のシールが貼られてあるのと、スニーカーのゴム底が緑なのを見て道夫は察した。
「元凶はこれなんだよ。緑指定となった途端、上履きだってそこらの店頭にはならんでない。Amazonならあるんだろうけど、一応メーカー指定だからね。それにね」篤子はつづける。
「購入先を指定されるってのが、ほんと、納得いかない。制服はナントカ洋品店で買えって書いてあって、行ってみると、もう何十年も前から放置してあるような色褪せた男女の制服がショーウィンドウに飾ってある汚い小さな店が住宅街のただなかにポツンとあってさ、わたし、そこ何度か自転車で通ったことあって、お店いつから潰れてんだろうって思ってたから、ここで買うんかいってびっくりしたんだよね。そこでは制服と、指定のインナーしか扱ってない。どういう利権なんだろう。ワイシャツがまたバカみたいに高いからさ、これはヨーカドーで買った」篤子の空になったグラスに道夫はワインを注いでやった。最近の夫婦の晩酌は、カルディで買ってくる紙パックの赤ワインがもっぱらだった。
「……でさ、このスニーカーはスニーカーで購入先が別なの。国道……線の抜け道になってる細い道でさ、◯◯って酒屋が角にある……そうそう、いつも渋滞してる細い道ね、あの沿いに老夫婦がやってるクリーニング屋があって、そこでしか売ってないんだよ。じつは先週買いに行ったんだけど、サイズをいったらあいにく売り切れてるって。んで、今日には届くっていうからまた行ってきたんだけど、道が狭いから自転車で行くの怖いし、歩道もないから店頭に駐輪するスペースもない。まあ、強引に駐めたけどね。いやあ、それでこの中身ですよ」
「そういうのって、ローテーションなのかな。自治体による市内の零細自営業者の救済措置を兼ねるのかとちょっと思ったんだけど」
「いやあ、どうもスニーカーは昔からあの店らしいんだよね」

 下の娘の小学校の入学式のその翌日が、息子の中学校の入学式だった。互いに二日連続欠勤するのははばかられ、式の出席は夫婦で分担することになった。道夫は娘の入学式に出席する。
 入学式は昼前の遅い時間から始まる。ふだんより寝過ごした道夫は、レンタルした白黒チェックのワンピースに同じ柄のボレロをとうから羽織って待ちあぐねるような娘を不憫がって、ちょっと早いけど、と家を出た。
 娘が背にするランドセルは身体に比していかにもカサが大きい。重さもそれなりで、娘の歩くスピードといったらほとんど牛歩のそれである。
 水色のランドセルは篤子の両親が買ってくれたものだった。ランドセルは篤子の家の担当、とはべつに両家の話し合いで決められたことではなく、早々に後期高齢者の仲間入りした道夫の両親は、孫のランドセルを購入するという発想すらないし、仮にあったとしても直前に購入してやればいいくらいに思っていただろう。しかし人気のランドセル(そんなものがあるとは道夫はにわかに信じがたいが)は、前年の夏前に注文しないと購入できないものらしい。長男のランドセルは黒で、長女のそれは赤だった。親が保守的である以上に、子らが保守的だった。しかし次女は迷いなく、青とも緑ともつかぬパステルカラーを所望したし、誰もそのことで娘に意見した者はなかったらしい。らしい、というのは、道夫にいたっては、ランドセルが家に届いて初めて娘の選んだ色のなんたるかを知ったのだった。
 色やデザインはどうでも、値段を思うたび、自分はそんな高いカバンを持ったことはないと思い出す道夫である。子どもの頃しょっていたランドセルは、いまの子どもたちのそれと値段的にも質的にも同じなのだろうか。男の子なんか、敢えて体重をのせてペシャンコにするやつもいて、高学年になると多かれ少なかれボロボロになった薄いのを肩にかけて登下校したものだが、あれが皮革製品だったとはにわかには思われない。息子のランドセルはというと、六年間使って新品とそう変わらないようだった。しかしその後の潰しは利かない。持続可能でないのだから、そもそもSDGsに反している。持ち物の高級化より、軽さや容量といった機能性に加え、選択の幅という多様性こそ教育の現場は重視すべきなんじゃないかと道夫は思うのだが、どういう理由からか、この国はランドセルに執心し続けるようである。祖父母や親は嬉々として孫や子にランドセルを買い与え、孫や子はランドセルをしょって初めてなにをかを実感し、もはやランドセルは愛の偶像と化している。

 娘はいったんクラスの教室で待機し、保護者だけ先に体育館アリーナ入りすることになっており、昇降口で道夫は娘と別れた。クラスカラーというのがあるらしく、娘のクラスは黄色で、最後列のパイプ椅子一列の背にB4の黄色い画用紙が貼ってあった。なるほど、娘の上履きも黄色である。一目でクラスがわかるようにするというのは学校側の論理でしかない。親としては、顔を見れば学年クラスはもちろん、名前もいえるというプロ集団に我が子をお任せしたいところではある。
 青紙、赤紙、黄紙、緑紙、白紙の五ブロックの席があっという間に埋まっていく。真うしろに座る女たちは道夫よりよほど若いと見え、さっきから子どものお受験の話で盛り上がっている。連れてきた未就学児が腹が減ったといって騒ぎだす。
「ごめーん、もうちょっとだから、がまんしてえ」
 しかし子どもはおとなしくならない。
「えー、なんも食わせてないの」
「うん、お昼前だから」
「校長の話、めっちゃ長いよ」
「知ってるし」
「うちらなんかさ、さっきラーメン速攻で食わせた」
「あー、こっちも食わせときゃよかったよ」
「飴ならあるけど」
「えー、助かる。ヨッちゃん、よかったね、飴あるって」
「のど飴だけど、いけるかな」
「いけるいける、ほんと、ありがとう」
 しかしヨッちゃんは、飴を口にふくむなり、からいからいといってついには泣きだした。
「えー、辛いんかい」
「そんなことない、ヨッちゃん、辛くなんかないよねえ」
 うしろで立ち見がちらほら出ているようである。道夫は係に誘導されたとおりに前のほうに詰めて列の左端に座ったが、隣りが一席空いたままだった。見回りに来る教師もこれをスルーした。荷をそこに置くわけではない。それでも連れがいると思うのだろうか。あるいは道夫が寡夫に見え、それに対する遠慮だろうか。前の列の、これは右端に座る三十代と思しきドレッドヘアに鼻ピアスの若い父親が、一瞬じろりと道夫に視線を向ける。敵意のようなものを感じて、おや、と思う刹那、遅ればせながら勘づいた。スーツを着ていない男は道夫ただ一人であるのだった。側面に三本線のある黒のジャージのパンツに、黒のジャケットを羽織り、道夫にしてみればこれでも十分よそ行きなのである。スーツやらネクタイやらは脱サラすると同時に、一つ残らず捨ててしまっていた。胡麻塩頭でこのラフななりは、ある意味ドレッドヘア&鼻ピアスよりトガっていたのかもわからない。あるいは冒瀆と取る人だっているのかもわからなかった。
 予定を十五分ほど過ぎてから、子どもたちが順に入場してきた。娘のクラスの隊列が目の前の通路に差しかかって、道夫はうしろを振り返る。目ざとく父親を見つけた娘は、満面の笑顔を浮かべて、遠慮がちに手を振る。小さい。あまりに小さい。道夫も手を振り返す。返しながら、思わず涙ぐむ。
 子どもたちが着席し終わると、司会者の号令で一同起立とあいなった。手元の式次第によれば、国歌斉唱を皮切りに学園歌斉唱、校歌斉唱と続く。下の娘が小学校に上がるタイミングで篤子はフルタイムで働きだしたもので、それまで子どもたちのことはなにもかも妻にまかせっきりだったから、こういった学校の式典に道夫が参加するのは初めてといってよく、勝手がもうよくわからない。国歌・国旗法の制定など知る由もなく、自分らの頃には国歌など歌わなかったし、校歌はともかく学園歌ってなによ……と人知れず戸惑うばかり。黙っているのもなんだかでほとんど念仏のように歌詞を唱えていると、やがてピアノ伴奏者が高らかな女声で歌いだし、左前方の、先生方の一群のほうからけして晴れやかとはいえない絞りだすような声が一段と大きくなった。校歌にしろ学園歌にしろ、知らない保護者だって多かろうと思えば、この斉唱にいったいどんな意味があるのか計り知れない。
 続いて校長による式辞となって、演台に典型的なニッポンのオッサンが上がった。太鼓腹のせいで上着のボタンはいまにも弾けんばかりになっている。銀髪を横うしろときれいに刈り上げて、猪首の背に脂肪の襞が二段寄っている。壇上に上がるだけで相当息が上がっていた。呼吸を整え終わると、助役、市議会議員数名ほか、土地では馴染みの姓の人間らが、やれPTA会長だの、◯◯保存会理事だのと紹介され、「本日はお忙しいなか、ご出席いただき誠にありがとうございます」と校長は来賓席に向かって深々と頭を下げ、続けて「保護者の皆様におかれましては、本日は誠におめでとうございます」といってこちらへは浅めに頭を下げた。
 校長は内ポケットより紙片を取り出し、両手に持って目の前に広げると、「本校では三つの『あ』をみなさんには大切にしていただきたい」と棒読みを始めた。
「まず最初の『あ』、これは『あいさつ』の『あ』です。誰に対しても元気よく、『おはようございます』『こんにちは』『さようなら』をいえる人になりましょう。そして二番目の『あ』、これは『ありがとう』の『あ』です。みなさんがこうして立派に小学生になれたのも、お父さんとお母さんのおかげです。なにごとも当たり前ということはありません。いつも感謝の気持ちを持って臨みましょう。そして最後の『あ』、これは『あやまる』の『あ』です。はからずも人は誰かを傷つけることがあります。そんなとき、人の気持ちを思いやって、素直にあやまることが大切です。みなさんが、ごめんなさいをすぐにいえる、まっすぐで素直な人になってくれることを、わたくしは切に望みます」
 それから五分、十分と校長の話は続いた。すると舌足らずの甲高い声が前方より立って、いわく、
「あいさつとスカートは、みじかいほうが、よい」
 そうはっきり聞き取れて、父母の席の八方から笑いがさざめいた。右前方のドレッドヘアに鼻ピアスなど、手を叩いて笑っている。
「つまんない、しぬほど、つまんないよぉ」
 これにはどよめくような笑いが起こって、父母の少なからずが拍手をする。
 司会者が割って入って、
「まもなく終わります。皆様、どうか、ご静粛に」とマイクでうながすと、
「ご静粛にしておりましたが!」と男の胴間声がどこからか上がり、満場の拍手がわき起こった。締めの挨拶もそこそこに校長が壇上から退散する。すると子どもたちのなん人かが立ち上がって、「やった! やっとおわった、やっとおわった!」と飛び跳ねながら快哉を叫び、振り返って父母の姿を探し見つけると力いっぱい手を振った。応じる親たちの姿もちらほら。子どもたちは銘々勝手におしゃべりを始め、親たちは親たちで口々に不平不満をいいつのる。「静粛に! 静粛に!」と司会者がいくら声を張り上げても騒ぎは収まらず、祝電の読み上げはやむなく割愛され、式終了の宣言がなされると、拍手喝采はもちろん方々で指笛が飛び交う始末。三組から五組までの生徒はいったん教室に移動し、保護者らもそのあとに続いて今後のスケジュール等の説明を担任から受けるそのいっぽうで、一組と二組の生徒および保護者は体育館に残って集合写真を撮るという段取りを司会者はざっと告げるが、会場にいる子や親のほとんどが聞いておらず、子どもたちはいっせいに立ち上がって保護者席の通路を駆け抜けるように移動し始め、息子娘の名が叫ばれ、パパ! ママ! の応答が飛び交った。これは……とカオスのなりゆきを啞然として見守る道夫は、我が子をすっかり見失い、それよりなにより箍が外れたようにからからと笑うほかなかったのは、入場のさいには気がつかなかったことで、子どもたちの上履きの色が、赤やら青やら黄やら紫やらピンクやら緑やら茶やら……とまちまちに入り乱れ、まるでクラス色に呼応していないのだった。道夫の思わず漏らした笑いこそは、痛快痛罵の発露にほかならなかった。要するに彼は感動に打ち震えていたのである。

 その日の夜、夕餉を囲いながら道夫は、篤子に娘の入学式の一部始終を語って聞かせた。
「大丈夫かしら。なんだかこの子の学年、荒れそうな気がする」篤子が眉根を顰めるのへ、
「いや、僕はたくましいと思ったよ。日本型の、民衆抵抗の新しいあり方の、その雛形を見る思いがしたな。形式的で意義の見出せないものに対して、あんなふうにゆるやかに団結して否を突きつけられるとは、たいしたものじゃないか。校長のあのときの顔、見せてやりたかったよ」
「でも、なんだかかわいそう」
「そうかな。用意した原稿を丸読みするなんて、プロ意識が低すぎるでしょうよ。同情なんかして甘やかしてはいけない。僕はね、今日の式のことは、日本の政治や社会にまで敷衍できると思ったよ。マスコミがどう情報操作しようと、政治家がどんな制度改革を行おうと、官僚がどんなに民衆を絞め上げようと、僕らの行動原理の根本は、つまるところ快不快なんだ。ルールなんてものは、どうでもいいようなところから骨抜きにしてやればいい。今日の式でいえばさ、クラス指定の色の上履きを新調してきたのはうちの娘くらいなもので、あとはもう、銘々好き勝手な色の上履きを履いていた。やられた。そう思ったね。制服なんかもいらない。ランドセルなんかもいらない。どんな大義名分かざしたところでさ、ルールあるところ巣食うのは利権なんだから、こんな欺瞞もないし、醜いことこの上ない。僕ら民衆は、抵抗と悟られることなく、無知を託って勝手にやるまでなんだ」
 篤子は黙って道夫のにわか演説を聴いていた。空になったグラスに手酌で安ワインを注ぐ。
「御説ごもっともだけど」篤子はいい淀んだ。そしていった。
「たしかに中学生の上履きは学年で色指定なんだけど……小学生の上履きはさ、色に関してはもともと自由なんだよね」




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