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「正義の味方」に疲れてしまっている話。

かなり古いネタですけど、こんなのがあります。


実に上手いこと整理・分析したなぁと思うものです。

ネット上では「悪の組織」について「ホワイト企業のようだ」とか「こんな組織で生き生きとして働きたいだ」といった意見もあるようです。とはいえ、まぁ組織の目的の中身としてやっていることが町の破壊とか世界を滅ぼすとかであれば、それはそれで困ったものですけど。

また、実際この表の「正義の味方」の記載もちょっと悪く書きすぎている感じはありますよね。

なので、少し手を加えるとすると、こんな感じなのかなと。 


私の勝手な解釈になりますけど、何にせよ、ここでいう「正義の味方」は「秩序」を何よりも大切にしているのだと思うのです。

争いも無い、破壊も無い、そういった何も問題が起きていない状態を秩序として最も大切なものだとする。その秩序を乱すもの=悪であって、そいつらを打ちのめすことが自身の仕事である。と。

これは、もうまさに今の自分の仕事に近いなと思ってしまいました。

いや、警察とかじゃないですけどね、私の仕事は。単なるサラリーマンですけど。でも、何か起こったらすぐに対応というのは同じ。サービスを提供している立場として、そのサービスは動いて当たり前。そして動かなくなった時、問題が起こった時に、四方八方から容赦なくアレコレ言われる。

業務として、何か現状の課題を改善する活動はあるけれど、それも簡単にチャレンジできるようなものでもないし、「トライ&エラーでやってみましょう」とか言っているくせに、実際には「エラー」が起こったら大変なことになる。だから、万全の注意を払って何事も起こらないように対策をして、そうしてようやく些細な改善が進むようなもので。

さらには「こういう改善をしてくれ」と注文のあった人たちからは、感謝の言葉も何も無し。別に感謝の言葉が欲しくて働いているわけではないですけどね。でも恐らく「言うことを聞くのは当たり前だ」と思われている。おまけに、その良かれと思って施した改善も、別の方面からは「改悪だ」とか「前のほうが良かった」なんて言われる始末。

こうなるともう何のために仕事やってんですかねという気持ちになる。

まぁ色々と言いたいことはありますけど、一旦そこから私のやりがいだとか仕事の意義だとかそういう個人的な思いみたいなのを全部脇に置いてみると、この仕事そのものの役割について見えてくることがあります。

恐らくですが、それは「秩序」の維持が第一目標にあるわけです。それが乱されないことが一番大事ということ。職種としてそういう側面があると思うのです。

だから「何も問題が起きませんように」と願って何もしないということも、状況によっては有り得るわけです。もちろん、何もやらないことが良いってことが言いたいわけじゃなくて。全体的な最適解を探ったうえで個別最適は容赦なく潰さざるを得ないということはあります。そのうえで何か色々と良くなることをしていきましょう、ということなんですけど。

ただ、正直その体制にはもう個人的には疲れてきちゃって。

その疲弊の原因となっている大きなものの一つとして、あまりに「何も問題が起きないこと」の大前提がデカすぎるということがあると思うんですよね。もしかしたらこれは職種を超えた社会全体の話なのかもしれません。

あまりに、人々が既存の仕組みに依存することが当たり前になっている。そんな気がするんです。

たとえば、とあるシステムが不具合で使えなくなりました、と。バーコードが読み取れないので窓口で用紙に記載してもらってください。あるいは、ネットワークが繋がりませんのですぐには必要なデータを参照することができません。あるいは、カードは使えませんので後日改めて持ってきてください。とか。そういうことって、結構ありますよね。

そんなニュースを見るたびに思います。「そりゃ使えなくなることもあるだろうよ」と。システムのお守をしている同業者として、あまり大きな声で言いたくはないですけど、そう思っちゃいます。人が作ったんだから。完璧なものなんか世の中には無いんだから。

それなのに、使う側の人たちは好き勝手言うわけですよね。「どういうことだ」「これじゃ話にならない」「これが出来ないことで出た損害をどうしてくれる」とか。これも大きな声では言えないですけど・・「じゃあ今までこの人たちはどうしてたんだろう」と。

もうみんな「当たり前」に慣れすぎている。便利さを追求し続けるあまり、それは「便利(=あったらいいな)」から「必須(=無きゃ困る)」になっちゃっていますよね。それを文明の発展と呼ぶのかもしれません。いつしかそれが当たり前になっています。(決して便利さを否定するわけではないです)

綺麗になっていくこと。無駄がなくなっていくこと。きっと多くの人は、そういう秩序が維持された状態が好きなんですよね。だからなおさら、その秩序がちょっとでも乱れると、もう鬼の首を取ったように騒ぎ出す。「無きゃ困る」と思ってるくせに日頃からその存在に感謝することもしない。

そのような状況に、ちょっと、疲れちゃうんですよね。

私自身、決して社会的に大きなインフラを担当しているわけでもないですし、何か世界のために誇れるような仕事をしているつもりも無いですから、自分のことを「正義の味方」と言うにはおこがましいのは承知の上です。

ですが、私だけではなく、多分おなじような状況にある人は多いのではないないかなという気がします。「正義の味方」の役割をさせられている人たち。

何かあるとすぐに情報が拡散される時代ですし、自分の意見を声高に主張するのも簡単ですよね。SNSにログインしてポイっと投稿するだけ。ちょっとインパクトの強い言葉を選べば、力の強い人たちがそれを取り上げやすくなる。「炎上」っていう言葉もそれを表している気がします。すぐに燃えますから。敏感な時代?分かりませんけど、どうでもいいことに目くじらを立てすぎている。

ただ、一体その敏感になっているのって、誰のどのような価値観を基準にしているんでしょう。何を「正義」とした意見であって、それは何処の誰の総意なんでしょうかね。その誰か分からない人が主張する「世論」に配慮しながら、私は今日もビクビクしながらつまんない仕事をこなして積み重ねていくわけです。

そりゃ「正義の味方」が蔓延るわけです。左を向いても右を向いても、みーんな「正義」の塊で出来ていますよね。その「正義」に1mmでも沿わないことをすればすぐに「悪」の扱いです。そりゃビクビクします。上で書いたように、もちろん私自身も「正義の味方」になっちゃっている。何か、疲れます。ほとほと。

ちょっと言いすぎましたか。モノ申したかったわけではないんですけれど。

そう考えると、誰に感謝されるでもなく世のため人のために働いて頑張れる人というのは本当にスゴイなと思ってしまいます。私なんて現金なもんで、自分に得や旨味が無ければ行動できない怠惰な人間なもんですから。

決して「悪の組織」に入りたいというわけではないですけど、みんなで同じ大きな目標を持って、失敗しながらもそれを次に活かして、何度も立ち上がって挑戦しながら前に進んでいくことができたら楽しいだろうな、なんて。青臭いことを言うようですが、会社などの組織で働くことの醍醐味があるとすれば、そういうところなのかな。理想の形と言いますか。あくまで私の解釈ですけど。

心の底から「正義の味方」にはなれない私は、そんな空想に浸ってしまうわけです。他方で、関わる人が多くて心をすり減らすくらいならやっぱり一人で「正義の味方」ぶってたほうがラクかなぁ・・とも思いつつ。おしまい。

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