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”将来“という悪魔的な概念

ついこの間「5年後の自分はどうなっていたいですか?」と聞かれることがあった。
正直、この手の質問に答えるのはとても難しい。

大人になると特に難しくなる。

子どものときは「将来は何になりたい?」と聞かれても「サッカー選手!」と元気いっぱいで答えられていたはずなのに。

子どもが自分の将来について自信満々に答えられる理由。

それは「自分のことをまだよくわかっていないから」じゃないだろうか。

人は何かの経験を通して自分を少しずつ理解していく。
バレーボールが得意かどうかは、バレーボールをしてみないとわからないのだ。

ということは、まだ何も経験していない子どもは自分がどんな人間なのかわからないのである。
だからこそ、可能性に満ち溢れている。
どんな人間にだってなれるのだ。

じゃあ、大人はどうだろう。

人は年齢と共にさまざまな経験を重ねていき、少しずつ大人になっていく。
「大人」とはいわば、「自分のことがよくわかっている人」のことなんじゃないかと思う。

そうなると、”自分にできることとできないこと“がわかってきてしまうのだ。

先に言っておくが、これは決して間違いではない。

例えば「サッカー選手になりたい」と思ったとしても、自分の性格やサッカーに対する熱量を考慮して「多分できないな」と決めつけてしまうようになる。
逆に「これはできる」とわかれば、目標に向けて明確に取り組むことができるのだ。

だからこれは、間違いではない。
でも、子どものように簡単に何かを口にすることができなくなる。
言ったらやらなきゃいけないような気がして、簡単には言えなくなってしまうのだ。

話を冒頭に戻すと「5年後の自分はどうなっていたいですか?」という質問に対しての答えが、いかに難しいかお分かりいただけたかと思う。

もし簡単に答えている人がいたのなら、その人は普段から信念を持って行動しているすばらしい人に違いない。

結局僕はこの質問に対して、仕事やプライベートのことをいろいろ話した。
でも多分、答えの通りになることなんかほとんどないと思う。

僕はまだ26歳だし、そんなにいろいろなことを経験しているわけではない。
だけど、1つだけ確実にわかることがある。

それは「未来は誰にもわからない」ということだ。

「5年後の自分はどうなっていたいですか?」と質問している人も、それを理解した上で聞いているのだ。

だからこの質問に正解はなくて、「今の自分が考える5年後」をなんとなく答えればそれでいいのである。

多分僕らは、子どものときに「”将来“は何になりたい?」なんて大層に何回も聞かれたから、”将来“に明確な何かがないといけないと思い込んでいるのだ。

本当はもっとわからなくていいはずなのに、”将来“という悪魔的な概念が大人の挑戦を邪魔しているような気がする。

どんな人間になりたいか。
どんなふうに生きたいか。
どんなふうに死にたいか。

「明確に答えられないから考えない」のではなく、ぼんやりでもいいから考えておくことが大切で、考えることからすべてが始まっていくんだと思う。

答えのない”将来“という問いに対して、考えることをやめてはいけない。

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