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コミュニケーション大臣とプロフェッショナルについて


ちょうどこの前の土曜日、徐福さん葉子さん夫婦のお家に伺って餃子を食べたり、様々話していたりしたのですが、その中で話したことがかなり良い内容だったなあと感じたので私なりにまとめてみようと思います。

(↑これね)

ちなみに、徐福さん葉子さんは私の知っている夫婦の中でも特に大好きなお二人で、底抜けにポジティブな空気感が部屋を満たしていた感じがとてもハピネスでした、笑。結婚式も素晴らしかった…。


先日は、とりとめもなく3-4時間くらい話していたのでどういう経緯でこの話になったのかは忘れましたが「コミュニケーション大臣とプロフェッショナルについて」の話がとても印象に残っています。

ちなみにコミュニケーション大臣というのはたしか大久保くんが言っていた言葉なのですが、コミュニケーション得意なことは一つのスキルとして評価して、そのような人を社内に1人置くだけで空気感が変わるといったというニュアンスです。


ミスコミュニケーションの原因を探る

人間が2人以上いる場合、その間にはコミュニケーションが発生します。

それは友人でも恋人でもそうですし、学校や会社においてもそうです。ただ、会社や学校などは恋人ほど相手を選べませんし、それゆえ阿吽の呼吸みたいなものを社内の全員に求めるなんていう無茶なことをする人はさすがにいないと思います。その一方で「なぜ伝わらないんだ」と社員の1人が思った時、その社員の視点に立つと「理解できない相手が悪い」と考えている可能性はそれなりに高く、その場合に置いてけぼりにされているのが「自分のコミュニケーション能力の欠如」だと思います。

これは自分自身も心当たりがあるので胸が痛いですが、往々にして人間は成人すぎたくらいになってくると自分のコミュニケーションの取り方についてとりわけ考えたり、試行錯誤することは殆どなくなってくるかと感じますというのも、テレビに出たりとか、人事で人と接する機会が多いようにそれ自体が仕事である場合を除くと、なんとなくコミュニケーションが円滑に進んでいる(風に)感じられてしまうからです。

ですが、そんな感じのなんとなく成立し続けているコミュニケーションを続けるうちに問題が起きた際は、いかにもコミュニケーションがミスっているとは感じられないのでそれゆえ「相手の考え方が悪い」とか「相手の理解が足りない」といったように、2人のコミュニケーション以外の部分に原因を見出しがちなように感じます。

「人間は思っている以上にポンコツ」説

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・スクショを撮った時に情報が納まるように
・「事実と感情を分けて話す」
・では事実だけでコミュニケーションは成立するのか
・「議論・会話・対話」
・仕事的に信頼できると、生理的に信頼しているの違い
・プロフェッショナルがコミュニケーションのプロであるとは限らない
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