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沖縄に来てみてわかったことは

『岡本太郎の沖縄 完全版』を観た。感想やらなにやらをメモしておこうと思う。2022年5月末に沖縄に移ってから、もうすぐ半年の記録として。

私もそっち側だった

映画の冒頭、岡本太郎が綴ったものを、井浦新が読んでいく。その中に、次のようなくだりがある。

  • 沖縄は素朴

  • 沖縄の人は誰に会っても善良

  • 私たち(“本土”に住む人という意味に受け取れる)が失ってしまったものを持っている

  • それを失わないでほしい

沖縄に数か月暮らし、対話し、本を読むなどした私は即座に、それは単純に高度経済成長による戦後復興に沖縄は置いて行かれたからだし、置いていった側には太郎さんも含まれる。にもかかわらず「こうあってほしい」という沖縄をそんな風に語ってはただの消費。しかも「失うな」というのはある意味、その貧しいままでいろということにもなってしまう。映画を観進めると、久高島の人たちや一緒に撮影に入った写真家などのことばから、きっと“そっち側”ではなかったのだろうとは思った。
いったん、太郎さんの本心を探ることはここまでにして、私だ。私はまず上記のごとく心の中で突っ込んだ。その直後、私も数か月前まではあっち側だったと、自分を棚に上げるなと、今度は自分に突っ込んだ。

イザイホーについて

イザイホーは1990年を最後に途絶えている。岡本太郎が記録したのは1966年のイザイホーだったはず。この映画には、岡本太郎が撮影し、写真集の表紙になった久高ノロの子孫や、66年、78年、90年にイザイホーの「神女」がインタビューされている。途絶えさせることを決定する場も出てくる。

印象に残っているのは、記録のために多くの島外の人が取り囲んでいたにもかかわらず、そういう人たちが(いることを)わからなくなるくらいの精神状態、身の毛がよだつような感じという、神女のお話しや、途絶えさせることを決めたときの島の人たちの無念さが伝わってくる映像。
それから、1990年に途絶えたイザイホーは600年続いてきたと言われている。じゃあ600年前は誰がどんな風に始めたのだろうかという疑問が湧いた。いつか気が向いたときに調べてみようと思う。

外からの勝手な希望ではなく自分たちが残したいと思う形

“沖縄らしさ”は、今日もモノレールの中で語られていた。「沖縄はいいところ」「あこがれる」「また来たい」。嫌われるよりはもちろんいい。でも、と思ってしまう。

  • 沖縄で観光産業が突出しているのはなぜなのか

  • 基地だらけ、飛行機の爆音しょっちゅうなのはどうしてか

  • 台湾有事が現実になったらこの島がどうなるか想像してみて

そんなようなことを何か一つでも考える人が増えないかと思う。
環境、ジェンダー、社会課題に関心を持つ人、最近はアクションする人もたくさんいる。その中に沖縄も入れてくれないかと思う。
まったく同じ構造なので。
それに気づかず、つまり自分の加害性に気づかず、沖縄いいよねー、癒されるよねー、時間の流れ違うよねー、みんなやさしいよねーと言ってしまうのは、単に自分の「沖縄にはいつもこうあってほしい」という願望を押し付けることと同じ。

一方で、時代の流れとともに、何もしなければ失われていく、琉球、沖縄の人たちがこれまで大切にしてきた風習や文化を、継承することは大事な課題。その中には沖縄戦も含まれるし、意外と見落とされがちな戦後史、近現代史、そして自然!!も含まれる。
観光客目線や植民地的まなざしで強制される沖縄らしさではない沖縄を、継承していきたい。

まだ、私の足元がふわっとしていると思う。そっち側だった自分をどう扱っていいのか、そういう私が何を言えるのか、またどう見られるのか、そういうことをまだまだ気にしている。


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