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愛と苦しみの音楽


大好きなエッセイストの本を読んでいて、ある章でパタリと閉じてしまった。ちょうど、「文化の素晴らしさ」を語る章の最初のほうだった。
そこには、「黒人がつくったロックやヒップホップや諸々の文化こそ、みっともなく低俗だ。」と書かれていた。

たしかに、ヒップホップもジャズもR&Bも、アフリカ系アメリカ人がつくった。そのルーツは奴隷制時代に遡り、彼らのもっていた16ビートを主とするリズムや、音感、恵まれた声や体格、そして過酷な生活を強いられる中で救いとなったキリスト教の教義が融合し、ゴスペルになった。やがてそれが俗文化の色を濃くしていくことで、ジャズやブルースも誕生した。(私は「この説」を信じている。)

彼らの音楽は、彼ら自身の救いであっただけでなく、時にはアメリカ南部から北部へ逃げる時の暗号としても使われたものである。恵まれた骨格や体格のおかげで低音は太く響き、高音には独特の厚みと叫びに近い擦れがある。その歌声は時には地を這うように深く、暗く、また時には拷問を受けているような鮮烈な痛みと悲しみをともなう。

私は悲しいとき、彼らの音楽に抱かれて眠る。聴いていると、血や泥や、彼らの「エスケープ」の足場になった川の匂いを感じるような気がする。彼らの苦しみは、到底私などに理解できるものではないけれど、こちらが傍にいようとする限り、決して見捨てられたりはしない。いつもあたたかく大きなその胸で、休ませてくれる。黒人音楽は、そういう音楽だと、私は思っている。

ここまで書いてきたが、私は、例のエッセイストを嫌いになったのではない。文化の話も、その人の好みでよいのだと思う。

けれどその人は戦前の生まれ、日本人が最も苦しんだ時代を経験なさっている。また特殊な生い立ちから、あらゆる差別を受けてきたのだと言う。

だからこそ、その人にしかわからない、差別や迫害の苦しみがあるのではないか。貴方ほど影響力のある方なら、そういう経験をもって文化をみとめ、語れば、多くの人を啓蒙できるのではないか、と思ったのである。

偉そうなことを言っている私にだって、根の深い差別意識はある。ないつもりでも、本当はある。認めなければならない。ないと思ってはいけないし、なくす努力は続けなければならない。

どのみち傲慢になりそうなときは、彼らの音楽に、私は頬をなぐられるのだ。ヒップホップやブルースに。「お前はどうせ俺たちの仲間じゃないんだろ?」と言われることもまた、あるのだ。

彼らの大きな胸を借りたければ、私も自分の心を、魂を、磨きつづけなければならないだろう。

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