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「がんばる」の前に意識すること。

昨夜、サッカーの試合を観ながら考えた。

観たのはイングランドプレミアリーグ、フラム vs. リヴァプールだ。そして今季のリヴァプールを観るということは当然、遠藤航選手を中心に観ることになる。もうずっと、ほとんど毎試合観ているけれどほんとうに遠藤選手はよくやっている。

彼にかぎらず、だけれども、活躍している選手を観るときのぼくらは「がんばってるなあ」ということばを漏らす。最近のヨーロッパでいえば、南野選手も堂安選手もがんばっている。久保選手も、もちろん遠藤選手もがんばっている。

しかしながら「がんばる」は、いかにも精神の話だ。がむしゃらに、自分の限界を超えて走り、日本にいたとき以上の激しさでボールを奪いにいく。闘志をむき出しにしてチームの勝利を、みずからのゴールをめざしていく。それが「がんばる」の姿だ。

それが昨夜の遠藤選手を観ていて、「がんばる」は闘志だけの話じゃないのだと思った。

「がんばる」の前提にはきっと、「落ち着く」があるのだ。世界最高峰のプレミアリーグで、しかもリヴァプールという強豪中の強豪で、屈指の名将に率いられながら超ワールドクラスのチームメイトたちと、高度にもほどがあるサッカーを展開していく。ここでいくら闘志をむき出しに「がんばった」ところで、結果はついてこない。まずは落ち着く。自分が身を置く環境に、目の前の対戦相手に、味方からのパスに、冷静に対処する。自分を信じて、自分にできることを考えて、決して舞い上がらず、つまりできないことまでしようとせず、落ち着く。そういう落ち着きの先に、ようやく「がんばる」があるのだと思った。


スポーツ選手ではないぼくらにも、人生の折々で「がんばる」べき場面は訪れる。これ以上ないほどの真剣が求められる場面は、ときどきある。そこでどれだけ落ち着いていられるか。我を忘れず、無我夢中の罠にはまらず、自分を超えすぎた無茶に酔わず、自分を保つことができるか。安易な「がんばり」で自分を駄目にしてしまわないか。

落ち着いて、がんばる。

なにごとにおいても大切なのは、きっとその順番なのだ。