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「丸くなる」とは一体何か?

よく歳をとると丸くなると言われる。

この言葉は短気ですぐ怒る人が
年齢を重ねるごとに穏やかになるような
文脈で使われることが多い。

私がこの言葉を聞いた時に真っ先に思い出すのは
前職で工場長をしていたKさんである。

Kさんはちょうど私が入社した頃に
海外工場に赴任しておられ、
工場で研修をしていると、皆がうわさ話のように
Kさんの怖いエピソードを話してくれるので
どんな恐ろしい人なのかとビクビクしていた。

その年の夏にはKさんは帰任され
再び国内の工場長に戻られると言う。

Kさんの代理で工場長をされていた人は
少しクセはあるものの
話やすい雰囲気を持った人で
その人からKさんへの変化は私達若手社員にとっては
大きな問題であった。

そうして迎えたKさんの帰任。

工場の多くの人が参加する歓迎会が
開催されたので、
私達新入社員も参加することになった。

そこに表れたKさんは50代後半とは思えない
若々しい雰囲気で、
任侠映画に出ていた菅原文太のような
髪型と雰囲気をまとっていた。

それだけでも何だか怖いのに、
Kさんは私達を見るなり先制パンチのように
私たちの髪型がチャラチャラして汚らしいと
言い出した。

4月に入社した頃はいかにも新卒らしい
髪型をしていた皆も、
工場や研究室で仕事をするうちに
少し髪型についてはガードが緩くなっていたが
Kさんはそれが清潔感に欠けると言い出したのだ。

「とんでもない人が帰ってきてしまったな」

これがKさんへの私の印象であった。

そんな第一印象から仕事が始まっても
Kさんの驚きエピソードは多々あった。

突如始まるKさんの説教に内心ビクビクしながら
仕事をしていたのだが、
そんな日々が2年ほど続いたとき
私に海外へ赴任の話が来た。

会社としてもこんなに若く海外赴任を
任命するのは珍しかったようであるが、
私自身もこの打診には大変に驚いた。

私はその打診を受けることにした。

純粋に海外で自分の力を伸ばしてみたいと
思ったのが大きかったからである。

そうして海外赴任が始まり、
定期休暇で帰国した際には日本の工場に
顔を出してKさんにも挨拶をした。

すると、不思議なことに
会うたびにKさんが丸くなっていくのを
感じたのである。

そして、それと共にKさんの見た目も
穏やかそうに変化している気がした。

最初こそ菅原文太のような印象だったのに
私が帰任する頃には鳥越俊太郎のような
印象にまで変化していたのだ。

この変化について日本の工場で
Kさんの直属の部下である部長に話をしてみると
私と同じ印象を持っているらしく、
「Kさんも丸くなったんやな」と言った。

ある意味私の人生で初めて
人が丸くなるというのを目の当たりにした
瞬間だと私は思った。

それと同時に、人が丸くなるとは
一体何なのだろうかと疑問に思った。

以前のKさんのやり方はいい意味でとても
昭和なやり方であった。

今の時代のモノサシでみてみると
パワハラのオンパレードであったが、
それが合わなくなってきていることに
Kさん自身も気が付いてきており、
それに苦悩されたのではないかと
私は思っていた。

Kさんはかつて自分が正義と信じてきたものに
ブレーキを少しずつかけて、
その結果、角が取れて丸くなった。

かつてKさんのやり方にビクビクしていたのに
私はなぜかそれが寂しいと感じていた。

そうしてそれから15年ほどの時間が流れた。

それからも私は何人も丸くなってきた人を
目の当たりにしてきた。

だが、私の中で人が丸くなる理由について
イマイチしっくりこないまま
ずっと過ごしてきていた。

そんなある日、ようこさんが書かれた下記の記事を
拝読した。

クリアファイルを選ぶ基準が昔と今で
明らかに変わったというお話である。
(詳しくは上記の記事を読んでみてほしい)

クリアファイルはその透明さが本来の機能であり、
その機能を持たない柄がプリントされたものは
もう選べなくなったとようこさんはこの記事の中で
仰っている。

だが、かつてはご自身もプリントされたクリアファイルを
可愛いからという理由で使っていらしたそうである。

このお話を読んだ時に、
「人が丸くなる」ということの答えと
共通する部分があるような気がした。

先ほども書いたようにクリアファイルの機能とは
中身を出すことなく内容物がわかる状態で
書類をまとめられることである。

だが、かつての私はその機能性について
あまり意識をせずにクリアファイルを使っていた。

それこそプラスチックでできた封筒のような
感覚に近かったかもしれない。

当時の私には機能性を深く考えることもなければ
合理的な発想も希薄だった気がする。

だが、今の時代はコスパやタイパなどが叫ばれ、
効率が重視されるようになった。

それに伴い、私達は色んなことを学び、
そして価値観がアップデートされた。

かつて色んな服を欲しがったのが
シンプルな服を数着持つだけに変化し、
スーツ姿にリュックサックを背負うことにも
全く抵抗を持たなくなった。

そのプロセスの中でクリアファイルに対して
意匠性よりも、機能性を求めるようになった。

間違いなく時代自体が丸くなる方向に
流れていく中で、
私達は学ぶことでむしろ丸みを手に入れてきたのである。

これは一見すると個性を消すことになるので
悪いことの様に思えるかもしれない。

私もかつては丸くなることに対して
ネガティブなイメージを持っていたが、
それは丸くなることの捉え方が違っていたのだ。

丸くなるプロセスとは元々持っていた角が
削り取られていくプロセスではなく、
尖っていなかった他の部分が肉付けされて
丸くなっていたのである。

丸くなるイメージ

そう考えると、丸くなることは
とても素晴らしいことの様に思えてこないだろうか。

まさに自分たちが学んできたことの証が
丸くなるという形で出てきたからである。

この丸くなった価値観を持ったうえで、
どこに興味を示すかは人によって異なるし、
丸くこそなれど、その中に芯として尖った部分は
しっかりと残っているので、
これが必ずしも個性を消すことにつながるわけではない。

むしろ個性を大事にしながら、共存していくための
一つの最適解だと私は考えている。

長年私の中にあった「丸くなる」ことに対する
モヤモヤが晴れたような気がしてとても嬉しい。

この学びもきっと私を丸くしてくれたのだろう。

これからも私は丸くなっていくだろうが、
お腹は丸くならないように意識していこうと思う。



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