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会議とわたしと打ち合わせ。

これが職人気質、というものなのだろうか。

会議が苦手である。会議の場になると緊張するとか、なにも発言できないまま終わってしまうとかではなく、むずむずしてくるのだ、会議が続くと。もちろん会議が大切であることはよく知っているし、朝から晩まで会議の連続でヘトヘトになっている人のことも知っている。大変だなあ、と思うし、心からのお疲れさまを贈りたい。

しかしながら自分のことにかぎって言うと、たとえば2時間の会議があったとして、それで話が盛り上がり、あたらしいアイデアが出たり進むべき道がわかったりしたとして、やっぱりぼくには「なにも生んでない」の気持ちが残ってしまう。

その2時間、机に向かっていれば原稿がこれだけ進んだであろう。1000文字かもしれないし2000文字かもしれないけれど、なにか前に進んだであろう。「ええい、書きなおしだ!」と10,000字分を削除したとしても、それは前に進んでいるということだ。ともあれぼくは、書いている実感というか、仕事が前に進んでいる実感、なにかを生みだしている実感が、そこにほしいのである。

だから、原稿がぐいぐい進んでいる日の自分は、どんなに忙しかったとしても——たとえ徹夜であったとしても——すこぶる機嫌がよい。ああ仕事をしているなあ、なにかを生みだしてるなあ、との充足感でうきうきしている。

で、唯一の例外が編集者さんとの打ち合わせで、これはモノとしての原稿が前に進んでいるわけではないけれども、自分への宿題をどんどん重ねていく感じがあって、もうすこし抽象的な言い方をすると未来の自分への借金を重ねている感じがあって、まだ書いていないけれども頭のなかでは書いているというか、「あとは文字にするだけ」みたいな執筆の作業でもある。


先日もそういう未来の自分に大借金を背負うような打ち合わせがあったのだけど、かまわない。あとは文字にするだけ、あとはおれが書くだけ、なのである。

仕事とも雑談とも言えないミーティングは好きだし、みんなでしゃべるから出てくるアイデアもあるんだけどなあ。やっぱりぼくは「会議が仕事」の人にはなれないし、そこは職人気質のあらわれなのかもしれない。