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29歳、友人と疎遠になるその前に。

29歳。
世の中一般的にみて、今まで一緒に過ごしてきた友人たちと疎遠になりやすい時期らしい。
特に、女性はそれが顕著らしい。
同棲、結婚、妊娠、出産、それに伴って、仕事の変化、転職などなど。
この時期、女性のライフステージの変化は著しい。

たしかにそんなようなことは聞いたことはあったけれど
26歳、27歳のとき、私の周りには、私と同じ独身の友人も多くて、あまり現実味を感じていなかった。
けれど、ここ最近、28歳、29歳になって、まるでみんなで口裏を合わせたかのように、一気に入籍ラッシュがきた。
それが来たかと思ったら、次々に、妊娠、出産を経験し、新しい家庭の中で日々奮闘している友人が増えた。

結婚、妊娠、出産。

その報告を直接聞くたびに本当に喜ばしい気持ちになるし
心からおめでたいと思うのだけれど
どうしてもそれと一緒にいつも思ってしまうのは

「あー、もうその友人と2人で水入らずでこうして一緒に1日中遊んだり、気軽に遅くまで呑んだりする機会ってもしかしたら最後なのかもな。」

そんなことが頭に浮かんで切なくなってしまう。
もちろん、友情自体はきっとなくならないと頭ではわかっている。
わかっているけど、明らかに連絡をとる頻度も減れば、会うタイミングもほぼほぼなくなってしまうことをすでに何度か経験してしまっている私は、なんだか、本当に切なくなって、寂しいという感情があふれてとまらなくなってしまうことが、多々ある。時には人知れず涙し、眠れない夜も度々くる。

「ああ、こうやって友人と疎遠になっていくのか。」と。

思えば、友人に支えられて生きてきた人生だった。

幼いころから、自分が何を考えているかを、家族にまったく打ち明けることができなかった(今もあまりできない。)私。
そんな私にとって、何も気兼ねなく、自分の考えや相談をできる友人がいることはとてつもなく大きな支えだった。
失恋したときも、就活で病んだときも、仕事がつらすぎて辞めたいときも、
つらいとき、しんどいときにひとりぼっちになった感覚が本当に一度もなかった。
いつだって、私がピンチのときには、誰かが駆けつけて私のそばで慰めてくれたり、深夜の緊急電話にだって、ずっと付き合ってくれたりした。

彼氏がいない時期が長い私にとって、苦痛だったいくつものクリスマスや、年越しや誕生日は、ほとんどが友人との想い出で溢れている。

そしてnoteを書き始めた今、何を書こうか考えているときに、いつも最初に思い浮かぶのは、大切な友人たちとの笑い話や、想い出話だ。

私はきっと、友という存在抜きでは、今生きていないと思う。
友がいたからこそ、私は今ここに存在することができている。
そう心から思う。

だからこそ、人一倍、友人たちの新しいライフステージの変化に、寂しさを感じてしまうのかもしれない。

「今日の夜電話しない?」
「今度の休み、○○一緒に行かない?」
「今度一緒に泊まりで旅行いこうよ!」

今までは、あたりまえのようにとっていた連絡も少しずつ、少しずつ少なくなっていく。
ずっと、こんな楽しい日々が永遠に続いていくと思っていたのに。
私はまた、ひとりぼっち、そう、ひとりぼっち。

とんでもない負のループに陥って最近ずっとなよなよ、くよくよしていたので、ちょっといい加減そこからは抜け出さなくてはと思い、私は今日noteを書いている。

客観的に考えて、この友人依存体質の生活をどうにかしない限り、私はずっと落ち込んでいるだけなので、そこから脱出するために、私自身の今後の友人との関わり方について思考を整理してみた。出た結論は下記の3つだ。

①友の存在に感謝し、友の幸せを祈ること。

確かにライフステージが変われば、友人と気軽に会うこと、電話をしたりすることは難しくなってくる。それを人は疎遠になると表現するのだろう。
けれど、そもそも気軽に会えること、気軽に電話できることだけが、友の定義ではないと思った。
シンプルに思う。今私がどうしようもなく危機に立たされてしまったとして、友人に連絡を取れば、きっと彼女たちは、私を助けてくれる謎の自信が私にはある。とんだ勘違いかもしれないけれど、それでもそうやって思えるほどの関係性と心の支えを提供してくれている友人たちにまずは心から感謝合掌!と手を合わせる。
そして、連絡をとる頻度は少なくなったとしても、祈ることはできると最近気づいた。
この間、とある神社に行ったとき、気づいたら私は、もうすぐ出産を控えている友人の身体の健康を願って手を合わせていた。
私は、何かしらの宗教に属しているわけではないので、祈ることってそこまで身近ではなかったのだけれど、友の幸せを思い浮かべながら祈ることは、すごく友の存在を身近に感じることができてとてもよきだなと気づいてしまった。
疎遠になったと決めつけるのではなく、遠くからでもいいから、友の幸せを祈ること、これを新しい友の定義に加えることにした。

②友との想い出を振り返り、忘れないよう書き残すこと。

最近、年齢のせいなのか、物忘れが激しいなとか思っていたら、久しぶりに会った友人と話していたときに、友人から言われた想い出話をすっかり忘れてしまっていて、どんどんと過去の記憶から、薄くなっている自分に恐怖を覚えた。あんなによい想い出だったのに、忘れてしまうなんて。。。
「過去を振り返るな」ということをよく言われるけれど、自分の過去の想い出たちが、つらいとき、しんどいときの支えになっていることが私にはよくある。
けれど、そんな大切な想い出たちが忘却されてしまうという、老いの怖さを目の当たりにしたので、ぼちぼちnoteに書き残していくことに決めた。すでにいくつか友人の記事も書いたのだけれど、ちょっと落ち込んでいるときに、読み返すことができて、そうすると不思議と元気も沸いてくるので、よきだなと思った。

③友といつでも会えるように自分自身を整えておくこと。

これからきっと、もっと友人と気軽に会えることができなくなってくると思う。それは揺らぎようのない事実だ。けれど、もしそれでも、会える機会がくるとするなら、そのチャンスを逃さないようにしていたい。そんなことを思っている。
あたりまえのように気軽に会えていたときは「今日、だるいから。」「最近金欠だから。」といったことを理由に会うのを拒んだときもあった。
でも、もうこれからはなかなか会える機会そのものが少なくなってくる。
だからこそ、いざというときに、自分の経済状況や、精神状況を理由に断るのは本当にもったいないので、そんなことがないように、自分自身をしっかりと自立させていたいと思っている。

こうやって、自分の思考を整理してみると、だいぶ、自分の沈んでいた気持ちが楽になった。
そして思う。その友人と疎遠になるかどうかなんて、私次第の考え方でどうにでもなるのかもしれないと。
「寂しい」なんてくよくよしている暇じゃないと。

最後に、私の野望を書いておきたい。
30~40代、きっとこれからも私も私の友人たちもさまざまなライフステージの変化を経験していくのだと思う。
その中で、私たちは、住む場所や環境も変化すると思うし、考え方や価値観だって変化するだろう。もしかすると、もうまったく連絡をとらなくて、疎遠になってしまう友人だって出てくるかもしれない。
けどね、いつかそんな激動の時代をかけぬけて、おばあちゃんになったとき、みんなで集まってお茶会ができたらなって思っている。
別に何かみんなで集まってこれをやるみたいな目的は必要ない。
ただなんとなく、集って
なんでもないような話で盛り上がって
何気ない日常を共に過ごせたらいいなと私は野望を抱いている。
最近、私のイメージしている野望とものすごく近い動画を見つけたので貼っておく。


29歳、友人と疎遠になる前に、私にはやらないといけないことがたくさんある。















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