半笑い氏の言い分について(その11)

昨日、twitterでの意図的な『罵り連発その後削除』という得意技で挑発されたので、早速、顔真っ赤にしない程度に冷静に(その10)を記載して、(その11)では半笑い氏の過去の言動について記載するつもりだったのですがが、その前に面白い記述を検証してみたいと思います。(その8)でも紹介した半笑い氏の自己主張の場である『半笑いの雑記帳』に自己弁護・言行不一致・都合の良い自己主張が内在した文章があるので検証してみます。

http://d.hatena.ne.jp/han_Warai/20131213/1386887375

2013年12/13に書かれた『前園さんの言う通り』というコラムですが、序章の部分は毎回特に意味の無い文章で、途中から自身の主張である本題に突入して熱い自己主張が始まります。今回は自分の著書に対する評価を一方的に不当と主張して強烈に正当化して、自分に不利益な批評に対しては『いじめ』とまでも飛躍して論説しています。非常に興味深い内容ですので、以下に列記してみます。

なぜこんなことを言い始めたかと言うと、過去の私の著書に関しても、Amazon等のレビューで同じ現象が起きているから。

低評価レビューをよく読めば、ほぼ本書の内容と関係ない中傷だったり事実の曲解ばかりなので、本の正当な評価としてはノイズなのは分かるのだが、平均の点数なり★の数だったりを見て絞り込む方には、そもそも読む候補から外されてしまうだろう。

代表的な批判は、例えば「筆者が攻略法の例として挙げているこのレースは、実際に馬券を買ってないからインチキだ」みたいなものなのだが、言うまでもなく理論の証明に合致する例があれば、自分が実際の馬券を買った・買ってないにかかわらず、分かりやすいものを抽出して掲載するのは普通のこと。むしろ自分が買ってない・儲けてないレースを分析して理論を補強するのはサービスの範疇だと思っている。更に言えば、自分が実際に儲けたレースが相当数蓄積されるまで待たずに、「使える」ことが証明された時点で公開するのも大サービスのつもりである。
もちろん合理的・客観的に判断される方にはこの内容は好評なのだが、理論ではなく個人的な損得に強烈に関心を持って主観的な見方しかできない人にとっては、恐らく私が儲けていても妬ましいし、儲けていないレースについて理論を語るのも許せないのだろう。どないせいっちゅーねん(笑)。

twitterやfacebookでも同種のケンカはたまに売られるので、その際はなるべく分かりやすく丹念に上記のような内容を説明するのだが、だいたい逆ギレしたり逃げたり、本筋と関係ない言葉尻を捕まえてキレたりと、とにかく議論の体をなさなくなってしまう。
で、その結果そういう人が議論に負けたことを認めたくない(或いは自分ではそれに気付いているからストレス解消に)、匿名掲示板やAmazonのレビューに極端に低い評価を書き込むのだ。実際レビューの内容にはtwitterの発言への批判ばかり書いてあるものすらあるので、とても分かりやすい。そもそも本書内容と無関係なSNSでの発言で評価するなんて、あまりに不当で荒唐無稽だが…しかし前述の通り、それが平均評価を一様に下げるのである。

『著書は、何年間もの蓄積を何カ月もかけて認(したた)めた、我が子のような存在である。』


それを中傷されるだけでも精神的な苦痛はとても大きいが、それが人の手に渡ることすら不当に妨害されるのは、表現者としては極めて甚大なストレス。冒頭の『食べログ』の例とは(恐らく)違い、やってる側は明確にそれを狙ってるのだから、その悪意は恐ろしいレベルだと思う。

まあただ、実はその辺はもう慣れたというか、そういう人たちの狙い通りにぷんすか怒るのがバカバカしいので、気持ちの上では瞬時にスルーできるようになった。「半笑い」と言いつつ、恐ろしいくらい無表情でスルー(=_=)。

でもねえ。他の人を巻き込むのは流石に心がざわざわするよ。
まさに今日発売された新著に関して、馬券本を何百冊と読んでいる方が貴重なレビューを寄せてくださってて、それがありがたいことに高い評価(★×5つ)なのだが…それに対して、レビュー自体を酷評(「参考にならなかった」ボタンを押しまくる)するという、とてもレベルが低い所業をしてる人がいる。

こんなもん、批評でもなんでもない。ただの低レベルないじめだ。
「いじめられる方にも理由がある」かもしれないから、千歩譲って私への中傷はとりあえず置いとこう。でも「いじめられっ子を庇ったら、その子もいじめる」っていうのは、人として底辺以下の行動でしょ。

ネット上では「子供のいじめ」に対しては、いじめた側を特定して個人情報を晒したりと、過剰なまでに厳しい風潮があるが、「大人のいじめ」に対してはあまりに無頓着、いやそれどころかいじめの尻馬に乗っかる方がスマートだと思っているかのような傾向がある。

代表的なのが、某女性タレントの「デスブログ」。競馬中継の番組で、本命が何十連敗もしたことから関係者が「うちの馬に本命を打たないで」とまで言う事態になった、というエピソードが端緒だったが、最終的にはそのタレントがブログで触れた人や物がすべからく不幸になるという伝説のように仕立て上げられていった。
最初の競馬の件は「そもそも不確かなものを当てることができない」のが連続した訳で、タレントが仕事としてやってるなかで不運が重なった面白エピソードとしては、いじっていい部分だろう。しかし途中からは、地震や恐慌や死に関わることまでもそのタレントのせいにするようないじり…いやもう明らかにいじめである。不当なこじつけによって彼女自身、仕事にも支障があるだろうし、そもそも彼女や家族の気持ちを考えたら、そういうことは口が裂けても言えないはずである。
特にそのいじめの"尻馬に乗った"覚えがない方でも、その伝説のまとめサイトのリンクを深く考えずにRTしたことがある人は、それなりにいるんじゃないだろうか。その「深く考えずに」の部分が本当に怖い。それこそ、そのRTの連鎖が理由で、例えば将来的にそのタレントや家族を深刻な不幸に追い込む可能性がなくはないのだ。

表現やコミュニケーションの能力が発展途上な子供の場合、周囲との軋轢が歪んだいじめを宿命的に生み出すこともあるだろう。しかし大人がそれをするのは、ひたすら自身の資質の問題である。もっと恥ずかしいと思って欲しい。

今だから敢えて言う。『イジメ、カッコ悪い。』

過去にも、「太く張れるダ短距離14コースの攻略法を掲載!5つの見るべきポイントさえ押さえれば、誰でも簡単に儲かります。」という宣伝で『私が、太く張れる理由 人生が変わる競馬2』を発刊して、amazonレビューで酷評に対して、わざわざ本人がコメント欄に登場して反論するという醜態を晒していましたが、単に悪質な『イジメ』の類ではなく、実際に本を熟読した上で正当な書評で書かれているものが多く、『著書は、何年間もの蓄積を何カ月もかけて認(したた)めた、我が子のような存在である。』の延長線から、

『我が子=愛しい=批判は許せない=徹底的に反撃』という将に、『モンスターペアレント的な発想』で自著への評価を悪意に受け取り反撃する姿勢に違和感を覚えました。書評の中で、将に正論といえる書評を紹介しておきます。

「正鵠を射られて悔しいのは分かりますが、論点をぼかさないでください。」という著者半笑い氏のコメントを見て、流石に我慢できずにレビューします。何故なら、正鵠を射られて必死に論点をぼかしいるのは、半笑い氏だからです。低評価でレビューされている皆さんの文章を拝見しましたが、将に「正鵠を射た感想」であり、共感する部分ばかりです。それでは、私なりの感想を記します。
先ず外観(宣伝帯)に記されている強気の宣伝文句に驚きです。「勝てる確信がある。」「だから大勝負できる!!」「午前中に勝ちを確定している!!」「5つの見るべきポイントさえ押さえれば、誰でも簡単に儲かります。」「私が、太く張れる理由」…壮大な宣伝文句の外観。そこに1点的中を匂わせる的中馬券を並べての宣伝。。。

期待感に胸を膨らませて精読しましたが、心に残ったのは釈然としないモヤモヤ感。我慢ならない疑念。タイトル・宣伝文句からの違和感だけでした。

第1章・第2章については、何故ダート短距離が予想しやすく儲けやすいのか。ダート短距離予想の各要素について書かれていますが、ハッキリ言って「基本中の基本」「競馬を嗜む人ならば誰もが常識と感じている」事ばかりで、特に目新しい理論等については一切ありませんでした。しかし、この点は個人差もありますので、あくまでも個人的な意見としての感想です。ページ数からも、1章.2章で16ページという点からも決して濃い内容とは程遠い物だと思います。しかし、これが初心者向けなのか否かについては、突き詰めても結論が出ない事なので、この点で半笑い氏に苦言を呈するつもりはありません。(第3章・第4章は、強烈に苦言を呈しますが…。)

第3章は、「華麗なる大勝負レース・実績報告」と称して実際の的中馬券を掲載してレースを振り返って解説している。当然「太く張れる理由」とタイトルを付けている本書の実践的な証拠をアピールする重要な場であり、本書のコンセプトの根幹であろう明確な根拠と自信に基づいた裏付けのある馬券と金額を誇示する説得力を発揮する「章」でもあり、当然そういう意味合いも含めて「華麗なる」という表現を使っている筈である。
4レースピックアップされているが、2レースは2009年の馬券。残りの2レースは今年の馬券であるが、共に新馬戦。その内2012.8.18のレースは、総購入金額が3000円である。当時のTwitterを見た人は御存じだろうが、調教・パドックで散々迷って、3着紛れを狙うか、人気処で絞るか御託を並べて、「ってか、その資金をこれ以降の経験馬のレースに回せよって話だけど…」と呟いて、結局「逆に絞ってPATの端数で3連単4点だけ買った。」と如何にも自信無しの遊び馬券であった事は記憶に新しいであろう。的中した直後には、「マジか!◎13→▲12→○7とか天才か!W」「「遊び馬券で十分な日当が出ました。美しい!←自画自賛(^〜^)♪」と、喜び勇んで画像アップを憶えているだろう。自信が無くて端数の3000円しか買っていない時に的中したのが幸運なのか不幸なのかは置いておいても、まさか「華麗なる大勝負・実績報告」に掲載して解説を載せる神経が理解出来ない。当然「太く張る」という前面に押し出されたタイトルには、「深い精査に基づく確固たる自信の裏付けが太く張る行為に繋がっているのである。」という意味合いも含まれていると思っているのであるが、そういう面からしても、この新馬戦の馬券をピックアップしたのは本書の品位を大きく汚していると思えて仕方がない。「混戦模様と予想し、小張りで好配当狙い」等と後付けで意味不明の解説を馳せている点も胡散臭いのである。何故なら、混戦か本命かで散々迷った挙句にむしろ本命を選択し、自信が無いので外れても傷が深くならないように端数の3000円投資にした…というのが真実だからである。
折角の、本書の説得力をアピールする章で、4レースピックアップするのに、3年も前の馬券や、新馬戦の馬券を選んだのであろうか?「太く張って、勝てる確信があって午前中に勝ちを確定している半笑い様ならば、もっと新鮮な華麗な馬券(精査に裏付けられた理論的根拠に基づいた大勝負的中馬券)が余る程に存在するであろうに…と疑心を抱くのは私だけであろうか?

馬券の件を書いたので、ついでに言わせてもらえば、本書の宣伝帯に貼ってある1点的中をイメージさせる的中馬券はいかがなものであろうか?
偽造や捏造では無いし、配信予想でも的中しているのでリアル的中の馬券であろうが、馬券が2009年・2009年・2010年と古い事は100歩譲っても、予想配信でそれぞれ、50%・25%・15%の買い目で配信しているレースを1点で買うだろうか?2009年の1枚は50%の買い目配信ながら、馬単で5倍というガチガチでもあり決め打って1点で買いました。。。は通用しても、残りの2枚は不自然過ぎる。他の買い目も存在していたと考えるのが自然であるし、こういう掲載の仕方をすれば、1点予想で取っている…凄い人だ半笑い様は…会員にならなければ…という誤認を誘発するので如何にも胡散臭いし、現会員の人も「決していい気持ちはしない。」と思うのだが…。如何なものだろうか?

太く張っていない事についてスルーして問題をすりかえた半笑い氏が本書の「根幹」と評した第4章「太く張れる14コース・完全攻略法」にも驚かされた。各競馬場毎にコースレイアウト・クラス別平均ラップ・コース解析・クラス別連対脚質・攻略法・推奨馬・実践例という流れで記されている。半笑い氏のHPやFBでも一部貼り付けられているので内容はイメージ出来ると思うが、これが精査してみれば酷い内容である。
コース解析・攻略法の文章は絶対量も内容も薄く、一般的な事が概念的に書かれているに過ぎないと個人的には感じる。その証拠に「東京ダート1400m」とパソコンで検索してみたら、同様の内容が無料で沢山出てくる。半笑い氏の内容以外にもコース別の血統の是非についてまでデータ解析している所も存在するし、それらと内容的に差別化するならば、「推奨馬」「実践例」の部分であろう。よって、この「実践例」の部分の内容如何では、「本書」の価値も見い出せるのであったが、実際に読ませていただいて精査してみたら全く価値を見い出せなかった。見い出せなかったというのみならず、酷い内容であった。
注目馬も如何にも根拠が薄いし、その馬にどれだけ半笑いが注目して予想配信していたのかを遡ると、あまりのいい加減さに呆れ返ってしまう。「実践例」ではコース毎にレースを抜粋して「絞った馬券で容易に取れたレースだった」とか「かなり美味しいレースだった。」とか、「比較的少ない点数で仕留められたレースである。」等とコメントをして長々と解説しているのだが、的中馬券の掲載は無し。それも当然である。何故ならば買ってもいないし、配信予想でも的中していないレースばかり選んでそんな言葉のマジックで後付け解説をしているのである。唯一的中したレースは「マカオJCT」の3連単35.2倍だけであった。「大本線で取れるレースだった。」と書いているが、リアル馬券は2500円しか買えていないという始末。自虐的に告白しているが全てが宣伝内容とチグハグな本である。

本人は、開き直って「配信的中したかどうかは関係なく、理論に合うレースを掲載した。」と言っている様子であるが、「半笑い理論の下ではいとも簡単に的中できました」的に書かれているというのも事実であり、読んだ人は誤解してしまう。新規会員募集の為に書かれているのでは…と穿った見方をされても仕方がない。

「実践例」というのならば、実際に理論に基づいて精査を重ねた事前予想で的中したレースを元に馬券自慢・回顧・そこに至った考え方を語ってこそ、説得力がある話になる訳で、全く後付けで「このレースは、この理論で取れていた筈…」なんて書かれても「後から振り返れば何とでも言える」という事になるのである。又、本書内に「実践例」は実際に的中したわけでは無くて架空の後付けです。と注釈がついていれば良心的であるがそれすら書かれていない。それでは、読者を欺こうと思ったのでは…と勘ぐられても仕方ない。

「奇跡のダイエット本」「私がこんなに痩せた理由」「痩せる確信がある」というダイエット本の著者が、実はブクブク太っていたら(痩せた実績が無ければ)本は売れない訳です。
ブクブク太っている人が、食事メニューはこうやって、運動カリキュラムはこうやって…と「実践例」を出して「簡単に痩せることができた」「楽にダイエット」なんて本書いて、痩せてないじゃないか…と突っ込まれたら、「実践例はあくまでも理論的に導き出した最善のメニューであり、実際に私がこれをやって痩せたとかどうかは関係ないです。」「私は、一生懸命何百時間もこの本を書くのに費やして我が子のような本なので、侮辱は法的に対処します。」なんて言ってたら…売れないでしょうね…。そんな本。

「架空」じゃだめでしょう。実践して的中したデータを元に書かないと説得力がゼロなのです。ダイエット本は、実際に試して痩せた実績をデータと共に「実践例」を書くから説得力がある訳で…。試していない事を太った人が書いてもダメだと思いますよ

内容について、十分分析された書評だと思います。掲載された的中馬券の不可思議についても理にかなっているし、実際に推奨や購入していないレースの後付理論を「美味しかった」などと書かれている件についても指摘されています。半笑い氏の反論に対しても的確に「本質」をついた意見で切り込んでいますし、半笑い氏が言っている事が、如何に被害者意識過大で、一方的なのかを示す良い例だと思います。これらは、全て今回の一連の経緯と本質の部分では繋がる事だと思って敢えて記載してみました。

雑記帳には、続いて『イジメ』についての記載もありましたが、

『表現やコミュニケーションの能力が発展途上な子供の場合、周囲との軋轢が歪んだいじめを宿命的に生み出すこともあるだろう。しかし大人がそれをするのは、ひたすら自身の資質の問題である。もっと恥ずかしいと思って欲しい。

今だから敢えて言う。『イジメ、カッコ悪い。』』

と締めくくっておきながら、自身はtwitterで、

『鈴木福くんブーム。女の子より幼稚になりがちなあの年頃の男の子としては奇跡的にイイ子だとは思うけど…「一番カワイイ」的なチヤホヤが過ぎるのはちょっと。例えば「自分が生まれ変わるなら/子供として持つなら/将来付き合うなら」鈴木福・加藤清史郎・濱田龍臣の三択で、本当にみんな福くん選ぶ?』

なんて、大人である半笑い氏が、公衆の面前で敢えて、世間の人気と、個人の容姿のバランスに対して批判的な呟きを投げかけています。こういう発言こそイジメに繋がるのではないですかね?こういう事を自らわざわざ呟く意味や意義を全く理解できませんし、常識を疑います。

次は、予定通りに、その12で言動について検証します。

#競馬 #半笑い