見出し画像

【劇評316】私たちは、暗黒の社会に生きている。ケムリ研究室『眠くなっちゃった』は挑発する。

 ディストピアという言葉がある。

 絶望的な近未来、いずれは到来するべき最悪の社会を指す言葉だけれども、実は、ディストピアを描く物語に接する度に、私たちは、かすかな希望を持って、そのような恐怖の時代を避けられるのではないかと、実は、願ってきたように思う。つまりは、ディストピアとは、私たちのかすかな希望そのものだったともいえるだろう。

 ケラリーノ・サンドロヴィッチと緒川たまきのユニット「ケムリ研究室」は、KERAのディストピア物に位置づけられるのだろう。けれど、この『眠くなっちゃった』には、先に言った希望が見事に取り去られてしまっている。ここで描かれているのはまぎれもなく私たちの現在そのものなのである。

 パンフレットには、あらすじが載っている。
「何十年か、百何十年か先のとこかの国のお話——。
 地球の人口は以前の3割ほどに減少。繰り返された極度の寒暖にっよって、植物はほどんどが死滅。生き残った動物たちは人間の職業とされ、今や目にすることがない」

 気候温暖化、ペットではなく、喪われた近親の記憶をうつしたアンドロイド、監視カメラ、中央管理局による強権的な一元支配、失業と貧困にあえぐ人々。
 こうして物語の細部を拾っていくと、『眠くなっちゃった』は、現実批判のために作り上げられた架空の物語ではなく、私たちを取り巻く現実そのものであるとわかる。

 出口の見えない世界のなかで、唯一の希望に思われるのは、優雅な所作がひらめくファム・ファタールのノーラを演じる緒川たまきである。彼女は、人間とはみわけがつかない「夫」ヨルコ(音尾琢真)と暮らしている。

 シグネ(水野美紀)やロミー(依田朋子)らとともに、ノーラは、娼婦として生計を立てているが、大家のダグ(福田転球)や妻のウルスラ(犬山イヌコ)、母親のチモニー(木野花)や娘のナスカ(奈緒)にいたわられつつく暮らしている。
 このノーラと大家、特にウルスラとの親密な様子がこの劇の救いとなっているが、このかりそめの関係さえも、やがて崩壊を食い止めることが出来ない。

ここから先は

1,053字

¥ 300

年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。