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文章の引き算

以前書いた記事でもそうでしたが文章を書くのって本当に難しいですよね。

個人的に文章をひたすら書くことを足し算とするなら、読みやすく適量に整形することを引き算だと考えています。

Twitter(X)で時々不満が上がる文字数制限ですが、私個人は少々不便に感じるものの程良い縛りだなと思っています。

blog等と違い周囲と密に繋がる仕組みなだけに予め引き算を提示されているのは楽なんですよね。


Twitterではシステム制限で要求される引き算ですが、皆さんは制限がない中で文章を書く際に引き算を意識されているのでしょうか?

問いかけた私自身は引き算をあまりしていない感じです。

理由としては書くことに精一杯という身も蓋もない(笑)ものがトップではあるのですが、現時点では「自分の文章を届けたい」の前に「自分の好きなものを書きたい」が優先されているからだと思います。

勿論記事内容によっては方向性を見直しますし、PV対策をしていないとはいえ読んで頂けた足跡ともいえるPVやスキが増える毎に喜びと感謝を覚えます。

でも引き算がない文章は余程文才がない限りは読み難いものなのですよね。 実際私の文章はクドいので良くわかります(;´Д`) ダメジャン

それならやはり最初から引き算を意識するべきかと言うとそれも悩ましく。足し算もそうですが、引き算って思ったよりも労力を使うのですよ。内容をわかりやすく噛み砕くという要素も含みますからね。

また状況次第で引き算のない文章は失礼なものになる可能性もあるので悩ましいところです。

例えば先方にこちらの意志を伝えたりする等の文章は引き算が必要になります。 趣味の話で熱量高く盛り上がる様なやり取りですと其処まで気にしなくてもよいでしょうけど、「話し合い」的な内容ですと相手が理解し易いように噛み砕く手間自体が礼儀とも言えるからです。

かと言って引き算し過ぎると体裁に拘り過ぎて本心を隠してしまう場合もある訳でこれもまた礼を失する可能性もあります。

改めて引き算はとても難しいと感じますね( ˘ω˘)


では足し算は簡単なのかというと・・・当然そうはならない訳です。

足し算は無から有へと積み重ねるものだから大変なのは伝わりやすいかなと思います。これは私個人の感想ではなくです。

古い付き合いのある友人から、文章を書けること自体が凄く、そして羨ましい的な事を何かの際に言われたことがありました。

私自身は自分の文章を他者より頭一つ飛び抜けているものとは謙遜抜きで全く思ってはおらず、精々書き物が好きという点が人より僅かに優位な箇所程度の認識でした。

以前も触れた話で現代国語等の試験ではさほど苦労した覚えが無い時点でそれなりに文章に対して適正があった目安にはなるとは思います。その適性が文才や文章力に直結するかについては悩ましいところで。

ですがその友人以外にもぽつぽつと同じ事を指摘されるとやはり文章を書く事がそこまで苦ではない時点でそれは一つのアドバンテージなのかなと理解する様になります。

そのことを踏まえると趣味で書く範囲では足し算(アウトプット)し続けて、余裕ができたり必要に迫られたら引き算をするで良いのかなとも思います。

先に悩んでアウトプット自体が出来なければ勿体無いですからね。

まぁこんな話をするとやっぱり足し算が得意っぽくみえますが、世の中1日10000文字を苦も無く生み出す方(not プロ)がゴロゴロしていますので比較すると私はそこ迄得意といえない立ち位置です。なので「ほどほどに苦手ではない」位でしょうか?

毎日更新を続けて約8ヶ月。日々暗中摸索状態ですが前回1年程藻掻いてみたら何か掴めるかもしれないと書いた様に、もうちょっとだけ頑張ってみようかなと思います。

・・・・・・いや、現実は明日にも更新が途絶えそうな程崖っぷちなんですが(;´Д`) ガソリン ツキソウ



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<どくのぬまちをあるくのにそんなそうびでだいじょうぶか>
私のマガジンの中で唯一笑えない話や真面目な話を纏めています。 まぁフィクションですし(゚∀゚) シカタナイ


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