普通になれない「はぐれ者」たちへ。

生きていれば、自分の力ではどうしようもないことがある。

人とうまく喋れないこと。

子どもをつくれないこと。

同性を好きになること。

それは、誰にだって、僕にだって、ある。

だからせめて、本人の力ではどうにもできないことを、責めたり、嗤ったり、白い目で見たり。そういうことだけはしないように。

どうか、自分にはどうしようもないことで傷つけられる人がこれ以上増えませんように。

そう願った。


『腐女子、うっかりゲイに告る。』第5話は、どうしてもみんなと同じ「普通」になれないボヘミアン(はぐれ者)の純(金子大地)が、すべてを捨てた回だった。

小野(内藤秀一郎)と殴り合いのケンカになったあと、迎えに来た母親(安藤玉恵)は、決して純を叱らなかった。その代わり、「女の奪い合いで殴り合うなんて、青春まっさかりって感じだね」「彼女、今度ちゃんと紹介してね。純くんにここまでさせる女性に1回会ってみたいのよ」と微笑みかけた。

その優しさが、純にはどれだけ苦しかっただろう。

母を遮断するように、純は窓に身体を寄せ、いつものようにイヤフォンで耳を塞ぐ。聴こえてくるのは、Queenの『Bohemian Rhapsody』。


Mama, ooh (any way the wind blows)
(ママ)

I don't wanna die
(死にたくないよ)

I sometimes wish I'd never been born at all
(時々思うんだ 生まれてこなきゃ良かったって)


母親のすぐそばで、この一節を純は聴いていた。あのとき、純は何を想っていたのだろう。その何も映らないような瞳で、何を見つめていたのだろう。ただフレディ・マーキュリーの歌声とエレキギターが、誰にも言えない純の心の内を語っている気がして、僕は泣いた。


そんなこと百も承知でいたつもりだったけど、人と人は完全にわかり合うことも、分かち合うことも、できない。それが家族や親友、恋人であったとしても。

無神経に見える小野の行動も、そもそもは亮平(小越勇輝)を想ってのことだし。たとえわざと悪辣に振る舞っていたとしても、あれだけ挑発的な態度をとる純を、小野が嫌うのも無理はない。

だから、小野は言った。純に馬乗りになり、拳を振り下ろしながら、「お前に人の気持ちがわかんのかよ」と。でも、そんな小野だってわかっていない。純は何も同じ同性愛者だからQueenが好きなわけじゃない。そんなふうに世界を簡単にしないでくれ。わかったふりをしないでくれ。だから、純は反撃に出た。

「亮平とセックスをする夢見たことがあるんだ」と告白する純を、亮平は庇った。「それが何だよ。俺だって藤センとセックスする夢を見たことあるから」と。

異性愛者でも、同性愛者でも、変わらない。人間なんてみんな変態なんだから。そう言いたい亮平の優しさは、わかる。

でも、きっとずっと年上なんだろう女性教師を相手に淫らな夢を見ることも、オナ禁も、夢精も、どれも笑い話になる。男同士、肩を組んで「お前、本当変態だな」と笑えば、それでじゅうぶん絵に描いた青春の1ページになる。

でも、親友に欲情することは、誰も笑い話になんかしてくれない。キラキラした想い出になんか絶対ならない。僕と、それ以外の間に引かれた線は、消えない。

小野にアウティングをされてからの光景は、すべてが純の敵のようだった。困惑の視線を送るクラスメイトや屋上で無神経な噂話をする男子高生たちはもちろん、ただ通り過ぎただけのジャージ姿の女子高生も純をエサに笑っているように見えたし、無数に並んだイーゼルさえ純を囲う木製の檻に見えた。

被害妄想なのはわかっている。でも、きっと純はそんな世界で生きていたのだろう。いつか自分のセクシャリティが明らかになったら、みんなが後ろ指を差す。もう普通の暮らしに戻ることなんてできない。

だから、純が教室から飛び降りたのも、決して衝動的ではなくて、本当に言葉通りもう疲れてしまったんだと思う。自分が悪いと責めることにも、世間の偏見に怯えることにも。

I need no sympathy
(わかってもらわなくたっていい)

フレディは、そう歌った。そして飛び降りる直前、純はこう願った。

ああ、ほしかったな、普通が。

ただ普通になること。それが純の望みだった。

でも忘れてはいけないことは、いちばんほしかったものが手に入らないのは、純だけじゃないということだ。紗枝(藤野涼子)もまた絶対に振り向いてくれない人を本気で好きになってしまい、亮平も好きな女の子を親友に奪われるかたちになった。みんな、ほしいものが手に入らなくて、苦しくて、自分を責めて、他人を羨んでいる。でもだからと言って、それで自分のみじめさが癒されるわけでもないし、この罪悪感から解放されるわけでもない。人は完全にわかり合えるわけでも、分かち合えるわけでもないのだ。

じゃあ、どうして人は人と生きていくのだろう。人と生きていきたいと願うのだろう。同性が好きとか、異性には勃たないとか、そういうことじゃなくて。こんなにも苦しい想いをしながら、それでも誰かに自分のことをわかってほしい、そばにいてほしいと想うその先にあるものを、孤独な純が、見つけてくれたらいいな、と思う。

屋上から飛び降りたあと、真っ暗な闇の中に差し込んだオレンジの光。その光が、純にとって希望の光であることを、痛む胸をおさえながら、僕はすがるように祈った。

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