人は誰もがテラスハウスのような人生を送れるという話。

「テラスハウスのようなキラキラした生活を送ってみたい!」

「私もテラスハウスに住んでみたい!」

これを読んでいるあなたはそう思ったことはないだろうか?そしてそんな自分に対して「何を馬鹿なことを...」と言い聞かせてはいないだろうか?安心してほしい、私もその一人である。いや、私のみならず、日本中の至るところの億千万の人々が一度はそう考えたことがあるに違いない。

過去テラスハウスには友人とまではいかない知人であったり、サークルの後輩(被ってはいない)であったり、割と身近な人たちが意外にも出演していた。僕はそれを見て「自分もテラスハウスに住んでみたい!」と思いウェブサイトで入居者の募集を探したこともあった。ただ明確な理由は覚えていないが応募はしていない。どうせ自分なんかが受かるわけない。そう思い、そっとページを閉じた気がする。

テラスハウスがなぜウケるのか


テラスハウスは「等身大の一般人」の恋愛や仕事、その成長する様子を覗き見できるのが醍醐味である。「等身大の一般人」というのがかなりポイントで、そこには我々のようなテレビの中の世界に生きていない一般人にも「親近感」を持たせてくれる。その親近感こそが共感を生み、番組をヒットさせる要因にもなっているだろう。

テラスハウスへの憧れ


ただ実際はどうなのだろう?僕が応募ページを目の前にページを閉じたように、または応募はしたが面接にすら辿り着けなかった者、面接は受けることはできたが結局は入居できなかった者、テラスハウスのような生活に憧れ、散っていた者は数多といるだろう。

いつしかテラスハウスの出演者は「等身大の一般人」から「雲の上の存在」に成り上がってしまったのではないか?テラスハウスに入居するだけでInstagramのフォロワーが爆増するのがそれを物語っている。テラスハウスに入居するだけで手に入る生活が、夢があると思っていた。

自己増幅していたテラスハウスへのキラキラ感


視聴者がテラスハウス入居者の生活にどのようなイメージを持っているのかは分からないが、少なくとも僕は「キラキラしてる」「楽しそう」「自分もこんな人生送りたい」そう思っていた。当初は「何がキラキラしているか」すらも考えたことがなかった。画面に映る男女6名がただひたすらに輝いて見えたのである。ただそれは、自分自身が生み出した幻想であったということに気づく。

自身で感じていたキラキラに対する違和感


テラスハウスの鎌倉編が終わり、第二章が始まった。その時も変わらずキラキラした入居者たちの生活を画面越しに眺めていた。特に「嫉妬」まではいかないが、「いいなぁ」くらいの感情で眺めていた。ただこの時、第一章を見ていた時との何かの違いを感じ、自分の中で気づいたことがある。それは舞台が『東京』であるということである。

テラスハウスで眺めたいたキラキラした生活は、僕らが歩んでいる人生と何ら変わりはなかった


東京をステージにしたこの第二章では、入居者には『大学生』『会社員』という、東京の街で暮らしている僕にとって馴染み深いライフステージの人も多くいた。そして彼らを画面越しで眺めていて「この人たちの人生は、僕らと何ら変わりがない」ということに気付いた。彼らは画面の前の僕らと同じように、恋に悩み、仕事につまづき、酒を飲み、そして成長していくのである。その生き様は、職種、業界、ライフステージは違えど、僕らの人生そのものであると気がついた。

テラスハウスに憧れていたのではなく、ただ誰かに憧れていた


僕はテラスハウスに憧れていたのではなく、『キラキラして見える他人の人生』を羨ましく思っていただけであった。その対象がただテラスハウスに向いていた、ただそれだけのことである。画面上の演出されたキラキラしている部分だけを見て、自分もそんな人生を過ごしたいと思っていた。もし仮に自分がテラスハウスに入居したとすれば、テレビを見ている他の誰かは演出されたキラキラの僕の人生を見て「いいなぁ」とか「私もこんな人生送りたい」とか思うに違いないのである。

つまらない人生などない


僕らは自分自身の人生をつまらないと思っているかもしれない。ただつまらない人生なんて存在しないなんて最近は思うのだ。それは必ずしもハッピーエンドとは限らない。ただ誰のどんな人生にも、何かしらのストーリーが隠れているのだ。自分の人生がつまらないと感じた時、自分を客観的に切り取ってみてほしい。そしてその人がテラスハウスに出演してるメンバーだと想像してほしい。まずオープニングムービーの中でその人がオフィスに向かい歩き、デスクでメールを打ち(ミスをして頭を抱えながら)、友達と酒を飲んでるというただそれだけの様子が何故かイケてるように感じないだろうか。その後に出てくるテロップ(名前と年齢と職業)が、めちゃめちゃキラキラしたものに見えないだろうか?それはいつもつまらないと思っている自分自身である。

自分の人生を生きろ!


つまらない人生などない。誰かに嫉妬してしまうこと、羨んでしまうこと、つらいなと思いながらも仕事を頑張ること、飲みすぎて翌日会社に行けない自分に自己嫌悪してしまうこと、それを含めて自分の人生である。みな、自分の人生を生きるしかないのである。そしてその人生は決してつまらないものではないのだ。









眠いので明日は会社休みます。

お金がなさすぎて死にそう(死にそう)