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 小さな猿山の大将は、いつも隣の山の青々と繁る自然が気になります。優しき周りの猿はこう言います。
「貴方はいつも、よくやってくれていますよ」
 しかし彼はそれに耳を貸そうとしません。「こんなはずじゃないんだ」と不満を漏らしてばかりです。
 そして次第に、心に闇を宿すようになります。怒り、妬み、嫉み、僻み。そんな負の感情が、彼の心を埋め尽くしていったのです。いまとなっては誰も彼には近付こうとはしません。
 彼は孤独になりました。

 ここまで書いて、私はパソコンの手を止めた。
 この先、果たしてこの猿はどうなっていくのであろうか? そしてまた、この物語を紡ぐことが私にとって、どんな意味をもたらすのであろうか?
 昔、友人からこんな言葉を浴びせられたことがある。
「本当に大切なひとに、本当に伝えたいことを言葉にできないのなら、ただの、猿だよ」
――ただの猿。
 そう、私は大切なひと達に伝えたいことを伝えきれていない。恐らく、この猿もそうなのであろう。いつの間にか自ら壁を作り、そして殻に閉じ籠もった。ゆえに心に闇を宿したのだ。
 ならば、彼の心の闇はどうやって取り除かれるのだろうか? 何か劇的な事件でも起きなければ、変わらないのではないか?
 例えば、太宰治の『走れメロス』では、メロスとセリヌンティスの熱き友情が、暴君ディオニスの凍てついた心を溶かした。この物語においても、そのような大事件でも起きない限り、彼の心の闇は晴れないのかもしれない。
 では、それはどんなものなのだろうか? どんな事件が起こるのだろうか? どのようにして心の闇は取り除かれるのだろうか? 果たして本当に闇は取り除かれるのだろうか? この先、一体、どうしたらいいのだろうか? 何も分からない、何もかも分からない。
 そんな風に思い悩んでいるとメールの着信が。会社の同僚からのものである。

辛い思いをされているようですね。評価って、なかなかされないものです。でも、これだけは忘れないでくださいね。あなたの周りには、貴方が頑張っている姿を知っている人たちがいることを。貴方のことを信じている人たちがいることを。私もその中のひとりです。貴方はいつも、よくやってくれていますよ。

 私はそのメールを読み終えると、再び物思いに耽った。なるほど、劇的な事件などはいらない。必要なのは、そう、言葉だ。猿のままでは報われない。人に進化しなくては。
 ふと鏡を見ると、そこには、赤い目をした一匹の猿が映っている。猿は再びパソコンへと向かい、一行だけのメールを返信した。

【了】

イラスト/ちぃ(note.mu/selkie)

#小説 #1000文字小説


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