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時代とか、思うこと

時の流れは止められない。時代の変化も。それをどう捉えるか。なんて、答えの出しようもない事だと、思います。時には悲しく感じたり、時には頼もしく感じたり。

工芸、芸事、経済、文明 などなど。
種類は違うけれど、色んな分野で起きている『時代と共に変化する』物たち、者たち、モノたち。


私の先輩で、伝統芸能に使われる玩具を復元することを生業とした方がいます。
明治時代から継ぐ家業とのこと。
特別な時くらいにしかお目にかかる事がない、それを作る職人は、なんと!先輩が、日本では最後の職人かもしれません。

と、10年ほど前に聞きました。今は、復元が主なお仕事だそうです。


学生の頃、先輩のデッサンを初めて目にした時、胸をドスンと打たれたような衝撃を感じました。力強くて迷いがない線。生命力というか、叫びというか、そう言う強烈な印象を持ちました。
眼光が鋭いので怖い人かと思いましたが、そんな先輩の作る彫刻は、デッサンと同じく力強くて、けれども繊細で、愛嬌もあります。
実際に話をしてみると、先輩は怖い人ではなく、どちらかと言えば、先輩の方が世の中に怯えているような印象さえ感じました。

伝統芸能に使われる玩具。
その需要について、私は詳しくありません。けれど、厳しいご時世であることは想像できます。
軽量化、安さ、効率の良さ等を重要視されるのも分かるし、職人さんが一つ一つこだわり、命を吹き込むものの良さがあることも、分かります。






ところで、職人であることと、芸術家であることは、極めていったら同じなのでしょうか。それとも、違うんでしょうか。 どうなんでしょうか。




先輩の経験談の一つとして、こんな事があったそうです。

約5年に渡り手がけた復元作業。現物は消滅、文献のみを手がかりに取り掛かり、材料も入手困難。装飾には鳥の羽が必要なため、鳥の採取許可をとり、マタギと呼ばれる方と山へ足を運んだ。

その『マタギ』と呼ばれる方も、日本ならではの伝統的猟法だけど、本来の意味でのマタギはごく僅か。

他にも、様々な日本特有の伝承が奇跡的に残っていたから復元が実現できたけれど、近いうちにこれらが消えてしまう運命を感じたという。


この話とは別だけど、先輩は元々、そのモノの原型を作成していました。けれどもその先の漆工程等は化学塗料が使用され、 中にはアジア諸国から輸入された複製品も本物とされたそうです。

必ずしも本物が良いとは限らない。化学塗料も進化の一つ。基準は時代と共に変わる。けれど、複製品が本物と評されてしまったら、それはもう、職人としては裏切られたような気持ちになるんじゃないだろうか。

本人にしか分からないもの。


私が知らないだけで、きっとこのような事は沢山溢れているんだろうなと思いました。

全てを知ることは不可能です。でももし、少しでもこのような『伝統』に触れる機会があった時、先輩の話を思い出してみるのも良いかなって、思います。


時代と共に変わっていくものたち。そのおかげで、今の私たちの生活がある。利便性、効率、弱きものの保護、医療の発達、平等だとか、色んなこと、ありきたりの言葉で語る事も出来るけど、ちょっと視点を変えてモノを見る。
色んな立場で。

そうすると、なんか面白くない?

自分なりの解釈でも良い。皆んなと同じ考えじゃなくても良い。

だって、本物が何かなんて、実はあまり誰も知らないのかもしれないんだから。

ただ、生きるモノには心があって、時間を費やしたらそこには愛がある。

変わらない事が良い事なのか、平等である事が良い事なのか、残酷で無い事が良い事なのか、綺麗なだけが良い事なのか、そんなこと、分からないけど。

色んな想いが世の中にはあるんだなって、思う今日この頃。


今朝、曼珠沙華が道端に2本だけ咲いていました。

え、?こんなところに?  てところに。

曼珠沙華にしてみたら、どんな気持ちなんでしょ。

『こんな排気ガス浴びるところに咲いちまったぜ!引っ越したいなぁ、、、』なのか、

『咲ける場所が見つかってよかった〜』なのか。

知る術はないんですけど😀


そんなわけで、最後までお読みいただき、ありがとうございました😊🙏💖