花弁と共に(中編)
「よっ」
振り向くと、そこには軽快な挨拶に反して固い表情をした屈強な男の姿があった。
軽量級の自分と比べると100kg級の大博は立っているだけで存在感がある。
「見舞い来るの遅いんじゃねーの?薄情者め」
久々に会った親友に軽く悪態をつく。
「すまん。色々と整理がつかなくてな」
そう言ってベッドの横にたたんでいたパイプ椅子を開き、ゆっくりと腰を下ろした。
静かな病室に椅子の軋む音が響く。
「それで、夏までには間に合うのか」
包帯で大袈裟に巻かれた右腕を見ながら、険しい表情を浮かべていた。
「無理無理!間に合わねーよ。俺はもう引退だ」
茶化すような口調でおどけて見せる。
大博の眉間に深く皺が寄っていく。
「本当に、ごめん」
ゆっくりと絞り出すような声だった。
「お前さ、自分の所為なんて思ってねーよな」
大博はこちらを伺うように顔を上げた。
不意に目が合う。
「だって」
声が震えて、今にも泣きそうな顔をしていた。
「故意じゃないなら、怪我した方が悪い」
武道や格闘技をしていれば怪我は避けられない。元から大博を責める資格なんてない。でも、させてしまった方はどうしたって罪悪感に苛まれる。
直後であれば八つ当たりをしたかもしれない。たとえ相手が悪くなくても、そうすることで少しだけ不幸を押し付けて楽になれるから。
でも、そんなことしても現状は変わらないことも理解していた。
責められる覚悟をして、見舞いに来てくれた友人まで失ってしまっては勿体無い。
「俺、頑張るから。絶対、全国行くから」
鼻を啜りながら大きな目標を語る姿に、余分な想いを託す。
「あったりめーだろ!行かなかったら両腕へし折ってやるよ!」
筋肉を羽織った背中に思いっきり平手うちをした。
「痛っ!」
「これでチャラだ」
はにかんで見せると、釣られて大博も控えめな笑顔を見せた。
そこからは互いに些末な近況を報告し合って、歯を見せ合った。
面会時間終了を告げるアナウンスが流れ、大博は病室を後にした。帰り際、後ろ姿が余りにも頼もしくて、少しだけ恨めしく思い左手を強く握りしめた。
春風に誘われ外に目をやると、公園の桜は少し痩せていた。
あの日の君の姿が想起される。共に桜色を帯びた感情が込み上げてくる。
「青春だねぇ」
ハッとして振り返る。
「結衣ちゃん。見てたの?」
「だって、約束の時間過ぎても悠太君が来ないから」
目を細め不満げな表情を浮かべていた。
あの出会いから、僕たちは毎日顔をあわせる仲になった。
退屈な入院生活を埋めるように、毎日昼時から消灯時間までの時間をデイルームで一緒に過ごした。
約束した覚えはないが、二人の中では暗黙の了解で、それは窮屈な病院生活で唯一の楽しみになっていた。
「ごめん。つい話し込んじゃった」
「いいよ。悠太くんにとって大事な友達だったんでしょ。大切にしなきゃだね」
もの寂しそうで、やけに大人びた表情に頬が少しだけ熱を帯びる。
「そういえば、見てこの動画!めっちゃ良くない!?」
そう言ってスマホをこちらに向け、某スポーツアニメの切り抜き動画を見せてきた。それを観て大袈裟にリアクショをしてみせる。
「俺も面白いやつ見つけたよ」
お返しに君が好きそうな動画を共有してみせる。
君はアニメが好きで、アニメの話になると饒舌になり止まらなくなる。そんな君の笑っている顔が好きで、そのために消灯後はイヤホンをつけて布団の中に潜り込み、君が勧めてくれたアニメを見漁った。
そうやって、二人で共有できるものが増えていく度に、君との距離が縮まっていくようで嬉しかった。
「あのシーンほんとに泣けるよねぇ。あそこで挿入歌は反則だよ」
「わかるぅ〜。あれは感動させにきてるやつだよね」
感情を分かち合うことが、こんなにも心を満たすなんて知らなかった。
春に咲いた感情が、広がり色づいていく。
いつものようにデイルームで過ごしている時だった。
「悠太はさ、夢とかあるの?」
「夢?将来のってこと?」
「うん」
あまり深く考えたことはなかった。部活で結果を残せば、流れで”何か”になるんだと思っていた。でも、その道も絶たれてどこに進めばいいかわからなくなっていた。
「わかんない。今はやりたいことも無くなったし」
言葉にすると、抱えていた不安は途端に膨れ上がっていく。悟られないように平静なふりをする。
話題を変えようと、ネタを絞り出すために頭の回転を加速させる。
何か話題を。何か。
「私はね。看護師さんになりたいんだ」
儚くて、今にも散ってしまいそうな細い声だった。
だが、それは貫くように耳に届いた。
聞きたくなかった。
夢のない自分が空っぽだと自覚してしまうことが、君との距離がひらいてしまうことが、唯々こわかった。
でも、そんな君の顔を見て僕は困惑した。
叶うかどうかは別として。
夢を語る者はいつだって煌々として希望に溢れている。
なのに、何故か君は僕と同じ目をしていた。
その矛盾に戸惑いを隠せなかった。狼狽する僕を置いて君は続けた。
「私、昔から体弱くって。だからよく入院してたんだ。退屈で、不安で、寂しくて。一人は嫌だから、いつもこのデイルームで過ごしていたんだ」
あの日、君と出会ったのもこの場所だった。
「一人でいると看護師さんたちはいつも声をかけてくれて可愛がってくれた。点滴が怖くて泣いてたら一緒に歌をうたってくれて、眠れない夜は背中をさすってくれたこともあった。不安な時、そばにいてくれた」
なにも言わず、ただ相槌を打つ。
「憧れだろうね。私も、白衣着てみたいな」
何で、そんなに苦しそうに希望を語るんだろう。
疑問に思わなかったわけじゃない。
同じ位の年齢で、目に見えた病の無い君が、何故ここに留まり続けているのか。
それは意図して触れていなかった。
僕は、いつだって現実から目を逸す。
知らなければいけないと思った。
「素敵な夢だね」
違う。そうじゃない。
君が打ち明けようと歩み寄ってくれたのに、僕は君を突き放した。
翌日、君は姿を見せなかった。
病室を訪れると、そこに在るはずの名前はなく、空室になっていた。
あの日、見下ろしていた公園の桜雲は姿を変え、葉桜となっていた。
新緑を見上げ、君を思う。
退院だと言うのに気持ちは晴れない。
結局、君と再会することはなかった。
あの時、歩み寄っていれば何か変わったのだろうか。
春を迎えるたびに、後悔は募っていく。
今でも僕は、あの春に囚われたままだ。
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