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【鑑賞】私の好きな短歌〜「白薊」を読む

こんばんは、ふろやまです! 先日、句友のお一人が主宰する歌会「白薊」から歌集が届きましたので、今回はその中からいくつか鑑賞していきたいと思います。

多分もう 地球は滅んでしまってて 僕らは愉快な夢を見ている/藤原 蛍

映画でもよく題材とされている「この世は仮想現実」説を思い起こしました。もしもこの世が「愉快な夢」であるならば、本当の現実とはどういう世界なのでしょう。
例えば、スタートレックに出てくる機械生命体の集合体ボーグ。彼らは文化という概念はありません。だからこそ仮想現実を作ることにより、文化的な生活を疑似体験しているとしたら。
はたまた、物質的な身体を持たない思念体の世界。「仮想現実」により身体を持つことによる恩恵と不遇を味わっているとしたら。等、空想が尽きません。
実際には「愉快」とは思えないことも多いですが、こうした歌に出会えると、やはり「愉快」なものと感じます。

空瓶をくちびるで吹く想像の港に響く汽笛の真似して/せがわ あき

私も子供の頃やりました。飲み口に対しての角度にちょっとしたコツがあった気がします。
さて、この歌のお気に入りポイントは「想像の港」です。読み手自身も想像できるからです。
例えば、日差しの強い夏の港。あるいは潮風の厳しい冬の港。その時の気分によって季節のイメージは変わるかもしれません。
または、殺人事件の起こった港町。船越英一郎さんや片平なぎささんが出ていそうなドラマをイメージ。会話のシーンなどで「ボー」っと鳴る訳です。
たったの一行で様々に想像を巡らせることができる。私も大いに楽しませてもらえました。

三冊の本を散らかし読む横で一行ごとに旅をする人/琳譜

言われてみれば歌集や句集を読むことは「一行ごとに旅をする」と言えるでしょう。今回、私もこの「白薊」を手にすることにより、空想の翼で様々な次元を旅することができました。そんな私をこの歌は如実に表していると言えます。

尚、この歌集では短歌だけではなく、詩や俳句、エッセイも収録されています。

どうせ一緒に燃やす花を買う/琳譜

俳句の厳しいところは、たとえ実景であっても読み手がリアリティを感じないところにあります。掲句では、たった二音でそれを解決しています。
「一緒に燃やす花」という内容には不穏さを感じてなりません。つまり非日常性です。ここで終わっても句にはなるでしょう。人によっては花の種類までイメージできるかもしれません。ただし、それはあくまでも一枚の絵として。
ところが「買う」という日常性がくることで、絵は映像へと昇華します。人によっては花を受け取る人の表情までも想像できるのではないでしょうか。ここにリアリティが生じるのです。自身の句作にも活かしたく思います。

ということで、今回はこの辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

しーゆー。

歌集を開く雨の夜でよろしい/風呂山

#エッセイ #短歌

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