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【短編小説】まーちゃん(前編)

【あらすじ】
僕は守りたかった。大切で大好きなまーちゃんを。彼女を束縛する図々しい男から、守りたかっただけなんだ。

<この作品は1998年に書いたものです>


全部、まーちゃんがいけないんだ。

確かにまーちゃんは、僕のことを「好きだ」って言ってくれたんだ。
「ゆうくんは優しいね。私、そういう人、好きだわ」
って、あの時確かに言ってくれたんだ。

まーちゃんの彼氏が冷たい奴だって話も聞いていたし、実際まーちゃんはそんな関係に疲れているみたいだったし、それで僕にそう言ってくれたってことは、そりゃ、脈ありだって思って当然じゃないか。僕の考えは、間違っていない。

なのにまーちゃんは、僕が遊びに行くとなんだか冷たい顔をしたし、最近はなんかじゃ部屋の前まで行ってもドアも開けてくれなくなっていた。
けれども、あれは僕があまりにも積極的だから照れていたに違いない。
それに、彼氏の仕打ちも恐かったんだろうな。
そんな奴となんかさっさと別れちまえばいいのに、なんでだかまーちゃんはそうしなかった。
でも僕はやっぱりまーちゃんが心配だったから、じっと見守ることに決めたんだ。そのために、引っ越しまでした。

まーちゃんは、毎朝6時きっかりに起きる。起きてすぐ、マンションの南側にある窓のカーテンを開けるんだ。
そして5分くらいそのままぼーっと窓の外を眺めてから、顔を洗うために奥へと引っ込んでいく。
朝ご飯はいつもパンとコーヒーだ。
パンは、会社帰りに駅前のパン屋さんで2、3日分まとめて買ってきたものを食べている。
たいていは食パンたったかな、時にはクロワッサンなんかもあったと思う。
コーヒーはもちろんインスタントだ。
それも瓶に入っているやつじゃなくて、コーヒーカップの上にのせて上からお湯を注ぐタイプのだった。
月、水、金はゴミの日だったから、出勤前にはスーパーの袋などに入ったゴミを、マンションの入り口の脇にあるゴミ置き場に捨ててから出かける。
独り暮らしだから、それくらいのゴミしか出ないんだろうな。

出勤はいつも朝7時。
駅まで歩いて7、8分の距離だから、7時15分発の電車に乗るにはそれでちょうど良いんだ。
僕は、まーちゃんが駅までの道で何か大変な目にあったりしないようにって、毎日駅までついて行った。
イザ、という時すぐに飛び出していけるようなつもりでね。
幸いにもこれまでそんな事件にあったことはないけどね。
僕も、まーちゃんが気を使うといけないと思って、なるべく目立たないように後ろから付いていくようにしていた。
いつだったか一度だけ、ふと振り返られて、気付かれてしまったこともあったけど、その時まーちゃんは本当に驚いたような顔をして僕を見てたっけ。

それから一週間くらいは毎日の出勤時間がいつもと違っていた。
毎朝、微妙に違うんだ。それでも僕がちゃんとついていけるか、試したんだろうな。
ま、僕は、まーちゃんのマンションの、部屋の見える位置に住んでいたから、そんなことはなんでもなかったけどね。
心配症なまーちゃん、そんなことして試さなくたって、僕の気持ちは変わったりしやしないのに。

週末には彼氏が車でやってきた。
もっとも週末でなくたって、夜遅く、まーちゃんの寝ている時間に突然やってくることもあったな。
なんて奴だ、まーちゃんの迷惑も考えずに来やがって。
しかも、車はマンションの駐車場に停めていた。まーちゃんが車を持っていなかったから、その分のスペースが空いていたんだな。
僕は、何度奴のカッコつけた外車に傷をつけてやろうと思ったことか。
だけどそれはしなかった。それは、犯罪だからな。

彼氏が来ると、僕は心配で心配で仕方がなかった。
今、この瞬間にも、まーちゃんがあの横暴な彼氏に意地悪されているんじゃないかと思うと、居ても立ってもいられない。
何度か僕は、じっとしていられなくて、まーちゃんの部屋の前まで行ったことがある。

そう、昨夜も行った。
さすがにチャイムを押すわけにもいかないから、ドアの前で様子を伺っていたら、中からまーちゃんの叫ぶような、でもそれを押し殺しているような、そんな声が聞こえてきた。

もう、我慢の限界だった。
チャイムを押す勇気の出なかった僕は、すぐさま自分の部屋に飛んで帰るとまーちゃんの部屋の電話番号を押した。
まーちゃんはなぜだかよく電話番号を変えていたけど、僕はイザという時まーちゃんに連絡を取れなくなると困ると思って、常に新しい番号を調べるようにしていたんだ。
そしていよいよ、そのイザって時が来たんだと思った。

プルルル、と呼び出し音が鳴る。
なかなか出ない。もしかしたら、彼氏が邪魔をしているのかもしれない。
僕の焦りは募るばかりだ。

14回、15回…呼び出し音が単調に響いてくる。16回、17回……
「もしもし」
やっとまーちゃんが出た。
なんだか上ずった声で、息も荒い。けんかをしていたのがバレないように押さえているからだろう。

「もしもし、僕、ゆういちだけど」
「……」
途端にまーちゃんは無言になった。
電話の向こうで人の動く気配がする。
「わかってる、まーちゃん、彼氏がそばにいるんだろう?……さっき、けんかか何かして泣かされていたろ。僕、許せないよ、まーちゃんを泣かすなんて。もう我慢できない。ちょっと、彼氏に代わんなよ。僕がビシッと言ってやる」
「なにがビシッとだ、ふざけんな」
受話器から聞こえてきたのは男の声だった。まーちゃんの彼氏の声だ。

「おい、テメーだろ、まゆこをつけ回しているヤローは。テメー、何なんだよ。電話番号を変えても突き止めたり、ゴミのチェックをしたりしやがって。いいかげんにしねえと、警察呼ぶぞ」
ガチャリ、と電話が切られた。

……警察を呼ぶだって?やれるもんならやってみろ、僕はなんにも悪いことなんかしてないぞ。
まーちゃんのことが心配で、見守ってやってるだけじゃないか。
警察は呼ばれて困るのはそっちの方だろう。
犯罪まがいの行為をしているのはお前の方じゃないか?

僕は、あまりにも腹が立ってどうしていいかわからなくなってしまった。
まーちゃんはあの男に支配されている。
きっと僕のことをきちんと説明したくたって、あの男は聞く耳をもたないんだろう。
そして、僕がまーちゃんをかばって自分のもとから彼女を引き離そうとしていると思っているに違いない。
確かに僕は、まーちゃんがあの男に支配されているのを良くは思っていない。
でもあの男もそれを感じているってことは、奴も悪いことをしている自覚があるって証拠じゃないか。
こうなったら何としても、まーちゃんを彼氏のもとから救い出さなくてはならない。

考えに考えた結果、僕はある決心をした。彼に、直談判してやるんだ。

マンションの駐車場にはまだ彼氏の車が停まっていた。
時計を見ると0時20分を指している。
彼氏は、泊まらずに帰る時には、だいたいいつも0時半にはマンションを出る。ちょうどいいや、と僕は思った。
今から駐車場に行って待っていれば、帰るならそこで会える。
会って、何としてもしっかり言ってやらなくては。早速僕は家を出て、駐車場まで行った。
そしてしゃがんで奴の憎たらしいまでに磨きあげられた外車を眺めていると、マンションのドアの開く音がした。
見上げると、まーちゃんの部屋のドアが開いて、二人が出てくるところだった。

僕はゆっくりと立ち上って、マンションの入り口を睨みつけた。試合直前の、ボクサーの気分だ。
やがて二人がエレベーターで降りてくる、そうしたら僕は奴をひっ捕まえて…。

けれども僕は、エレベーターが2階まで降りてきたところで、入り口と反対側の壁に身を隠してしまった。
何故だかわからないけど、とっさにそうしてしまったんだ。勇気がなかった、意気地がなかった……わけじゃないとは思うけど……。

その間にもエレベーターが1階について、二人が中から出てきた。マンションの入り口を出て車の方へ向かう。僕は完全にタイミングを逃してしまった。

仕方がないから、それでもとにかく見守るだけでもと思って少し彼らに近づいた。
ちょうど彼氏が車に乗り込んだところだった。
エンジンがかかり、運転席の窓が開く。
「じゃあな、あいつには気をつけろよ。お前も早くこのマンション、引っ越せ」
「うん」
「じゃ、明日、1時に菊間駅で待ち合わせな」
「分かった、バスターミナルのところにいればいいんだよね」
「ああ。…お休み」
「お休みなさい」
車はすいっと暗闇の中に走り出していった。

まーちゃんが明日も彼氏と会うつもりなんだな。
振り回されるばかりのかわいそうなまーちゃん。
今夜は失敗したけど、明日の待ち合わせは何としても阻止してやらなくちゃ。
僕が決意を新たにしている間に、まーちゃんは僕に気付かずにそそくさと部屋へ帰ってしまった。
声をかけて励ましてやろうと思ったのに、まあ、仕方がないか。

後編は→ https://note.com/preview/n25b691209895?prev_access_key=b908473471bf5bd52b000a3700208c44


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