同人・インディー差はなかった。同人ゲーム開発者から聞いたインディーゲームイベントへの不満を2年越しに理解した話

これは深夜のテンションで書いた私的なまとめなので、見てもあまり得るものはないと思う。でも、どこかに書きたかったので、だらだらとここに書く。

そもそも、なぜこんな記事を書いているかというと、2年ほど前にBitSummit に参加した複数の開発者から「インディーゲームに同人ゲームは含まれないのか!」という文句と共に、BitSummitが嫌いであるという話を聞いて、理由が理解できなくて考え、ようやっと理解できたと思ったから。
最初は「同人とインディーの差は何なのか」と考えていたが、結局は「インディーゲームと同人ゲームは広くとれば同じようなものだが、日本の同人ゲーム置き場とインディーゲーム置き場が違うから混乱して不満が出る」という結論を得た。

まず最初に、同人ゲームとインディーゲームの差について現在の私の考えを書く。
私の結論は作りたいモノを作っていればインディーゲームであり、同人ゲームでもあるというもの。つまり、両者は近い。

同人ゲームから見ていこう。
日本の同人ゲーム発表の場は同人誌即売会と共にあり、その中心であるコミケットは「すべての表現者(趣味として活動するサークルを基本とする)を受け入れ、継続することを目的とした表現の可能性を拡げる為の場」であるとしている。
つまり、制作者の表現物=思想を表したものが同人ゲームと言えるだろう。

一方、海外のWikipediaなどを見ていくと、インディーゲームは独立した開発体制(資本からゲーム内容に関する干渉を受けない)ゲーム……制作者の思想を反映したゲームであればインディーゲームといえるようだ。
この辺りまで探して、制作者が独立していて、作りたいモノを作っていれば同人であり、インディーゲームと言える、と感じるようになった。

で、日本では1998年末の渡辺製作所の『THE QUEEN OF HEART '98』や、2000年のTYPE-MOONの『月姫』などのヒットに合わせるように同人ショップが広がりって商業的な動きを見せるサークルが増えていく。
一方、海外では2002年頃に Steam などダウンロード販売の普及で商業化が進み、商業とインディー、同人の境目が曖昧になっていく。もう、似たようなもんだ。

ただ、日本ではコミケットマニュアルなどにおいて「表現の担い手は、法人ではなく、趣味として活動するサークル」とあり、資料にも「同人誌即売会は、個人・サークルの作品の発表が目的であり、基本的には商業流通に乗らず、営利目的事業ではない限定的な配付形態の作品」と位置づけられている。そのため狭い意味では「商業に進出したら同人ではない」とも言え、そこを焦点に論争になることが多い。

追記:
SteamやSwitchなど商業に進出する同人ゲームも存在するし、実態が会社だったりする同人サークルもあるし、逆に賞を贈らない小さなインディーゲームの集まりも海外にあるようだし(でかいイベントの精神性は違うけど)、乱暴だけどゲーム単体は超広く見れば同じものでもいいとは思う。逆に言えば狭い意味では絶対に差があるとも思うが、ここでは言及しない。

ただ、私から見ると同人だろうが、インディーだろうが、AAAタイトルだろうが1本のゲームでしかなく、その区別自体に自分は意味を感じていなかったこともあり、今は「広い意味では同人・インディーは同じようなものではないの?」と思っている。

で、似たようなものであるならなぜ BitSummit の参加者の中で、少なくない開発者から不満を聞いたのか。
そこに、最初に書いた「置く場所の違い」を大きく感じた。

以下は、不満を漏らす10名以上の開発者の話をまとめたものとなる。
BitSummitが立ち上がった頃、同人ゲーム開発者たちは運営側から「同人ゲームはインディーゲームだから参加して欲しい」と直接打診されてイベントに参加していた開発者も多かった。
・日本の同人ゲームはインディーゲームで、BitSummitは同人イベントだ
・日本の同人ゲーム=インディーゲームを海外に!
そんなノリの会話が交わされていて、それを盛り上げるためにBitSummitに参加したのだという。
ところが、BitSummit が有名になっていくにつれ、そういった作家でもウケが悪そう(開発者の感じ方なので曖昧な表現になってしまうが)な作品はどんどん落選するようになっていった。

彼らの話を聞いていくと、重複して出てくる不満があった。
彼らは自分なりに面白さに自負を持ってインディーゲームを作っている。なのに、ウケが悪そうだから差別するのか、と。場所なら同じイベント会場の部屋が空いているのに、なんでスペースを広げないのか、と。

最初、私は「ウケないゲームなら、弾かれて当然」と思っていたのだが、時間があるときにコミケットのスタッフなどに話を聞き、同人イベントについて調べていくうちに、彼らの不満が理解できるようになっていった。
コミケットカタログにも示されている同人イベントの理念では、同人ゲームは平等な表現であり、イベントのレギュレーションに従っていれば参加者の間に差はない。スペースがなければ売れ線の開発者であれ、抽選漏れして参加できないこともある。
1万人の目を引くキャッチーなゲームを作っても、10人にしか分からないこだわりのマイナーゲームも、単に視覚を表示するだけのプログラム(そこに思想性があれば)平等。だから、基本的に表彰などの形で序列をつけることもない。
そして、「表現をできるだけ受け入れる」理念の元、できる限り広い会場を確保しようとする。

その視点から見ると、BitSummitは同人イベントなら当然行うべき場の拡大をせず、審査基準は不透明(=レギュレーション非公開で不平等)で、やるべきことをやっていない。そこに不満の根源があるのではないか、と考え始めるようになった。
とは言え、開発者と会う機会なんてそうそうない。ようやっと今になって開発者たちに確認を終え、この記事を書いたわけだ。

上記の仮説に基づいて話を聞いたところ、「BitSummitは非常に商業的な場所であり、当初に聞いた同人ゲーム=インディーという話を尊重していない」という点がまさに不満であると改めて話してくれた。
また、同人ゲームをインディーゲームであると言いつつ、人気が出てきてよりキャッチーなゲームが応募されるようになったら「同人は平等な表現である」前提を理解せず捨てていったことに「同人ゲームが分かっていない」と失望もあったという。
現在、BitSummitは同人イベントとは異なるし、同人ゲームを網羅しようとしていない。その上で「同人ゲームはインディーゲーム」と、都合の良く使っているように見えるようだ。ようやく、不満点が分かった。すっきり。

追記:
ここに書いたBitSummitの不満点は全体をまとめたものであり、個々の同人開発者において問題としている点は違うことを追記しておく。
「だいたいこんな感じ」程度で、1人1人の開発者のトーンも、問題としている部分も(全部or一部、そしてさらに過激な人もいる)異なっている。一枚岩で同じ点だけを問題としているわけではない。

ただ、私は BitSummit が悪いともあまり思っていない。
そもそも、初期に示された BitSummit の理念は「海外に日本のゲームを届ける」であり、「表現の場を提供する」ことではない。
「BitSummitは日本のインディーゲームを代表する存在ではない」という点だけは同意できるが、その他の不満点は BitSummit 初期の「同人はインディー」というメッセージやコミュニケーションの理解の違いから生まれた事故的な不満だろうと感じる。

私は今年、BitSummit の運営スタッフから「出展ゲームは独自基準でクオリティを判断して出展作品を選んでいる」と回答をもらっている。つまり、彼らにとってインディーゲームは同人イベント的な平等な扱いではないし、それを隠していない。
「展示に出しても良いクオリティ」という曖昧な基準は外に出しづらいだろうし、むやみに会場を広げても質の低いゲームを展示したら一般ウケが悪い可能性もあるだろうから、(金の理由を除いても)会場を拡大しないのも理解できる。
BitSummitは一般向けに参加料を取り、BitSummitが商業的に意味のあると感じたインディーゲームを紹介し、一般に見せるエンターテイメント展示イベントだ。

それを念頭に参加すれば、ゲームの質は安定しているし、海外ブースはすごく興味深いゲームが並んでいるし、クールなイベントの空気が味わえるし、トークショーのゲストも豪華だしでBitSummitはとても楽しめる場所。
「おー、BitSummit審査員はこんなのが好きなんだな!」なんて分かるほど嗜好が出ていて、下手にまんべんなく何でもかんでも置かれたイベントよりよっぽどエンターテイメントしている。
また、賞を出すのにも開発者にとっては意味があって、受賞作品は箔がついて、プレスリリースも出しやすくなる(海外にプレスリリースを出すとき、何かのイベントで賞をもらっているととりあえず見てくれるという)。
参加して楽しいイベントだし、うまく賞を取れれば儲けもの。プレイヤーは遊びに行けば良いし、開発者はイベントに乗りたければ乗れ。

同人は非商業、インディーは商業という考え方もあるが、どうやら非商業的インディーイベントも海外にはあるらしい(あと、一応ファンメイドマリオとか、二次創作のインディーゲームもときどき流れてくるし)。
ただ、BitSummitは商業的にインディーゲームを置く「場所」なのだから、同人ゲームイベントの精神とは相容れない。審査基準不明で、パブリッシャーの力が強くて個人が選ばれづらい(平等ではない)のも仕方ない。
そこに不満があれば、コミケット、そして日本最大のインディー・同人イベント”デジゲー博”という選択肢もある。

結構長々と書いたが、「同人ゲームもインディーゲームもゲーム単体で見ると似たようなもの」で、「それが展示されるイベントが商業的か同人的かという差があるだけ」という結論になったのであった。
長くて内容のない記事、ここに終わる。

最後に、書き忘れたので追記。
BitSummitについて高額な審査料が返却されない(日本の同人イベントは落選すると返却される)ことも指摘されていたが、賞を運営し、人が多いイベントをやっているとこれは仕方ないところもあるかな、とか思ってしまった。
特に賞の審査は死ぬほど大変そう。複数の方から「審査員らしき人が来ていない」とか「うちはほぼ知り合いと一般の人が来ただけ」という情報を得ている。つまり、おそらく出展審査時とイベント直前に遊べるものは遊んで、情報だけのものは気合いで情報を集めてゲームを判別しているはず。当日全部遊ぶのはキツいだろうし、出展審査に遊ぶ手間をかけていたら、金かかるとは思う。
あと、開発者の方はBitSummitに審査に出す時点でちゃんと情報を審査員にPRすることが大事であろうと推測される。

げーむきゃすと は あなた を みて、「さいごまで よんでくれて うれしい」と かたった。