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ミハウ・カレツキ「完全雇用の政治的側面」(1943年)

ポーランドの経済学者ミハウ・カレツキ(1899〜1970)が1943年に発表した論文「完全雇用の政治的側面」を以下のとおり紹介する。概要は下記のポイントにまとめ、読みやすいよう見出しを付した。

Michał Kalecki, “Political Aspects of Full Employment“, Political Quarterly, 14/4, 1943, pp.322-31

ポイント

1 政府支出による完全雇用は、経済的には達成可能である。政府支出においては、個人や企業が政府に資金を提供するのではなく、政府が彼らに資金を提供し、財やサービスを調達しているのである。国債売却は現金を除去するオペレーションであり、金利は中央銀行の政策変数であって、財政赤字の大きさとは関係がない。支出拡大がインフレを引き起こすのは完全雇用水準を超えてからである。
2 完全雇用は財界にも経済的な利益をもたらすが、財界は以下の政治的な理由から完全雇用に反対する。(1)雇用問題への政府介入に対する嫌悪(健全財政を通じた資本による雇用支配の維持)、(2)政府支出の使途に対する嫌悪(民間投資の圧迫)、(3)完全雇用の維持がもたらす社会的・政治的変化に対する嫌悪(労資の力関係の変化)。
3 ファシズムは、失業の撲滅のために完全雇用に対する資本家の反対を排除し、軍備経済に発展するが、経済のボトルネックに対処するため統制と消費抑制を含む計画経済の性格を持つようになり、やがては戦争によって崩壊する。
4 不況対策のための政府介入は許容されるようになったが、介入はあくまで不況期に限定されるべきとされ、支出の使途は論争の的であり続けている。不況の打開策として、民間投資の刺激が企業サイドに好まれるが、そのような景気刺激策では完全雇用を達成できない。好況期に完全雇用を維持することは、大企業と金利生活者が徒党を組んで反対し、財政赤字の削減を要求する。緊縮財政によって不況が発生すると、ようやく政府は支出拡大に戻る。この繰り返しを政治的景気循環と呼ぶ。
5 この政治的景気循環に対して、政府は人々の生活水準を高める支出に対象を定めて実施すべきであり、完全雇用を目指すことは資本主義の本質的な改革とファシズムの再発の防止に必要なのである。

1 完全雇用の経済原理

(1)政府支出による完全雇用の達成

現在、経済学者の大多数の意見では、資本主義システムにおいても、政府支出プログラムによって完全雇用を確保することができる。その条件とは、現存する労働力をすべて雇用する適切な計画が存在し、輸出と引き換えに必要な外国の原材料が十分に得られる場合である。

政府が公共投資(学校、病院、高速道路の建設など)や大衆消費への補助(家族手当、間接税の軽減、生活必需品の価格抑制のための補助金)を行い、しかもその支出が(民間投資や消費に悪影響を与える)課税ではなく借入によって賄われるのであれば、財やサービスに対する有効需要は完全雇用に達するまで増加する可能性がある。注目すべきは、このような政府支出は、直接的に雇用を増やすだけでなく間接的にも雇用を増やす点である。直接的な雇用増加によって所得が増加し、消費財や投資財に対する需要が二次的に増加するため、間接的にも雇用が増えるのである。

(2)国債と金利

「人々が投資や消費を抑制しないのであれば、彼らが政府に貸し出す分の資金はどこから調達するのか」と問われるかもしれない。このプロセスを理解するためには、政府が〔財やサービスの〕供給者に国債で支払いを行うと仮定してみるのが最適であろう。供給者は一般に国債を持ち続けることはなく、他の財やサービスを購入するなどしながら国債を流通させ、最終的にこれらの国債は、国債を利回り資産として保有する個人または企業の手に渡る。どの期間においても、個人や企業が(一時的または最終的に)保有する国債の増加の総計は、政府に売却された財やサービス〔の総計〕と等しくなる。したがって、経済が政府に貸し出すのは、〔資金ではなく〕国債によって生産が「賄われる」財やサービスなのである。実際には、政府はそのサービスの対価を国債ではなく現金で支払うが、政府は同時に国債を発行するので、その現金を除去(drain)してしまうのだ。この実際のプロセスは、上記の仮定のプロセスと〔原理的には〕全く変わらない。

しかし、もし人々が国債の増加分をすべて吸収しようとしなかったらどうなるか。その場合は、最終的に〔市中〕銀行に国債を提供し、それと引き換えに現金(紙幣または預金)を得ることになる。銀行が国債を受け入れれば、金利は維持される。さもなくば、国債価格は下落(=金利が上昇)し、人々は預金に比してより多くの国債を保有するようになる。したがって、金利は銀行政策、特に中央銀行の政策によって決まるのである。中央銀行の政策が金利を一定の水準で維持することを目的としているならば、政府の借入がいくら多くても、金利目標は容易に達成されうる。現在の戦争においては、これが常態なのである。天文学的な額の財政赤字にもかかわらず、1940年初頭から金利は一切上昇していない。

(3)政府支出とインフレ

「借入で賄う政府支出はインフレを引き起こす」という反論があるかもしれない。これに対しては、政府が作り出す有効需要は、他の需要の増加と同じように作用すると答えることができる。労働力、設備、外国の原材料が十分に供給されていれば、需要の増加は、生産の増加によって満たされるのだ。しかし、資源の完全雇用に達し、有効需要の増加が続けば、財やサービスの需要と供給を均衡させるために価格が上昇する。(現下の戦争経済で見られるような資源の過剰雇用の状態では、配給と直接税によって消費財の有効需要が抑制されている分だけ、物価の上昇は避けられている。)したがって、政府の介入が完全雇用の実現を目指すものであっても、有効需要を完全雇用の水準以上に増加させない限り、インフレを恐れる必要はまったくない。

2 政府支出を通じた完全雇用実現への反対

(1)三つの反対理由

以上が完全雇用の経済原理となるが、非常にざっくりとしていて完璧な説明とはいえない。とはいえ、読者にこの原理の要点を理解してもらい、後述する完全雇用実現に関わる政治的問題の議論ついていけるようにするには十分だと私は思う。

最初に断っておくが、現在ではほとんどの経済学者が政府支出によって完全雇用を達成することができることに同意しているが、少し前にさかのぼると彼らは決して同意していたわけではない。この原理に反対する者の中には、銀行や産業界と密接な関係にある、著名な「経済専門家」と称される人々が存在した(そして今も存在している)。このことは、完全雇用原理への反対論が展開する主張の内容は経済的であっても、その主張の背景は政治的なものであることを示唆している。このような議論を展開する人々が、自分たちの経済学を信じていないというわけではない(情けない限りだが)。とはいえ、彼らが頑固に無視を決め込むのは大抵、根底にある政治的な動機の現れなのだ。

また、ここに最も重要な政治的問題が絡んでいることを、さらに直接的に指摘することができる。1930年代の大恐慌のとき、大企業は、ナチス・ドイツを除くすべての国で、政府支出による雇用増加の実験に一貫して反対していた。これは、アメリカ(ニューディール政策への反対)、フランス(ブルムの実験)、そしてヒトラー政権以前のドイツではっきりと見て取ることができる。大企業のこうした姿勢を説明するのは簡単ではない。生産高と雇用の増大は、企業家の利潤を増やすので、労働者だけでなく企業家にも利益をもたらすのは明らかである。そして、上記の完全雇用政策は、追加的な課税を伴わないので、利潤を侵害しない。不況にあえぐ企業家は好況を切望しているにもかかわらず、なぜ彼らは、政府が作り出す官製好況を喜んで受け入れないのだろうか。この難しくも魅力的な問いこそ、この論文で取り上げていく問題である。

「財界首脳陣」(*1)が、政府支出を通じた完全雇用の実現に反対する理由は、(1)政府が雇用問題に介入することそのものに対する嫌悪、(2)政府支出の使途(公共投資と消費補助)に対する嫌悪、(3)完全雇用の維持がもたらす社会的・政治的変化に対する嫌悪、の三つに分類することができる。ここでは、これら三つのカテゴリーに分類された拡張的財政政策への反対意見をそれぞれ検証していくことにしよう。

*1:原文のindustrial leadersは、「産業の主導者」という訳語が当てられ、その後に出てくるcaptains of industryには「産業の統率者」の訳語が当てられたりするが、他にbusiness leadersの言葉も含め、いずれも労働者を雇用する資本サイドのトップというニュアンスで使われている。本記事では、日本語的に馴染みのある「財界首脳(陣)」で統一することとする。

(2)理由その1:雇用問題への政府介入に対する嫌悪

まず、雇用問題への政府の介入を受け入れようとしない「財界首脳陣」について考えてみよう。国家の活動が拡大するたび、企業は疑いの目を向けるが、政府支出による雇用創出には特別な側面があり、このため反対は非常に激しいものとなる。自由放任システムのもとでは、雇用水準はいわゆる 〔企業側の〕「確信の状態」(state of confidence)(*2)に著しく左右される。この「確信の状態」が悪化すると、民間投資が減少し、その結果、(直接的に、また所得の減少が消費と投資に及ぼす二次的効果によって)生産と雇用が減少する。こうして、資本家は政府の政策に対して間接的かつ強力な支配力を持つことになる。「確信の状態」を揺るがす恐れのある事象は必ず経済危機を引き起こすので、慎重に回避されなければならない。しかし、政府が自らの購入〔政府支出〕を通じて雇用を増やすという芸当をいったん覚えてしまうと、資本家の強力な支配装置は効力を失うことになる。したがって、政府介入のために必要な財政赤字は、必然的に危険視される。「健全財政」の原理には、雇用水準をこの「確信の状態」に従属させる社会的機能があるのだ。

*2:期待収益に対する資本家の確信の度合いの意味で用いられる。つまり、雇用水準は、自由放任経済では「確信の状態」という資本サイドの都合に左右されるので、資本家の政策への影響力が高まる。そして、この状況を作り出すのが「健全財政」を通じた政府介入の抑制であるという論立てになっている。ケインズは、『一般理論』第12章「長期期待の状態」の中で、「確信の状態」を彼の確率論における「推論の重み」(weight of argument)と関連づけて論じている。

(3)理由その2:政府支出の使途に対する嫌悪

公共投資と大衆消費の補助という政府支出の対象を考えると、政府支出政策に対する財界首脳陣の嫌悪感はさらに強くなる。

政府介入の経済原則では、公共投資の対象は民間企業の設備と競合しないもの(例えば、病院、学校、高速道路)に限定する必要がある。そうしないと、民間投資の収益性が損なわれ、また公共投資の雇用へのプラス効果が、この民間投資の減少によるマイナス効果で相殺されてしまう恐れがある。この考え方は、財界の人間にとって非常に都合がいい。しかし、この種の公共投資の範囲はかなり狭く、この方針を進めると、やがて政府は新たな投資領域を得るために、交通や公益事業を国有化する誘惑に駆られる危険性がある。

そのため、財界首脳陣や財界のお抱え専門家らは、公共投資よりも、(家族手当や生活必需品の価格を抑える補助金などによる)大衆消費の補助の方を支持するのではないかと思われる。しかし、実際にはそうではない。大衆消費の補助は、そうした専門家から公共投資よりも激しい反対に合うのが現実だ。なぜなら、消費補助は最も重要な道徳原則に抵触するからだ。資本主義の倫理の根本原則は、(たまたま私有財産を所有していない限り)「汗水たらして自分のパンを稼ぐべし」(*3)なのである。

*3:原文の”you shall earn your bread in sweat”は、旧約聖書・創世記の一節「あなたは顔に汗してパンを食べ…」(3:19)から来ているものと思われる。文脈では、いわゆる「働かざる者食うべからず」の意で言及されている。

(4)理由その3:持続的完全雇用による社会的・政治的変化に対する嫌悪

ここまでは政府支出によって雇用を創出する政策に反対する政治的理由を考察してきた。しかし、たとえこの反対に打ち勝ったとしても(大衆の圧力によって反対に打ち勝つ可能性は十分にある)、完全雇用の維持は、社会的・政治的変化を引き起こし、この変化によって財界首脳陣の反対はより一層強いものとなろう。実際、恒久的な完全雇用の体制のもとでは、「クビ」(解雇)は懲戒処分としての役割を果たすことはなくなるだろう。経営者の社会的地位は損なわれ、労働者階級の自信と階級意識は高まるだろう。賃上げや労働条件の改善を求めるストライキは、政治的緊張を生み出すだろう。確かに完全雇用体制のもとでは、利潤は自由放任下の平均よりも大きいし、労働者の交渉力が強くなって賃金率が上昇しても、それが利潤を減少させる可能性は物価を上昇させる可能性も小さい。よって、完全雇用体制下での賃金率の上昇は、金利生活者の利益を損なうだけとなる。しかし、財界首脳陣にとって「工場の規律」(労働規律)と「政治的安定性」は利潤よりも重視すべきものである。永続する完全雇用は彼らにとって不健全であり、失業は「正常な」資本主義システムにとって不可欠であることを、経営者階級の本能として知っているのだ。

3 ファシズムの軍備経済と完全雇用

(1)経済的圧力から政治的圧力へ

ナチス体制に代表されるファシズムの重要な機能の一つは、完全雇用に対する資本家の反対を排除することであった。

政府の支出政策それ自体に対する嫌悪は、ファシズムのもとでは身を潜める。国家機構がファシズムと大企業の提携による直接支配下にあるという事実があるためだ。「健全財政」の神話は、政府が財政支出によって信用危機を相殺するのを防ぐ働きをするが、その神話も必要ではなくなる。民主制では、次の政府がどのようなものになるかわからないのに対し、ファシズムでは、次の政府は存在しえない。

公共投資であれ消費であれ、政府支出の対象を軍備に集中させれば、政府支出に嫌悪が向けられることはない。最後に、完全雇用のもとでの「工場の規律」と「政治的安定性」は、労働組合の弾圧から強制収容所にまで至る「新秩序」によって維持される。政治的圧力が、失業の経済的圧力に取って代わるのだ。

(2)計画経済の性格を持つ軍備経済

軍備がファシストの完全雇用政策の根幹を成しているという事実は、その政策の経済的性格に重大な影響を及ぼす。大規模な軍備は、軍隊の拡張と征服戦争の計画の準備と切り離せないものである。また、大規模な軍備は他国との再軍備競争を誘発する。このため、政府支出の目的は、完全雇用から、再軍備の効果を最大限に発揮させることに次第に移行していく。その結果、雇用は 「過剰 」になる。失業がなくなるだけでなく、労働力不足が深刻になる。あらゆる分野でボトルネックが発生し、これには多くの統制を構築して対処しなければならない。このような経済は、計画経済の多くの特徴を持っており、時には(いささか無知が過ぎるが)社会主義と比較されることもある。しかし、この種の計画は、ある経済が特定の領域で一定の高い生産目標を設定したときに必ず現れるものであり、目標とする経済に到達したときにも現れる。中でも軍備経済は特別なケースである。完全雇用のもとで生じ得た消費と比較すると、軍備経済には消費の抑制が伴うのが特徴である。

ファシスト体制は、失業の撲滅から出発し、希少性の軍備経済に発展し、そして必然的に戦争で幕を閉じるのである。

4 民間投資の刺激策と政治的景気循環

(1)完全雇用に対する議論の変遷

資本制民主主義において、政府支出による完全雇用政策に反対することは、実際どのような結果をもたらすだろうか。第二節で述べた反対理由の分析に基づいて、この問いに答えてみよう。上述のとおり、財界首脳陣は以下の三つの面で反対することが予想されると論じた。(1)財政赤字に基づく政府支出に対する根本的な反対、(2)政府支出が(経済活動の新しい領域への国家の介入を予感させる)公共投資あるいは大衆消費の補助に充てられることに対する反対、(3)単に深刻で長引く不況を防ぐことに留まらず完全雇用を維持することに対する反対である。

今認識すべきなのは、「財界首脳陣」が不況を緩和するいかなる種類の政府介入にも反対する余裕のあった段階は、およそ過去のものであるということだ。これは次の三つの要因によって生じた。(1)目下の戦争の間に十分な完全雇用が実現したこと、(2)完全雇用の経済原理が発展したこと、(3)この二つの要因の結果もあって、「失業は二度と起きない」というスローガンが今日の大衆の意識に深く根付いていること、である。この立場は、最近の「財界首脳陣」と財界のお抱え専門家の発言にも反映されている。もっとも、「不況には何らかの対処が必要である」ことには共通了解があるが、次の二点での論争は続いてる。第一に、不況にはどのような対処が必要か(=政府介入の方向性をどうするか)という論点、第二に、そうした対処は不況下でのみ行うべきである(=永続的完全雇用の確保ではなく、単に不況を緩和するためだけに行うべきである)という論点である。

(2)失業対策としての民間投資の刺激

現在、こうした問題を議論すると、民間投資を刺激することによって不況を打開しようという意見が何度もあがってくる。金利の引き下げ、所得税の引き下げ、あるいは民間投資への直接補助などである。このような計画が企業にとって魅力的であることは、驚くにあたらない。企業家が介入が行われる媒体であることに変わりはない。政治的状況に自信がなければ、賄賂をもらって投資することはないだろう。そして、この介入は政府が(公共)投資を「もてあそぶ」ことも、消費の補助に「無駄遣い」することもないのである。

しかし、民間投資の刺激は大量失業を防ぐのに十分な方法ではないことが示されるかもしれない。ここで考慮すべきは、二つの対案である。(1)金利や所得税(あるいはその両方)を不況時には大幅に引き下げ、好況時には引き上げる。この場合,景気循環の周期と振幅はともに小さくなるが、雇用水準は、不況期だけでなく好況期でさえも完全雇用にはほど遠い(=平均失業率がかなり高い)可能性がある(もっとも変動はそれほど顕著ではないだろうが)。(2)金利や所得税は、不況時には引き下げても、その後の好況時には引き上げない。この場合、好況はより長く続くが、新たな不況で終わらざるを得ない。金利や所得税の引き下げは、当然ながら資本主義経済に景気循環による変動をもたらす力を排除するものではない。新たな不況では、再び金利や所得税を引き下げるなどの措置が必要になる。したがって、そう遠くない将来、金利はマイナスに転じ、所得税は所得補助金に置き換えられなければならなくなる。民間投資を刺激することによって完全雇用を維持しようとする場合も同様で、金利と所得税は継続的に引き下げられなければならなくなる。

民間投資の刺激による失業対策には、こうした根本的な弱点に加えて、実践上の困難も存在する。このような対策に対する企業家の反応は不確かである。景気後退が急激だと、企業家は将来を非常に悲観的にとらえ、金利や所得税の引き下げは、長い間、投資、ひいては生産と雇用の水準にほとんど影響を与えないかもしれない。

(3)政治的景気循環

不況対策として民間投資の刺激を主張する人々も、民間投資だけに頼るのではなく、公共投資との関連性を想定していることが多い。今のところ、財界首脳陣やお抱え専門家(の少なくとも一部)は、不況を緩和する最後の手段として、借入で賄われる公共投資を受け入れる傾向にあると思われる。しかし、消費補助による雇用創出や完全雇用の維持には、一貫して反対し続けているようである。

このような状態は、おそらく将来の資本制民主主義の経済体制を示すものである。不況期には、大衆の圧力で、あるいは圧力がなくても、大規模な失業を防ぐために、借入による公共投資が行われるであろう。しかし、この方法を、その後の好況期に達した高水準の雇用を維持するために適用しようとすると、財界首脳陣の強い反対にあう可能性がある。すでに述べたように、彼らは完全雇用が長続きするのを決して好まない。労働者は「手に負えなくなる」し、「財界首脳陣」は「労働者を調教しよう」と躍起になるだろう。さらに、好況期の物価上昇によって、金利生活者はその規模に関わらず不利な立場に置かれ、そして「好況疲れ 」に陥る。

このような状況では、大企業と金利生活者がそれぞれの利益をめぐって強力な同盟を形成する可能性が高い。恐らく彼らは、この状況を明らかに不健全だと力説してくれる経済学者を何人も見つけ出すだろう。これらのすべての勢力の圧力、とりわけ(往々にして政府部門に影響力を持つ)大企業からの圧力によって、政府が財政赤字の削減という伝統的な政策に後戻りするのはほぼ確実であろう。この後戻りに続いて不況が発生し、政府の支出政策は再度復活することになる。

このような政治的景気循環(political business cycle)のパターンは、まったくの推測ではなく、1937〜38年の米国では非常に似たような現象が起きている。1937年後半の好況の崩壊は、実は財政赤字の大幅な削減が原因であった。他方で、その後の急激な不況になると、政府はすぐに政府支出の政策に戻したのである。

政治的景気循環の体制は、19世紀の資本主義に存在したような立場を人為的に回復させるものであろう。完全雇用に達するのは好況のピーク時だけで、不況は比較的穏やかで短命となる。

5 結論

(1)政府支出の対象を定める

進歩派は、前節で述べたような政治的景気循環の体制に満足すべきなのだろうか。私の考えでは、彼らは二つの理由で反対するはずだ。その理由は、(1)この体制は永続的な完全雇用を保証しないこと、(2)政府の介入は公共投資と結びついているが、消費の補助を伴わないこと、である。大衆が今求めているのは、不況の緩和ではなく、不況の根絶である。また、その結果として生じる資源の完全活用は、単に仕事を提供するためだけの不要な公共投資にまで及ぶべきではない。政府支出プログラムは、実際に必要な範囲での公共投資にのみ限定されるべきである。完全雇用の維持に必要な政府支出の残りは、消費補助(家族手当、老齢年金、間接税の引き下げ、生活必需品の補助など)に充てられるべきものである。このような政府支出に反対する人々は、そんなことをしても政府には何も見返りがないと言う。これに対する回答は、この支出の対価として、大衆の生活水準が向上することである。これこそあらゆる経済活動の目的ではないだろうか。

(2)完全雇用の闘い:資本主義の変革とファシズムの防止

「完全雇用資本主義」は、当然ながら労働者階級の力の増大を反映するような新しい社会的・政治的制度を生み出す必要がある。もし、資本主義が完全雇用に適応できるなら、根本的な改革が資本主義に組み込まれたことになる。さもなくば、資本主義は、廃止すべき時代遅れのシステムであることが明らかになるだろう。

完全雇用のための闘いは、ファシズムにつながる恐れがあるのだろうか。もしかすると、この方法によって、資本主義は完全雇用に適応するのだろうか。その可能性は極めて低いと思われる。ファシズムは、ドイツにおいて、途方もない失業を背景に生まれ、資本制民主主義が実現し損ねた完全雇用を確保することによって、権力を維持した。完全雇用のための進歩派勢力の闘いは、同時に、ファシズムの再発を防止する方法でなのある。

(以上)

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