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noteを続ける

このところの私は "引きこもり" だ。暮らしぶりのことではない。note から遠ざかっている今の状態を "引きこもり" とした。

引きこもってはいるが、決して世を儚んではいないし、グレかけている訳でもない。そして何より「note に戻りたい!」と強く思っている。

私は2年以上週一投稿を自らに課してきた。それが最近は書かないだけでなく、note を開きもしない。「スキ💖」の通知をいただいた時に、目についた記事をちょっと読むぐらい。
いつもお付き合い下さっている方々には本当に申し訳なく思う。

突然 note から姿を消す人を見掛ける。どういう理由からなんだろう。
私は「note を続けたい。続けなきゃいけない」とは思っているのだが。

私の note 投稿がペースダウン気味になり、そしてだんだん離れていった経過を振り返ってみる。

これまでも3ヶ月に一度ぐらいの頻度で「オレはどうして見ず知らずの人に向けてさほど役にも立たない駄文を公開しているのか?」と疑問を抱くことがあった。そしてその度に「続けながら意義を探ろう」「きっと何か見つかるはず」と思い直して、どうにか続けてきた。

元々「伝えたい」ことがあって始めた note ではない。コロナ自粛期間中に日本語能力の低下に不安を覚えた私は、こそこそと背骨も無い緩い文章をしたため始めた。それを垣間見た妻と娘が「何か面白いじゃん !?」と言って note を勧めてきた。そうして今に至っている。

note の世界には知識、見識、経験が豊かで、想像力と文才と人格に秀でた人が大勢いる。私はいつも気圧されてばかり。私はこんな人たちと同じフィールドには立ってはいけないと思った。

そんな私の note での居場所はいつしか「新米老人の日常」「老人の憤り・ボヤキ」「老人かく生くべし」になっていた。

これから老人社会に飛び込んでくる後輩諸氏を先導したいというのが、私のモチベーションなのだが、老人ネタを書くのは思いのほか気疲れする。テーマを掘り下げるにつけ、我が行く末への不安が膨らむ。書いていて自分の不甲斐なさに落ち込み、投稿を逡巡することもあった。

ここからは2ヶ月前に書いたことの繰り返し。note の執筆に迷いを感じていた私は、春クールの日テレのドラマ「だが、情熱はある」の中に出てきた二つの台詞(セリフ)に感じ入った。
今感じてる不平、不満、怒り、妬み_そういうのが絶対将来の糧になる
人が本気で悔しがったり惨めだったりする話は面白いんだよ

初め「なるほどー、 note の参考になるぞー」と思ったのだが、私に置き換えてみるとちょっと違った。老人の不平、不満、怒り、妬みはどれも怖い。そもそも老人には糧を活かす将来はほぼない。また老人の惨めで悔しい話は絶対面白くない。ただただ哀れで切ないばかり。

老人の自虐話は痛々しくて成立しないし、自慢話ははしたない。老人の明るい未来を語れるほど行く末を楽観してもいない。今私は袋小路に迷い込んでいる。スランプだ。

少し前に「起承転結の "承" の部分が面白い老人話を書きたい」と書いた。これは私の目指す理想なのだが、これを上手くできないジレンマがスランプの原因だと思う。

承の部分が面白い」文章を書くうえで、私に足りていないのは「枯淡」ではないか。「枯淡」とは「俗気がなくあっさりしている中に趣きがあるさま」。俗気寄りの私が「枯淡」という高尚な観念を身に付けることは簡単じゃないが、試行錯誤してみるつもりだ。

***

まだすぐに note に戻ることはできないかもしれない。暑さのせいもある。最近は下書きばかりが増えていく。それらを書き出してみる。
 ※「仮タイトル」~ 概要

ちょっと怖い夢を見る」ブラック企業で犯罪スレスレを強要され困っている夢。さんま御殿に出演していて振られないようドキドキしている夢など。

VIVANTにエキストラで出演したぞー」私は第二話の駐バルカ日本大使館のパーティーの場面に檀れいさんと映っていた。第七話にも多分登場する。 

パンツが壊れる」破れたんじゃない。確かに壊れた。2日に1回穿いていたヘビロテのパンツが寝てる間に裂けた。私の死生観に繋がるような事象。

ゴルフが嫌いになりそうだ」正しい努力をすればこの齢でも上達すると信じて練習を重ねたが、全く結果が出ない。潮時かもしれない。

あの人の名前何だったっけ」人の名前が思い出せない。一日に何回もスマホで調べる。その検索履歴をご紹介。

失敗してしまった」仕事でミスをした。何故やってしまったのか。やはり齢のせいなのか。私のどんな機能が衰えているのかを考える。

結局人は変わらない」人格は高校生ぐらいで完成する。齢を取って変わったように見えても本質は変わっていない。皆何かの役柄を演じているだけ。

どうする『どうする家康』」期待していた今年の大河。人物設定も出来事の描写も私の見解と違うことばかり。どうする古沢!どうする小和田!

不承知を承知する」100%意見の合う他人などいない。考えが違うことを承知することが肝要。"一事が万事"は短絡。良いところを見つける習慣を。

戻りたい過去など無い」私には懐かしくて戻りたい過去も、やり直したくて戻りたい過去も無い。今が一番いい。このまま普通に老いて死ぬ。

ここらへんの史跡をゆく~」三河一向一揆の舞台となった安祥(安城)、吉良上野介の領地であった西尾市吉良、毛色は違うが、トヨタの祖である豊田佐吉が生まれた湖西市~豊田~トヨタ博物館を考えている。

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2020年1月に会社を辞めてからの3年の間、note は私にとって唯一の社会との接点だった。Web上ではあるが私の知らない世界や、遠い場所に暮らす方々とも知己を得ることができた。とても刺激的な経験だった。

note は絶対に続けなきゃいけない。分かってはいる。

< 了 >

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