『ごめんね青春!』第4話をレビューする

■第4話「恋の嵐!ガッついていこう!」(2014.11.02OA)

14年前、交際していたサトシ(永山絢斗)にそそのかされて、礼拝堂に火を放った—とされている—姉・祐子(波瑠)の行動を、りさ(満島ひかり)はこの回の冒頭で、以下のように切って捨てます。

りさ「姉の行動は短絡的で自己中心的で軽蔑に値します。それが恋愛だと言われたら、経験のない私にはわからないし、わかりたくもありません。自分を律することもせず、第三者を巻き込んで不幸にするのが恋愛なら、一生無理。ていうか、気持ち悪いです

現に、この事件のせいで、りさは放火魔の妹として後ろ指を差される青春時代を過ごしました。
恋愛経験のないりさにとって、人が恋愛で自制心を失い、相手のために周りの迷惑も顧みないほどなりふり構わず暴走するさまは、理解を超えた「気持ち悪い」ものです。
そして、そんな彼女の恋愛観は、ある意味でとても正しいと言えます。

たとえば、これは私の勝手な定義ですが、好きな相手が人を殺してしまったとき、「出所するまで待ってるから自首して」と言えるのが愛、「かくまうから一緒に逃げよう」と思ってしまうのが恋と、私はその両者を区別しています。
そう、恋とは正論を飲み込んでも相手の味方につくこと。
そもそもが“正しさ”とはかけ離れた、気の狂った状態なのです。

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そんな恋愛の“正しくなさ”は、東高と三女の実験クラスの生徒たちの間に、前回までほとんど何の伏線も布石も張られていなかったにもかかわらず、今回になって何の説明もなく“いきなり”複雑な恋模様が芽生えていることでも表現されています。
ここで言う“正しくなさ”とは、“偶然性”“無根拠性”と言い換えてもいいかもしれません。

あまり(森川葵)にフラれた海老沢(重岡大毅)は中井(黒島結菜)に乗り換え、あまりと村井(小関裕太)は半田(鈴木貴之)に思いを寄せ、昭島(白洲迅)は神保(川栄李奈)を、神保は大木(竜星涼)を、大木と成田(船崎良)は佐久間(久松郁実)を好きになる……という怒濤の片思いの連鎖。
さらに、ビルケン(トリンドル玲奈)が一方的に古井(矢本悠馬)に惚れ、交際が始まります。

進学校である西高にファンクラブができるほどかわいいビルケンが、「植田まさしの漫画みたいな顔」をした古井を好きになった理由は、彼女いわく「日本語のレベルがだいたい一緒で難しくない」「こじんまりしてる」「礼儀正しい」「普通だから」とのこと。
それに対して、古井は「バランス悪りぃだろ」「なんで俺なんだよ」「嬉しくねえ〜」と戸惑いを隠せません。
なぜなら、それらはいずれも“古井でなくてはいけない”根拠にはならないからです。

つまり、彼らの恋愛には、おしなべて根拠がない。必然性がない。理由付けがない。きっかけがない。説得力がない。そうした背景をあえて描かず、恋愛を“そういうもの”としてクドカンは扱います。

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“片思いの連鎖”といって思い出すのは、同じTBSで制作されたクドカン脚本×磯山晶プロデュースのコンビによる2003年のドラマ『マンハッタンラブストーリー』です。
このドラマは、純喫茶「マンハッタン」に客として訪れる登場人物たちが、次から次へと一方通行の片思いの連鎖に陥っていくさまを、主人公の寡黙なマスター(松岡昌宏)が傍観者として見守る、という構造になっているのですが、その劇中に、こんなセリフがあります。

マスター「私は、君とは比べ物にならないくらい、恋愛経験が少ない。去る者は追わず、来る者はなるべく拒んできた男だ。人の気持ちなど当てにならないということを知っているからだ。たいした理由もなく、好きになったり嫌いになったり、くっついたり離れたり。そういう場面を私は、あのカウンター越しに見てきた

恋愛とは、当事者の輪の外から傍観している限り、無根拠で、当てにならない、いくらでも“入れ替え可能”な感情である、ということを、メタ的にコメディとして笑いのめしたこの作品は、個人的にクドカンドラマの大傑作だと思っています。

ともかく、“黒板に登場人物の恋愛相関図を書いて整理する”という、『マンハッタンラブストーリー』でおなじみだった場面が、今回『ごめんね青春!』で再び出てくるのは、決して単なるモチーフの使い回しやクドカンファンを喜ばせる小ネタではなく、『マンハッタン』であぶり出した恋愛認識を、ジェンダー闘争を枠組みとした今作の中でもう一度とらえ直そうという意図を感じるのです。

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さて、今回は、そんな恋愛という禁断の果実を食べてしまった意外な人物が、他に2人登場します。
1人は、三女生の中でもっとも合理的で理想が高く、当初は男女共学に反対する急先鋒だった生徒会長の中井。
もう1人は、冒頭であれだけ恋愛を忌み嫌っていたりさです。
しかも、その相手はよりによって2人とも平助(錦戸亮)。

中井は、文化祭の実行委員の親睦会としてやってきた伊豆・三津シーパラダイス(通称・みとしー)で、誰にも見られない隙を伺って平助にその思いを打ち明けます。
しかし、それが決して成就させてはいけない恋であることを自覚し、告白以上のことを求めないと決めるのです。

中井「ダサいと思ってました。男の先生とこっそり付き合ってる先輩とか見て、近場で済ませてんじゃねえよ、終わってるって思ってました。だから私も、先生のこと好きだけど、付き合うつもりはないです。でも、好きって気持ちは伝えようと思って」

おそらく誰よりも「愛と謙遜と純潔」という校訓に従い、自分を律してきた中井にとって、その降って湧いた恋心は意に反するものだったでしょう。
自分の感情に戸惑いながらも、整理をつけるために冷静に気持ちを平助に伝えるだけにとどめた告白の仕方は、いかにも中井らしいと言えます。

平助もまた、中井のそんな心情に配慮してか、恋にうわついたクラスの生徒たちに対して、授業で「いきなり特別な存在を見つけようとしても無理。ガッつくな」といさめるのです。

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一方、興味深いのは、りさの方です。
片思いの連鎖の渦中に巻き込まれ、東高の生徒会長・半田から告白されてしまったりさは、「先生、結婚するの」と言ってその申し出を断ります。
しかし、「付き合ってはいない」し、好きかどうかも「わかんない。でも、徐々に? 好きになれると思う。結婚するからね」と、要領を得ないことばかり言うりさ。
その相手が平助であることを打ち明けると、本人にも言っていないが、今日、一方的に結婚することに決めたと、とんでもないことを言い出します。

その理由は、みとしーに行く途中の伊豆箱根鉄道(通称・いずっぱこ)の中で、ハート形の吊り革を平助と一緒にたまたまつかんでしまったから。
「一日一回、いずっぱこの中に一本だけ下がったハートの吊り革をつかんだ男女は、永遠に結ばれる」という三女生に伝わる都市伝説を、りさは律儀にも運命と感じてしまったのです。
「鉄道会社がPR目的ででっちあげた迷信」と自ら言っていたにもかかわらず、です。

りさ「だって一日一両しか走ってないんだよ? その中の一本だよ? すごい確率じゃん、ていうか運命じゃん!

りさの恋愛感情は、運命という名の根拠のない偶然、それも都市伝説という歴史もゆかりもない、いわばただのサブカルチャーに依拠しています。
しかも、好きかどうかもまだわからず、これから好きになっていくだろうと不可解なことを言うのです。

そして、その気持ちを授業で板書して説明します。

You must love him,
before to you he will seem worthy of your love.
(愛するに値する相手かどうか、考える前に愛せ)

これは、イギリスのロマン派詩人ウィリアム・ワーズワース(1770-1850)の言葉ですが、りさは自己流にこう訳すのです。

“好きにならなきゃ、好きな理由はわからない”

りさは、続けてこう問いかけます。

りさ「たとえば、阿部さんは、半田さんのムキムキなところが好きだとするよね。その場合、ムキムキだから好きなの?

女性が、「優しい人が好き」「誠実な人が好き」「おもしろい人が好き」と言うとき、男性は往々にして心で「ケッ」と思っています
それは、優しい、誠実、おもしろいということを根拠に、人は人を好きにならないということを、経験から知っているからです。

りさ「まず、好きって気持ちが芽生えて、相手のことをよく見るから、ムキムキに気付くわけです

優しい人ならいくらでもいる。誠実な人はその男だけではない。おもしろい人なら俺でもいいはずだ。
つまり、女性が口で説明してくれる”好きな理由“は、いつだって“入れ替え可能”なものばかり。“その男を好きになった根拠”にはなっていません。

なぜなら、そんな根拠は“存在しない”からです。
恋愛感情そのものの正体は、運命や直感や偶然といったあいまいな言葉で片付けられ、自分自身でも自覚できていません。
なんだかわからないけど好きになり、好きになった人だから、優しさや、誠実さや、おもしろさを、後付けで理由にしているだけなのです。

りさ「だったら、直感を信じてみませんか? 理想と違うからとか、条件が合わないからとか、そんなの時間の無駄! 人生は一度きりなんです! ガッついていこう!!!」

彼女が“直感”と呼ぶ恋愛感情の正体は、ひょっとすると性欲や発情と呼ばれる“生理的な反応”にすぎなかったり、この人なら承認欲求や自己肯定感を満たしてくれそうだという“心理的な投影”だったりするかもしれません。
しかし、特に女性は性欲を自覚しないように教育されたり、あるいは自意識の問題を他人への献身や依存によって解決することを内面化しているので、「優しい」「誠実」といった入れ替え可能な条件か、もしくは「ハートの吊り革」のようなロマンチシズムでしか、自分の欲求の正体を言語化できないのです。

だから、ときに男はそれを「女の欺瞞」であるかのように思ってしまいます。
女性は、口で語る理想の男性のタイプと、実際に恋愛感情が発動する男性のタイプが、往々にして違うことがあります。そのことを女性自身も自覚できていない(自覚しないように抑圧される)ため、ダメな男や、不誠実な男にのめり込んでしまい抜け出せなくなっている例は数えきれません。
いわゆる“非モテ”の男性から見て、女性が「どうせ女はDQNやヤリチンが好き」というふうに見えてしまうのは、そのせいでしょう。
(ちなみに、自覚できていないのは男性も同じで、男性の場合は性欲や支配欲を恋愛感情だと錯覚・混同するパターンが多いと思います)

厳格なカトリックの教えを遵守し、いわば宗教規範という“コレクトネス”に従って生きてきたりさでも、ハートの吊り革という薄っぺらい根拠をきっかけに、あっさり落ちてしまうのが恋愛です。
そう、恋愛とは、圧倒的に正しくないものなのです。
正しさにとって、それはノイズでしかありませんが、そこに矛盾を抱えながらも人は恋愛という感情にどうしようもない魅力を感じ、それに振り回されてしまいます。
では、そんな正しくないものと、どうやって折り合いをつけて生きればいいのか。

東高と三女の彼らの、おそらくは今後も二転三転するであろう恋模様を、見守りたいと思います。


■第4話その他の見どころ

・平田満と風間杜夫の共演は、往年の「蒲田行進曲」を知る者にとってはニヤリとさせられるもの。風間杜夫の尊大な感じと、平田満の小市民感も、どことなく銀ちゃん×ヤスの関係性を思わせる…といったら言いすぎか(もちろんBL的にはヤス×銀ちゃんでしょうが)

・ちなみに、クドカンが脚本を手がけた映画『GO』には、主人公・杉原(窪塚俊介)の母親(大竹しのぶ)が焼肉屋で見かける有名人として、平田満が本人役で登場するという原作にはない脚本オリジナルのシーンがありました。

・劇中では蜂谷善人(平田満)が発案者とされている「みしまコロッケ」は、静岡県三島市の実在するご当地グルメ。三島市のWEBサイトによると、みしまコロッケの定義は「三島馬鈴薯(メークイン)を使用する」ことだけで、中に入れる具や形は店ごとにまかされているとか。

・ビルケンと古井がデートしていた「楽寿園」は、国の天然記念物・名勝に指定されている三島市立公園。ちなみに、ビルケンいわく「足拭きマットの臭いがする」アルパカの名前はコアラとクララ。

・合同文化祭の実行委員たちが、親睦を深めるために行った「伊豆・三津シーパラダイス」を、実際のCMを流して紹介。この回は他にも「かりあげクン」や「悲しい色やね」「荒俣宏」などの固有名が画像付きで出され、クドカン作品特有の小ネタ感、現実と虚構が越境するメタ感を色濃くしている。

・東高と三女はお互いを拒絶してきたが、それは「汝の隣人を愛せよ」という、神の教えに背いていたという吉井校長。「信仰心が、信仰の妨げになっていたのです」というセリフは、一見、本編とは関係ないものの、男性ジェンダーと女性ジェンダーの相互理解をめぐる、とても象徴的な指摘のようにも感じます。

・スナック「ガールズ・バー」の壁に貼られているポスターは、2006年に放送されたクドカン脚本の昼ドラ『吾輩は主婦である』に出てきた架空の韓流スター「ペ・ヤングン」のもの。

・「どんまい先生」こと淡島(坂井真紀)への、年齢と容姿に関するハラスメント発言を、「ちょっと!彼女傷付いてますから!」とたしなめる体育教師・富永(富澤たけし)。しかし本人からは、「その雑なフォローがいちばん傷付く」と突っ込まれてしまいます。どんまい先生は、いわば男性社会の規範を内面化し、迎合することで生き延びてきた存在。セクハラは笑ってやりすごしてきたであろう彼女にとって、下手な正義感の発露はかえっておせっかいなのです。

・一度タガが外れるとしらふでも暴走気味になる意外なキャラが露呈した吉井校長(斉藤由貴)ですが、その酩酊っぷりはすごくチャーミング。酔いつぶれて平太の隣に寝ていたことに気付く場面が、最盛期の斉藤由貴のかわいさを取り戻していて驚いた! とTL上で密かに話題になっていました。


■第4話の名台詞

りさ「ムキムキだから好きなの? それとも、好きだからムキムキなの? …ん、なんか変だね

(りさが、“好きにならなきゃ、好きな理由はわからない”を説明しようとして、迷路に入り込んだときのセリフ)

その他の名言候補
・ビルケン「アルパカ…なんか足拭きマットみたいな臭いするよ」
・古井「一人クローズ気取ってるけど、実際は植田まさしの漫画みたいな顔してるし」
・りさ「女子校で勤務する男性教諭は、3割から5割増しでかっこよく見えるんです。荒俣宏が、ニコラス・ケイジに見えるんです」
・吉井「信仰心が、信仰の妨げとなっていたのです」
・淡島「その雑なフォローが一番傷付く」
・りさ「優しい人が好きっていう女ほど、人の優しさに気付かないんです。それは、優しい人っていう条件で男を探してるからでしょ?」

■この記事は投げ銭制です。これより先、記事の続きはありません■

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