見出し画像

第二次大戦中に出会った「源氏物語」が始まりだった。『ドナルド・キーン自伝』を読む①

ドナルド・キーン(1922-2019)とは

『ドナルド・キーン自伝』ドナルド・キーン/著、2011年

二編があらたに加わり2019年に新版が出ました。

アメリカ軍の日本語通訳から日本文学研究へ。89歳で日本へ帰化した人です

2011年に「ドナルド・キーン氏が日本国籍を取得」というニュースをきっかけに彼の自伝を読んだ私は、感動をファンレターに書いて送りました。
すると!
ご本人からお返事をいただいたのです。
軽井沢からの絵ハガキに、キーンさん直筆で私の名前とお礼の一文がしたためられたのを見たときは、喜びで息が苦しくなってしまった。

ドナルド・キーン氏(1922-2019)は、東日本大震災の後に日本へ帰化した日本文学者

日本で三月に起きた恐ろしい地震と津波、そして原子力発電所の事故は、かつてない衝撃をニューヨークの人々に与えた。私は当然のことながら日本の友人たちを心配し、また自分がよく知る東北の数々の場所—松島、仙台、そして何よりも私が愛する平泉の中尊寺の被害を案じた。
(略)
ここに至って、半熟の状態だった日本国籍取得への決断が、私にとっては必須の懸案となったのだ。外国人が日本から逃げていくニュースにも落胆していた私は、もっとも率直なかたちで日本のみなさんと一緒になる、その思いを表明しなければと思ったのである。

『ドナルド・キーン自伝 あとがき』より

外国人が日本から逃げていくニュースにも落胆していた」という部分を読んで、私はドキッとしました。
そして、2024年現在、外国人観光客の姿が日常となっている日本の生活を思いました。

2011年3月の恐怖はすごかった。
地震と津波による原子力発電所の大事故が起き、関東にいた私さえも一時期は避難をするかもしれないと考えました。放射線計測器が欲しいと思い、そのパニック状態が少し落ち着いた後でも、私は水道水を飲むことを止めてしまいました。

計画停電のために夕食の時間帯に電気が止まり、夜7時に世界が真っ暗になりました。あの時の情報氾濫と人間の心理状態はすごかったと思う。

外国人観光客はあわてて日本から逃げて行ったと思います。
報道は「福島の原発事故は1979年のスリーマイル事故よりも深刻、1986年のチェルノブイリ事故と同レベル」と発表しました。

日本は森林で覆われた島国です。山や川が多い。
原発の施設を大陸のように広大な土地に封じておくことはできません。事故の汚染物質は自分の住むところにも来るのでは、と多くの人が想像しました。

現在は2024年。私は水道水を飲み、料理をしています。
円安が最大の理由でしょうが、外国人観光客はぞくぞくと日本を訪れています。本当にたくさん来ている。
この春に私が墨田区のすみだ北斎美術館へ行ったところ、展示室にいる日本人らしき客は私だけという時がけっこうありました。

日本は今も地震国です。2024年元日の能登半島地震、4月には愛媛県で大地震があり、どちらの地域にも原子力発電所はありました。

13年前の震災を思うとき、今こんなにも多くの外国人観光客が日本にいるという事が、私は信じられません。

ドナルド・キーン氏はコロナ禍前の2019年に亡くなりました。
大震災、コロナ、物価高。へとへとになりながら2024年にたどり着いた日本をキーン氏はどう思っているでしょうか。

もう一度、キーンさんへお手紙を書きたくなりました。でも今は読んでもらえません。寂しい。

きっかけは1940年のNYタイムズ・スクエアの古本屋で『The Tale of Genji』というセール本を買ったこと

1940年、18歳のキーン青年は『源氏物語』に出会いました。それはイギリスの東洋学者アーサー・ウェイリー(1889‐1966)による英訳本でした。

当時、ニューヨークの中心にあるタイムズ・スクエアに、売れ残ったゾッキ本を専門に扱う本屋があった。その辺を通りかかった時に、いつも私は立ち寄ったものだった。ある日、The Tale of Genji(源氏物語)という題の本が山積みされているのを見た。こういう作品があるということを私はまったく知らなくて、好奇心から一冊を手にとって読み始めた。挿絵から、この作品が日本に関するものであるに違いないと思った。本は二巻セットで、四十九セントだった。買い得のような気がして、それを買った

『ドナルド・キーン自伝』より

1940年に読んだアーサー・ウェイリー訳『源氏物語』

キーン氏は日本の古典『源氏物語』に出会い、夢中になります。

当時の日本は、彼の学友であった李の祖国中国を侵略している軍事国家です。
日本にはこんなに美しい物語があったのか?
もの珍しさから読み始めた『源氏』に、彼はのめりこんでしまいました。

私はそれまで、日本が脅威的な軍事国家だとばかり思っていた。広重(浮世絵の歌川広重)に魅せられたことはあっても、日本は私にとって美の国ではなくて中国の侵略者だった。李(中国人の学友)は、手厳しい半日派だった。(略)
李と李の祖国に同情はしたものの、だからといって私が『源氏』を楽しむのをやめたわけではなかった。

『ドナルド・キーン自伝』より

アーサー・ウェイリーの源氏物語を知っていますか

キーン青年が出会ったアーサー・ウェイリー英訳の『源氏物語』。
2017年から2019年にかけて、これを日本語訳にした逆輸入版が発行されています。現在は紫式部の大河ドラマもあり、『源氏物語』をさまざまな角度から見るチャンスがいっぱいですね。

『A・ウェイリー版 源氏物語』
紫式部/作、アーサー・ウェイリー/英訳、毬矢まりえ+森山恵姉妹/日本語訳、左右社/出版

(関連記事、和樂web)
「ドナルド・キーンも絶賛!『源氏物語』世界初の英語全訳「ウェイリー版」の魅力を徹底解説」

1940年。第二次大戦が拡大し、ヨーロッパ内のナチ侵攻が報道されるアメリカで、日本語を知らない大学生は何を感じたのでしょうか。

物語の中では対立は暴力に及ぶことはなかったし、そこには戦争がなかった。主人公の光源氏は、ヨーロッパの叙事詩の主人公と違って、男が十人かかっても持ち上げられない巨石を持ち上げることが出来る腕力の強い男でもなければ、群がる敵の兵士を一人でなぎ倒したりする戦士でもなかった。また源氏は多くの情事を重ねるが、それはなにも(ドン・ファンのように)自分が征服した女たちのリストにあらたに名前を書き加えることに興味があるからではなかった。源氏は深い悲しみというものを知っていて、それは彼が政権を握ることに失敗したからではなくて、彼が人間であってこの世に生きることは避けようもなく悲しいことからだった。

『ドナルド・キーン自伝』より

隣の席の中国人から漢字を習う

子どものころから頭がよく、飛び級で16歳にしてコロンビア大学へ入ったキーンさん。平和を望む青年がもっとも恐れたものは戦争でした。

ある授業では座席が名前のアルファベット順になり、キーン(Keene)の次は李(Lee)という中国人でした。ヨーロッパ文学には詳しいが中国については中華料理しか知らなかったキーンさんは、李から漢字を習い、中国語を学び始めます。

李が買ってきた筆と書道の本を使って、漢字を書く練習をした。漢字を真似て書くのがかなりうまくなったが、別の中国人が私の書を見て指摘したことによれば、私は漢字を「書いている」のではなくて「描いている」、つまり書く順番や正しい筆の運びを無視していると言うのだった

『ドナルド・キーン自伝』より

これ、漢字常用民にあるあるの癖ですね。

漢字を書く外国人を見ると、私たちはついダメ出しをしてしまう。
トメ、払い、書き順!できてないねえ。
…それじゃ、そう言うあんたは正しくできるのか?
すみません。できません!子供のころから漢字を書いている私でも書道は苦手です。
でも、私は書を見るのが大好きです。書家の王羲之、顔真卿、褚遂良。グッとくるわぁ。書は日本でもしばしば展覧会があり、本や写真集も出ています。
台東区の書道博物館は都会のオアシスです。どうぞ行ってみてください。

源氏物語と漢字をきっかけに日本語の世界へ

李から漢字を習っていたキーンさんは、別の学友から、自分の別荘で日本語学習の夏合宿をしないかと誘いを受けます。
そこにはキーンさんの他に2人の仲間がいました。
2人とも、幼少期に日本で暮らした経験から簡単な日本語は話せますが、読み書きはできませんでした。キーンさんは、日本語は話せないが漢字がわかります。3人はいい勉強仲間になったのです。

「サイタ サイタ サクラガ サイタ」の小学校教科書を教材にして日本語を学びました。

アメリカ軍の日本語語学校

1941年12月。真珠湾攻撃からキーンさんの学生生活は大きく変わりました。コロンビア大学の日本人教員は、散歩をしていたというだけで、スパイ容疑のために告発されてしまいます。
その一方で、アメリカ軍では敵国の情報を得るための日本語翻訳者と通訳者が必要になりました。戦争を恐れながらも日本語を学び続けたいキーンさんには、それが次の進路でした。海軍の日本語語学校へ、日本語通訳士の候補生として入ったのです。

終戦。1945年12月に念願の日本上陸

今回はここまで。
次回は終戦後のキーン氏と日本についてです。
彼はなんとあの作家と親しくなるのです!それは、三島由紀夫だよーーー

この先が気になった方はぜひ、自伝を読んでみてくださいね。

↓こちらの本も楽しかった。東京新聞に連載されたものがまとめられました。
『ドナルド・キーンの東京下町日記』2019年、東京新聞/出版


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?