【ショートショート】鶴になる
特急で都心から一時間ほどの郊外に小さな森がある。
私が軽装にリュックの姿で中に入っていくと、きゅーきゅーと甲高い声がして、タンチョウヅルが舞い降りてきた。
と思った瞬間、姿勢のいい男が私に覆い被さんばかりの近距離で立っている。
「こんにちは」
「こんにちは」
私はリュックから、折り畳みのヨガマットを取り出した。
鶴になりたいと思ったのは二十五歳の時だった。それまでも何回かヨガブームはあったが、魂の変容を助けるマットの開発によって、爆発的に広がった。
ツルオ先生の弟子になりたくてこの森を訪れたら、
「三年間、ふつうのヨガを練習してきなさい」
と都内のスタジオを紹介された。
この森でのレッスンが始まってまだ半年もたたない。
「じゃあ、いつものように軽く体を慣らして」
「はい」
「いくよ、鶴のポーズ」
私は両手を地につけ、尻を上げ、両脚を折り畳んだ。
「そのまま三十秒維持」
「はい」
「右足を伸ばして。長く。もっと長く」
心がだんだん澄んでいった。
「よおしよおし。上手いぞ。上体を反らせて」
マットが私に力を注ぎ込んでくる。
「君はもうツルだ。歩いてごらん」
私はおそるおそるあたりを歩き回った。
「飛べっ」
両手に力を込めた。
ふわっと体がすこし浮いた気がした。
が、ダメだ。私は力の限界を感じた。急にヒトの姿に戻っていく。
「三十秒ってところかな」
とツルオ先生は言った。
「二分を目標にしようか」
私は時間よりも飛べなかったことがショックだった。
「先生! 私、重いですっ」
次回から、ヨガ以外にダイエットも始めることになった。
(了)
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