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【鑑賞】私の好きな俳人3〜尾崎放哉

こんばんは、フロヤマです! 今回は尾崎放哉の句鑑賞をお届け致します。と言っても、私が自由律俳句を始めた頃に書いたものです。拙い鑑賞でありますが、ご容赦下さい。では、どうぞ。

咳をしても一人/放哉
この句を初めて読んだとき「何これ」と思ったのを覚えています。しばらくして、実際に自分が風邪をひいた時に、ようやくこの句の味がわかりました。私にとってきっかけの句。

汽車が走る山火事/放哉
汽車が走ると煙で山は火事のようになるということでしょうか。ちょっと面白い句。

墓のうらに廻る/放哉
この句を知ってから、墓参りの度に裏へ廻ります。なぜこんなにもこの句に惹かれるのか不思議でならない。

肉がやせてくる太い骨である/放哉
自らをみつめる客観的な眼差し。衰弱すらも句にできるものなのかと思いました。

春の山のうしろから烟が出だした/放哉
心なごむ長閑な句。これが絶句というから、少し意外な気がしました。

淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る/放哉
一人遊び。『淋しいぞ』は自嘲でしょうか。

漬物桶に塩ふれと母は産んだか/放哉
自責の句でしょう。辛いです。

すばらしい乳房だ蚊が居る/放哉
もうこれは頭から離れない句です。すばらしい乳句です。

足のうら洗へば白くなる/放哉
たったそれだけのことが何故かジンとくる。不思議。

花火があがる空の方が町だよ/放哉
つまり自分は町には住んでいないということでしょうか。見物客で賑わうであろう場所から離れて花火を見る。つくづく、一人な。

入れものが無い両手で受ける/放哉
初めてこの句を読んだ時、憐れな感じがしました。実は感謝の気持ちを詠んでいるとの解説がありますが、それでも憐れな感じは消えません。もしかしたら自嘲の句なのではと。

山水ちちろ茶碗真白く洗ひ去る/放哉
すっきりとした気持ちを感じます。“ちちろ”がいい。

つくづく淋しい我が影よ動かして見る/放哉
一人で自分の影が動くのを見る。何だか小学校の帰り道を思い浮かべました。本当に、つくづく淋しい。

一日物云はず蝶の影さす/放哉
“蝶の影”とは、なかなか気づきにくいもの。孤独な時間の長さを感じました。

なぎさふりかへる我が足跡も無く/放哉
確かに足跡は波に掻き消されてしまいます。“足跡”はダブルミーニングでしょうか。

鐘ついて去る鐘の余韻の中/放哉
おだやかな心持ちにさせてくれる句です。

柘榴が口あけたたはけた恋だ/放哉
取り合わせの句。こういうのも面白い。

たつた一人になり切つて夕空/放哉
ぽつーん。寂しいとしか言いようがありません。

氷がとける音がして病人といる/放哉
しんみりとした感じが“氷がとける音”に言い表されています。

こんなよい月を一人で見て寝る/放哉
寂しい感じではありますが、秘かな高揚も感じてしまいます。独占欲のようなものでしょうか。

月夜戻り来て長い手紙を書き出す/放哉
月に感化されたということでしょうか。特に満月の日には人を高揚させる作用が働くらしいです。交通事故が多くなるとか。

なんと丸い月が出たよ窓/放哉
ふと窓の外を見ると満月だった。難しいとされる満月の句を、こんなにさらりとユーモラスに詠んでしまうとは。

うそをついたやうな昼の月がある/放哉
“昼の月”に感じる違和感をうまく言い表しています。確かに“うそ”っぽい。

月夜の葦が折れとる/放哉
空にはきれいなお月さま。地上には折れている葦。その対比を表現したのでしょうか。“葦”に作者自身を投影しているのかもしれません。

風呂山

#エッセイ #自由律俳句 #note俳句部


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