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Adoは日本の仮面文化の象徴だ!コンテンツとしての『覆面』の存在

面白い記事を見つけた。

先日の歌番組で歌手のAdoさんがシルエット出演したという内容だ。
記事の中では
「シルエットで出演することで戸惑う人もいた」
「顔出しなしと口パクはどちらが良い?」
など肯定なのか否定なのかよくわからない文章が続いていたが、個人的には、Adoの「顔出しなし」はすでに受け入れられている、もしくは、今は違和感があってもすぐに受け入れられると考える。
その根拠は、日本に長く続く『仮面文化』だ。

■日本の『仮面文化』

1つ断っておくと、今回用いる『仮面文化』という言葉は、私が独自に作った造語である。
意味は、日本では欧米に比べ、仮面を顔や姿を隠すための『覆面』ではなく、その見た目の姿の『仮面』の姿をその人自身として認識するということである。

例えば、スーパーヒーローもので、ハリウッド映画などでよくあるのが、元々その登場人物には超人的な力を持っており、ヒーロー活動を行うときはヒーローの服に「着替えて」行う。
昔でいうと、電話ボックスで着替えるスーパーマンなどは象徴的だ。

それに比べ、日本のスーパーヒーローものは、普段は一般的な登場人物が、活動時に、ヒーローへ「変身」する。
ヒーロー仲間も、お互いの正体がわかっていても、変身前と後で、呼ぶ名前を変えている。

また、プロレスには「覆面レスラー」という、マスクを被ったレスラーがいる。
もとをたどると、プロレス発祥の地メキシコでは、副業としてレスラーをしている人が多く、名前の通り顔を覆って隠すために覆面をしていたとされる(諸説あり)
しかし、日本では、タイガーマスクや獣神サンダーライガーなど、マスクの外側の存在がレスラーそのものだと認識されている。

ここからわかるのは、変身前と後、マスクをかぶっているときとそうでないときでは、別人格扱いをされているということだ。

■市民権を得ている?「顔出しなし」の人たち

顔出しなしのアーティストで有名なグループと言えばGReeeeNである。

ウィキペディアを確認すると、20年以上活動されているということだ。
もとは歯科大学の学生だった彼らは、「本職に支障をきたさないように」という理由で、姿を隠している。
はじめの頃は、姿を出さないというところが前代未聞で
「いつか姿を晒すだろう」
とか
「結局歯医者をやめてアーティスト活動に専念するだろう」
とか思っていたが、このスタイルでもう20年以上…。
姿を出さないアーティストとしては、さきがけ的存在なので、ファーストライブまでの期間やテレビ出演までの期間も数年単位になる。
きっと試行錯誤したのだろう。

クレヨンしんちゃんの作者、臼井儀人さんは、「作品のイメージを壊したくない」という理由で顔出しメディア出演はNGだった。
ラジオなどには出演されていたが、
「こう見えてぼく、今全裸です」
など、なんともクレヨンしんちゃんがそのまま大人になったような発言を残している。

これらからもかるように、『顔出ししない』著名人は以前からいる。
そして、私達は、それらを「そういう人」として受け入れている。
今更素顔を見たいとも思わないし、逆に素顔を出すことで、嫌悪感を示す人もいるかもしれない。

■Adoには、周りを凌駕する歌唱力がある

Adoさんの話に戻そう。
彼女の人気は、人を圧倒するレベルの力強さからくる歌唱力だ。

元々彼女が歌う曲のデモ音源(製作途中の音源)は、ボーカロイド(音声合成技術)が歌っているとのことだ。

音の出せる方は上記ユーチューブを聞いていただければわかるが、Adoさんの歌うものとは全く違う。
これを彼女が独自でアレンジして、あの力強い歌いまわしになったというのだから、歌唱力だけでなく表現力も圧倒される。

ましてや、ライブなどで魅せる声のパフォーマンスは、配信などで聞くそれを超えたパワーを秘めているのがわかる。
これはぜひ会場で聴きたい、と思わせてくれる。
会場に行ってもシルエットしか見ることができないというのは、全くマイナス要素にならない。

なぜなら「Ado≒あの歌唱力」だからである。

■パフォーマーの使命は「自身最高のパフォーマンスを魅せる」こと

そもそも、エンタメ然り、スポーツ、政治、会社員…すべての業界で、「パフォーマンスをする」ということは、自身最高のパフォーマンスを魅せることだ。
手を抜くというのが一番の悪であり、自身最高のパフォーマンスは一人ひとり違うものである。必ずしもすべての人に受け入れられる必要はない。
姿を見せずに最高のパフォーマンスができるならそれで十分だし、口パク論争にしても、それをせずに全てにおいて中途半端なパフォーマンスになるのなら、歌の部分は口パクにして、ダンスなどの部分で最高のパフォーマンスを見せれば良い。

嫌な人は見なければ良い。少なくとも、ソーシャルやマスメディアで論争をするほどの議題でもない。

加えて、口パクや顔出しなし出演に対して、否定的に論じている人たちは、多様性の入門編すらクリアしていない人にた見える。
それすら受け入れられない人たちに、人種や障害や職業、ジェンダーの多様性が受け入れられるとは思えない。


とまぁ、ここまで好き勝手なことを論じてきたが、Adoさんご本人にとっては
「うっせぇわ」
の一言に尽きるだろう。
お粗末様でした…💦

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