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会社を辞めて収入がゼロになるのに、実家を離れて1人暮らしを続けた理由


#あの失敗があったから


「お金がどんどん出て行っちゃう。どうしよう…」


これは、私が新卒から7年間務めた会社を辞めて、失業保険をもらいながら生活をしていたとき、毎日思っていたことです。


その当時、私は実家を出て、1人暮らしをしていました。

1人暮らしなのに、定期収入の道を自ら閉じてしまった。
そして、失業保険をもらい始めるまでの3ヶ月間、私はこれまでの蓄えを少しずつ取り崩し、家賃などの生活費を捻出していたのです。


この頃、私は生まれて、初めてお金には限りがあって、収入がないと生活できない怖さを痛感させられたのでした。


一時は実家へ帰ろうと決意したのだけれど


大学を卒業してから私は、実家に住みながら、正社員として働いていました。実家なので、食事の支度も洗濯も掃除もすべて母がやってくれていて、私はのんきに好きな習い事や友達との旅行を楽しみ、わずかばかりの貯金をするだけで、ほとんどの給料を好きなように使っていたのです。


特にお金に困ったことはないし、暮らしにも困らない。


そんな甘えた生活をしていた私ですが、25歳のとき、両親が父の実家のある田舎へ引っ越すと言い出したのです。両親は、その田舎から勤める会社へ通うことにしていたのですが、朝が苦手な私。毎朝6時半の電車に乗って1時間半もかけて会社へ通うのは無理だと思いました。


そこで私は、親元を離れて1人暮らしをすることにしたのです。


親元から離れて、自分の好きなように過ごせる生活はとても楽しいものでした。正社員で働いていたから、お金に困ることもなく、「ここは天国だ~」なんて、毎日を楽しく過ごしていたのです。


そんな自由を満喫していた私でしたが、30歳が近づくにつれ、「このままの生活でいいのかな?」と疑問を抱くようになったのです。それに、周りの友達がどんどん結婚していき、会社でも30歳を目前にして結婚のけの字も見せない私に対し、後輩も「ともこさん、どうするつもりなんだろう?」と思われる始末。いつしか私は、結婚できないことに焦りを感じていたのです。


そんなある日、私はある決意をしました。

「実家へ帰ろう」


これが私にとって最大の失敗になるとは、そのときの私はまったく気づいていなかったのです。


実家へ帰るということは、仕事を辞めるということ。それを早々に上司へ伝えてしまったので、私はそのまま退職への道をひたひたと歩み出したのです。


実家へ帰ることを決心し、自分を納得させようとがんばったのですが、やっぱり私の胸の中には小さなしこりが残っていました。「親の言いなりに暮らしていくのは、いやだな」


そんなとき、親が見合い話を持ってきました。相手の写真も身上書も持ってこず、いつの間にか見合いの席がセッティングされてしまったのです。半分いやだなと思いつつも、結婚に焦りを感じていた私。ほんの少しだけ期待をして見合いの席へ出かけていきました。


お相手と対面し、こんなことを言うのは申し訳ないのですが、直感で思ったことは「私には無理!」早くこの場から離れたい!そんなことばかり考えていました。

結局、その見合いはお断りすることになりました。でもそのとき、母から「お前は結婚するのが怖いんだ!」とさんざん責め立てられたのです。どうも両親は、このお見合いで私が結婚すると思っていたみたいでした。それなのに私が断ることを決めたので、相当ショックを受けたようなのです。


このとき私は思いました。「この家に戻ったら、自由ながなくなって、親の言いなりに生きていかなければいけなくなっちゃう!」

そして私は決心しました。「実家へ戻るのはやめて、1人暮らしを続けよう」

この決心で、私は経済的な不安に陥ることになるのです。


経済的な苦しさを知った失業生活


1人暮らしを続行することに決めたのですが、会社を退職することは撤回できません。辞めた後もなんとかして生活費を工面して、1人で生きていかなければいけない。それは大変な決断でした。
それに、自己都合で退職したので、失業保険は3ヶ月間の待期があります。仕事を探すにしても、失業保険はもらっておこうと思っていた私は、生活費をとことん切り詰めて、出費を極限に抑えた生活を始めたのです。


貯金の取り崩しは、「もったいない」ことでしたが、仕方ありません。家賃や光熱費、食費を捻出するため、私はこの頃から、自分のお金の使い方とじっくり向き合う作業を始めたのです。どんなことに、どれくらいのお金が必要になるのか。必要なものを全部書き出し、貯金をどれくらいまでなら取り崩せるかを確認しました。

そして、失業保険を受給することになってからは、1ヶ月分の給付金の使い方をきっちりと決め、失業保険が出ている間は、貯金を絶対に取り崩さないとルールを決めて、最小限の生活費で生きていけるように頑張りました。


しかし、失業保険が受給できるのは3ヶ月間のみ。その後は仕事をしなければ生きてはいけません。失業保険をもらいつつ、その後の仕事探しも始めました。そして、どうにかこうにか派遣社員としての働き口が見つかり、私の貧しい極限に切り詰めた生活は終了することになったのです。


仕事が見つかって働き始めたけれど、社会保険料は自分で納めなければいけなかったので、そんなに余裕のある暮らしはできませんでした。また、最初の派遣先は4ヶ月で終了したので、その後の働き口も見つける必要がありました。けれども、運がよかったのか次の派遣先はすぐに決まりました。そこは期限のない契約だったので、定期的な収入は途切れることなく、とりあえず自分1人なら無理なく生活していくことができるようになったのです。

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実は、失敗は成功の元だった

一時は実家へ戻ることを決意しましたが、自分らしく生きていくために1人暮らしを続け、あげくに正社員を辞めて失業保険だけの最低限の生活を経験した私。そもそもの失敗は、一時的に実家へ戻ると言って両親をぬか喜びさせてしまったことでした。親には期待を抱かせてしまったので、それは悪かったなと思っています。

でも、今振り返れば、失業して最低限の生活をしたことで、私は家計を管理するコツを体感することができました。そのときの経験は、今の私の職業、ファイナンシャルプランナーの仕事に役立っています。

そしてもう1つ、いいこともありました。最初の派遣先で仲良くなった社員さんに誘われて出かけた旅行先で、今の夫と出会うことになるのです。

3ヶ月の失業生活、約2年の派遣社員生活は、正社員の頃に比べると手取りが少なく、生活も大変でした。けれども結果として結婚することができ、安定した生活が手に入りました。また、最小限の切り詰めた生活の成功が、今の家計管理をサポートする仕事に役立つことになっています。実は、あの時の失敗は、幸運の入り口だったのかもしれません。

あの失敗があったからこそ、今の自分がある。今となっては懐かしい貧困生活の思い出です。

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