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chilldspotの「愛哀」という偉大な曲をリアルタイムで聴ける奇跡について。

chilldspotの「愛哀」が凄いです。凄まじい力を持ってます。聴いた後は脱力します。何もする気にならず呆然としてしまいます。そしてまた繰り返して聴きます。

この曲に救いはありません。

まずはそう聴こえます。ひとりの若者が堕ちていき、そこから抜け出せず静かにもがいてる姿が見えてきます。

私は音楽レビューでは無くて音楽家に向けて書いてます。毎日書いてます。今日も音楽家に向けて書き進めています。chilldspotの「愛哀」のレビューをしたいわけではありません。でも書かずにはいられない衝動があります。つい先日この曲のライブ映像も公開されました。これも凄まじいです。比喩根の光り輝く才能を余す所なく、いや、彼女の才能の巨大さからしたらまだある一面に過ぎないのかもしれませんが、それでも常人の私からしたら驚愕の才能をそこに見ることが出来ます。

メロディーも歌詞も淡々と静かに堕ちていきます。歌の主人公はひとりの若者には違い無いですが、第三者の視点のような客観的な情景として描かれています。冒頭から凄いです。凄いという言葉を使い過ぎてますが、どこを切っても凄いので仕方ありません。冒頭のフレーズは

「毒に犯された町で生きてるの」

です。どこのことか、あなたは考えます。MVでは歌舞伎町として描かれてますが、それはあなたの思う町として考えれば良いんです。曲が始まってすぐに考えさせられる歌詞というのが凄いんです。そして

「もうあんなバカな真似はしない」

では音楽的な歌唱が見られます。ここで「な」にアクセントを置いてます。歌にリズムが生まれます。歌が生きてきます。そして繊細なビブラートはそのまま心の震えを思わせます。生々しいです。抑えた表現で心の中は激情です。更にはこれです。

「宝石の道の一本奥は若気の至り通り」

というキラーフレーズが続きます。表通りと裏通りのことを見事なレトリックでそれらに対する感情交えて端的に表現してます。後に爆発するサウンドと共に激情がやってきますが既にそれを予感します。でもその予感をはるか上回るとんでも無いスケールの爆発がやってくるんです。

この曲には救いがあるんでしょうか。

歌詞だけではそれは分かりません。そこに救いらしき言葉は一つもありません。ですが、私は比喩根の歌の中に、chilldspotの音楽の中にほんの少しの光が見えてきました。

「幸せまでは欲張らないから私の家をください」

で終えます。安住の地が見つかってはいないけれどまだ諦めてしまったわけでは無い。そう思いたい。歌の中でここまでのことを考えさせるのはいつ以来か思い出せません。

この曲をまだ聴いたことのない人は一度で良いから聴いてみてください。このレベルの偉大な曲にリアルタイムで出会えるのは奇跡でしかありません。何か感じるものがあると思います。そしてこの曲から何かインスピレーションが湧いてきたとしたら、それは素晴らしいことです。本物の名曲は音楽家にインスピレーションを与えます。与え続けます。リアルタイムでこの偉大な曲を聴くチャンスをどうか逃さないでください。

ここまで書いてきてもう一度聴いて「少しの光り」の正体がやっとわかりました。それは「優しい視点」です。一人称で書かれた歌詞ではありますが、その歌の主人公=比喩根のようには彼女は歌っていません。曲の主人公に共感して同化して彼女は歌っています。主人公が堕ちていく様をしっかりと見守っています。そこには「優しさ」を感じます。それが「少しの光」の正体かも知れません。

この曲には救いがあります。それが偉大な曲となった所以かも知れません。


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