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家族の風景

タイトルはハナレグミのそれ。
キッチンにハイライトも、ウィスキーグラスもあったことはないのだけれど、彼の言う家族の風景ってやつが、わたしの家族の風景として頭の中で置き換えられる。すごく好きな曲。

私の生まれた方の家族の風景ってなんだろうな。旅行先の車の中の寝息だったり、出しっぱなしの石油ストーブだったり、とにかく物が多い部屋だったり…最近はあんまり母親に対して良い感情がないので、ポジティブなものが浮かんでこない。春先に行く房総半島の花摘みとか、そういうのは出てくるんだけどな。

自分が家族を持つようになって、夫は家族というものを知らない(幼少期に一家離散してて夫の親や兄弟はどこにいるのかもわからない)ので、わたしたち家族といえば…みたいなものを積み重ねようとしてきた。たとえば、誕生日にはキルフェボンのケーキでお祝いするとか、夫は梨が好きなくせに剝かないからその季節にはうつりゆく梨のあらゆる種類を食卓に出すとか(幸水と豊水が至高)、野菜を摂らせるべくスープは必ず出すとか、こどもの好きなジュースとかは切らさないでおくとか、年イチくらいで葛西臨海公園に行って家族写真を撮るとか、夏にはベランダにプールを出すとかほんとうにそういう、ちいさいこと。たぶん、そういうことが我々の家族の風景となっていくのだろう。

家族、ということでいうと、世の中では育ててもらった恩を親には感謝しなければならないし恩返しをするべきだ、みたいな風潮がある。それはたぶん間違ったことではないのだけれど、わたしはあれにまつわる同調圧力も含めて、あまり賛同できない。自分がこどもをもとう、となったとき、自分が子育てをしてみたいからこどもをもつことになっただけなので、感謝してもらいたいとかそういう気持ちになったことがない。ただ元気に、人に恵まれて生きていってくれたらいいなと思う。

うちにはふたりのムスメがいるが、ふたりめをもとう、と思ったのは、我々親と仲良くなれなくてもきょうだいがいれば、もしかしたら精神的な財産になりうるかも知れないと思ったから。夫はどうなのかわからないけれど。わたしは妹がいてよかったな、と思うことがたくさんあったので、そういう関係になってくれたら嬉しい。でも、ならなくてもいい、どちらのムスメにも幸せに生きていって欲しい。

最近上の娘がちょっぴりワガママが加速していて、つい口うるさく怒ってしまうが、もうすこし冷静に対応しないとだめだよなぁ、と毎日反省している。どことなくそういう感情的な対応が、自分の母親を彷彿とさせられるので尚のこと。

彼女たちが感じる家族の風景に、強烈な負の風景を落とし込まないように。魔法みたいな、ドラマみたいな、そんなにすごいものはなくていいから。穏やかな日常を積み重ねていきたいなと思う。


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