見出し画像

近江犬上郡の城館を巡ってきました。

先日は5月なのに寒い、という天気予報だったので、
滋賀県の豊郷町などの城館が密集したエリアを爽やかに❓走って巡ってきました。最寄り駅を間違えて必要以上に走り回ってしまいましたが💦

宅地開発されてしまって、ほぼ城趾碑しかないお城が多いので、たくさんのお城を回れました。浅井氏家臣のものもあったけど、ほぼ六角氏家臣や一族のお城でした。
それらのお城の城主の来歴は、那須与一の弟とか、六角氏の分家で宇治川の合戦で先陣を切った強者とか‥なんだか誇り高い感じの城主が多くて面白く感じました。さすが代々近江守護を務めた家の家臣、と言えるのでしょうか。
高野瀬城‥高野瀬氏は佐々木六角氏の名将・愛智氏の分家。愛知川か佐々木六角氏と京極氏(戦国期には浅井氏)との境界だったので、肥田城と共に境目のお城でした。

工場の正門前に立派な城趾碑

那須城‥屋島の戦いで(弓矢の名手)として名を上げた那須与一宗高の次男の石畠民部大輔宗信がこの地を領して那須城を築き、佐々木氏に従ったそうです。

城趾の秋葉神社。大きなケヤキの木がステキ


堀跡

八町城‥嵯峨源氏系の赤田氏のお城、佐々木六角氏家臣で武功をあげていたが、戦国期は浅井氏につく。

城主で善政を敷いた六角氏家臣赤田隼人正を顕彰する石碑
城趾碑


城趾の常禅寺の周りには土塁が見られます。

吉田城‥宇治川の合戦で先陣をきった佐々木秀義の六男・厳秀が吉田氏を名乗った事に始まるそうです。

岡本本家という酒蔵さんの駐車場脇にある立派な城趾碑


彦根藩主井伊大老の命により創業した酒造だそうで、豊富な名水と良質な近江米を活かした酒造りを行っているそうです。酒蔵では、酒造工程の見学や試飲ができます。

目加田城‥佐々木六角氏に代々仕えてきた目加田氏のお城。もともと安土城が建つ城山には目加田氏のお城があったのだけど、信長の築城に際して立ち退かされてここを居城にしたという話も残っています。本能寺の変に際して明智光秀についてしまいました💦

高さ3メートルほどの分厚い土塁が残る目加田城趾。素晴らしい!

我孫子城‥佐々木六角氏家臣のお城。最近まで城館跡が残っていて、グランドになっちゃったみたいで、惜しい〜

わずかに微高地です。

畑田城‥戦乱時に佐々木六角氏の本城・観音寺城を守る前線として機能していた佐々木六角氏家臣の城

堀と土塁が残ります。

平居城‥佐々木六角氏家臣の城 戦国期には重臣加賀守武定が城主、娘が浅井長政に嫁いでいます。

民家の前に城趾碑。

信長は近江進出に際して、合戦以前から、六角氏の有力家臣たちに降服を勧告していたそうです。
六角父子は箕作山城が落城したのを聞くやいなや、巨大山城な観音寺城を退いて、甲賀山中へと逃亡しました。これは京極道誉、細川政元など古来からの近江にいる大名の常套手段だったようで、古文書にも六角父子が(古来の例にならい、逃亡した)と記されているようです。近江だけでなく、室町時代の大名はそんな傾向があったり、お城もそれを前提として作られているようです。

そんな感じで、六角父子は逃げる戦術で戦火が収まるのを待っているのかもしれないけれど、支城の家臣にとっては捨て石になりたくないですよね💦
この報を聞いた六角氏の主な家臣達は、織田軍に降参し、各支城を明け渡すと共に、信長の軍門に下ったそうです。オセロの色が一気に変わるみたいですね。
そんな六角義賢も信長死後は秀吉の御伽衆となっているし、義治も秀頼の武芸指南役をしていたというから、うまく生き残ったといえるのかもしれませんね。
この辺りの地域に詳しくなかったけれど、お城以外にも、ヴォーリス建築の旧豊郷小学校や伊藤忠邸跡、犬上神社などステキな建物や神社があり、目にも楽しかったです。

東洋一の学校と言われた、旧豊郷小学校。けっこんしぎしてたよ。


犬上神社。この地の豪族だった犬上氏に由来した神社で、犬上の名は郡の名にもなっています。 犬上一族では聖徳太子が隋に遣隋使を派遣した際に小野妹子の副官だった犬上三田鍬が有名です。その後に遣唐使も務めています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?