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綺麗で公式に寄せた神絵師の時代は終わる。AIイラストが神絵師を打ち倒す


↑前作はこちら。ご意見、沢山頂きましたね…。

簡単にFラン美大出の私が美術教師や教え子たちの絵をAIでサラリと越え、「40年間の努力ご苦労様」と言い放ちたい。それだけだ。

↑打ち倒すってより、写実主義から印象派、キュビズムになっていく感じかなあ?
カルナへ、強化おめでとう(MidJourneyV4過去出力絵だが)そして、アルジュナを強化されると見越してお祝いイラストを出力した私を笑ってくれ。

私は高校中退で、Fランクの美術大学出身者である。3年間美術系予備校でアカハラを受けてきた私が、AI(人工知能)を活用して40年間美術の世界に身を置き続けてきた教師に直接ではなく自己満足とはいえ挑戦することになろうとは、私の人生の中で予想しなかった。
しかし、私の挑戦は刃物や放火ではなく、AIイラストという新たな形で表現される。この挑戦は、私にとって自己完結のものだ。それは、過去の苦い経験に対する「復讐」であり、私自身の再生である。 それは、美術の世界に対する私の視点と、その中でのAIの役割を世界に伝えるためでもあった。
私は自分自身がAIを使って作り上げたイラストが、40年間美術を教えてきた教師の教え子たちの作品を超越する目標を立てる。その結果、私は美術界におけるAIの可能性を信じ、前作のnoteの反響もあって推しているジャンルやカップリングの狭い中でだけでも推進者となることを決意した。

↑Twitterで反響が意外とあったAIイラストだ。指おかしいね。直さないと…。


私たちには時間がない、そんな贅沢は許されない。なぜなら、若者にとって絵はもはや「死にスキル」なのだから。だからこそ、絵を学ぶことに人生を捧げるのは止めておこう。


私たちの時間は有限である。その有限な時間を、「死にゆくスキル」である絵に投資することは、私たち若者には許されない。昔ならば芸術家にとっては必須のスキルであった絵を描く能力だが、現在ではその価値は急速に失われつつある。この現実に直面し、私は絵を学ぶことに人生を捧げるのはもう止めておこうと考えるようになった。

現代のAI(人工知能)の進化は驚異的である。その進化速度は、人間の進化とは比較にならぬほどだ。特に、生成AIの領域での進化は顕著で、人間が持つ想像力や創造力を補完、あるいは代替する可能性を秘めている。
事実、中国ではすでにイラストレーターの仕事がAIに取って代わられているという報告がある。


AIが中国で既にイラストレーターの仕事を奪い始めている、現場の悲鳴と実際にどのようにAIが用いられているのかをまとめたレポートが公開
(注意:これは4月時点の情報で今の中国の規制が変わっている可能性が出てきました。調査して必要なら修正します)

それは、現在の中国の状況だけでなく、未来の日本の姿をも予見させるものだ。それは、人間の持つ技能がAIによって取って代わられるという、新たな時代の到来を示している。

私自身が使用している成人向け二次創作小説サムネイル生成AIの進化もその一例である。この某小説はモデルが進化するたびにサムネを変えてきた。

↑聖杯が伏線なので聖杯を持つことがノルマになっている。MidJourneyV4では謎の濃いインド人だったのが、NijiJourneyV4で雰囲気は良いが何か微妙なサムネだった。それがNijiJourneyV5になって公式イラストになっても耐えられるクオリティに激変している。

このAIは、わずか1年でMidJourneyV4からNijiJourneyV5へと驚くべき速度で進化している。その進化の度合いは、人間が絵を学ぶスピードとは比較にならないほどだ。それは、AIの持つ可能性を具体的に示している。


「神に挑む英雄さんさあー、ソ連の『計画経済』との比較なんだけど、AIの発展は『市場経済』の環境で進んでいるので、単純な比較はできないぜ?多数の企業と研究者が自由に競争し協力する市場経済の下で、AIは急速に進化し、人の能力を促進し強化する役割を果たすんじゃないか?速さ・創造性・革新性でAIは神絵師を越える未来もあるんじゃないかって、テスカトリポカ思うワケ。」

私たちの生涯は有限である。その限りある時間を「死にゆくスキル」に投資するのは、無駄に思える。その時間を、もっと有益で楽しいことに使いたいと私たちは思う。読書をすること、ゲームを楽しむこと、ChatGPTで遊ぶこと、旅行をすること、恋愛をすることなど、人生はさまざまな楽しみで満ちている。

それに対して、AI研究の権威者である東京大学の松尾豊教授が何のスキルが役に立つのかと問われたら、「状況が変わりすぎてわからない」と答えたという。それは、現在の技術の進化速度があまりにも速く、それに対応するスキルを予想するのは難しいという現実を示している。

「――そんなAI時代を生きるうえで、私たちにはどのようなスキルが大事になってくるのでしょうか。
よく聞かれることですが、わからないというのが正直なところです。今ChatGPTが出現したことによって、大きなマーケットが生まれようとしているわけで、さまざまなサービスが立ち上がってくると、書くという作業が大幅に減るかもしれませんし、人が翻訳することも必要なくなってくるかもしれません。
(略)
「自分はこのスキルを身に付けたから大丈夫」だというマインドでは世の中で戦っていけなくなる。身に付けたスキルが通用しなくなったとしても、そういうものだと切り替え、つねに勉強しながら自分を時代の変化に合わせていく姿勢が大切になります。そうすれば、昔やってきたことが後になってから生きてくるかもしれません。
(略)
――松尾先生ご自身もAIの研究をされていて、「変化のスピードが速い」「自分も変わっていかなければならない」と感じられますか。
もちろんそうです。AIの研究も、あっという間に置いていかれますから、つねにアップデートしないといけません。OpenAIやGoogleがどうなるのか、自分の仕事がどうなるのか、この先のことはわからないというのが正直なところです。そう思って動くしかないのです。長期的にどうこう考えるよりも、とりあえず目の前のものを見ながら走ろうよ、という感じでしょうか。

それでも絵を描きたいという人々に対しては、以下のようなアドバイスを提供することができる。趣味としてデッサンを学んだり、優れた芸術作品を観察して審美眼を磨くことは、AIが生成した作品の良し悪しを判断する力を身につけるのに役立つ。これらのスキルは、AIによる芸術制作のプロセスを理解し、自分の作品をより良いものにするために有効である。もちろん、これらのスキルも将来的にはAIによって置き換えられる可能性もある。
しかし、それは未来の話である。今は、我々ができることは、時間とリソースを最も効果的に使うこと、そして最も喜びを感じることに集中することだ。それが、AIの時代を生き抜くための最良の策だ。

未来のイラスト界は違う。公式絵に寄せた美しい絵だけを描く「神絵師」は、AIにとっての餌食となり、イラスト界のパワーバランスを一変させるだろう。


じゃあどんなスキルが…生き残るんだ?わからん。

未来のイラスト界は、我々が想像するものとは異なる可能性が高い。その主要な推進力となるのは、AI(人工知能)の存在だ。AIが容赦なく仕事を奪い、イラスト界のパワーバランスを一変させると予想するのは、決して過大な評価ではないだろう。美しく緻密な描写を持つ作品は今までは人間の絵師たちによって描かれ、その中でも特に公式絵に寄せた美しい絵を描く人々を「神絵師」と称する。彼らは、その才能と技術によって多くの人々を魅了し、数多くの作品を生み出してきた。しかし、その神絵師たちさえも、AIにとっての餌食となる可能性があるのだ。

私自身が見てきた事例を一つ挙げてみよう。Twitter上で、ある神絵師の投稿を見ていたときのことだ。その人物の描いた絵は、美しさだけでなく、緻密さと独特の雰囲気に満ちており、それを見ている者に強い感動を与える。
しかし、その絵を見ている最中に、ふと疑問が生じた。「これ、なんだかAI絵っぽいな」と。その疑問が生じたのは、AIによるイラストの進歩があまりにも凄まじいからだ。もちろん、現時点ではまだAIによるイラストと神絵師の絵とを比較するのは早いかもしれない。しかし、将来的には、技術の進歩によって、神絵師たちが創り出す美しい絵さえもAIが描けるようになるのではないかと予想する。

それは、私が試しにAI(NijiJourneyV5)に神絵師のと同じ題材を投げてみた結果からも伺える。その結果は、神絵師の描く絵と比較しても遜色ないもので、あたかも人間が描いたかのような仕上がりだった。(結果は炎上を防ぐため載せられない)それは、AIが人間の創作活動を助けるだけでなく、それをある程度代替できることを示している。

しかし、一方で、個性的な作品については、「まだ」生き残れるだろうと予想する。例えば、FGO漫画でいえば『マンガで分かる!Fate/Grand Order』『Fate/Grand Order 藤丸立香はわからない』のような作品は、その強烈な個性が特徴であり、それはAIがまだ再現できないだろう部分だ。これらの作品は、絵の可愛らしさだけでなく、独特のストーリーやキャラクターの描き方、時には作者自身の個性が強烈に作品に反映されており、それが読者に強いインパクトを与えている。
しかし、「まだ」の現状が「すぐ」の現実に転じる可能性も否定できない。技術の進歩は止まらず、近い未来には、AIが個性的な作品まで創り出す日が訪れるかもしれない。だからこそ、私たちは新たな技術の波に乗り、自身の創作活動を進めていく必要がある。それが、未来のイラスト界を生き抜くための最善策だと私は信じている。

私が達成した結果はAIの力によるものであり、他の芸術家たちが何十年もかけて磨いた絵画技術や審美眼によるものではない。しかし、それは私にとって何の問題もない。


↑これはAIではなく私の描いた漫画絵だ。私のメインは小説だったが、伸び悩んだために漫画絵も描くことがあった。その際、神絵師たちと真っ向勝負を避けるために白黒漫画とし、公式に寄せた絵を頑張って目指した。しかし、「公式に寄せた絵」ではもう生涯AIには敵わないと感じ、AIを全面的に取り入れることとなった。

前回の記事を公開後、予想を超える反響があった。多くの人から「神絵師を越えるなんて、馬鹿じゃない?」「あなたの画力は自分のものではない。AIの力だ」という厳しい意見を受け取った。
それはまるで、ワンピースのルフィの「海賊王に俺はなる」という宣言がnoteなどのSNSに投稿されたら、「なれるわけない」「それはゴムゴムの実の力だよね?」と反響があるかのようなものだ。一部の反AI派からは、AIイラストは他の膨大な作品を盗作しているようなものだとの声もあった。まさに私は海賊のような立場になってしまったのかもしれない。

しかし、私はこれを否定するつもりはない。相手が弓矢に拘るなら私は銃を選ぶ。相手が伝統や技術に拘るなら、私は新しい武器、AIを持って戦う。私の目的は、新しい技術を駆使して、美術の世界で「超越」し、自分自身を満足させることだ。
とはいえ、私もAIイラストを出力する過程で、大変大幅なレタッチや微調整など、こっそりと頑張っていることは確かだ。しかし、それでも時折寂しさを感じることがある。親しい友人でさえ「AIくんは凄いね」「AIの進歩すごい。濃いインド人時代も好きだったから生成してね」と、私の作品を私の子供として認めてくれないことに、ちょっぴり、ちょっぴりだけ寂しさを感じることがある。AI術師として、シトラス氏や852話氏のように、独自の作風で名を馳せる人々がいることを知っている。私も、ただのイケメンを生成するのではなく、独自の作風を追求し、模索していくつもりだ。

しかし、この寂しさは新しい扉を開ける喜びで十分に補っている。私はこれからも、常識や伝統に囚われることなく、自分の道を進む。そして、他の「神絵師」たちを追い越し、自分を満足させつつ、新しい時代を築く日を心待ちにしている。

↑小説はどうしたというご質問だが、現在仕事が多忙で休止中だ。早くて来春再会するので、Lamlさんは読んでってほしい。

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