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「時間」は存在するか

ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』で、主人公が大切な人を亡くし悲しむ場面がある。たくさんの人に観てほしいドラマなので詳しくは書きたくないのだが、そんな主人公に、ある数学好きな男性がこんなことを言う。

「過去とか未来とかって、誰かがつくったものなんですよ。本当はそんなものはなくて。それぞれ部屋みたいなものがあって、その中では今も、(亡くなった)その人は笑ってる。今も、その人はいるんです。」

パラレルワールド、、、?なんともファンタジーな、、、と思ったのだが、よく考えてみるとこれ、実に理にかなっていそうなのだ。

「タイムマシーンは実現可能か」という論争は昔からあったと思うが、理論的にはもう実現可能になっている、と何かで読んだことがある。それももう数年前の話だから、すでに今どこかの国では、着々と準備が進んでいるのかもしれない。『バック・トゥー・ザ・フューチャー』で観たように、何らかの方法で「カコの部屋」に行けるなら、その中ではいまも、あの人は笑っている。生活してる。

こんなことを考えていると、過去っていつ?今ってどこらへん?と混乱してくる。混乱して、ごちゃまぜになって、終わり。結局「時間」なんてものは、ありませんでした。こうなったら、楽かな?

しかし私も、ずいぶん都合がいいものだ。あるときなんかは、生物学者が「人間の血も細胞も、数年で入れ替わる。つまり生物学的には、数年たてばもう、過去の自分などどこにもいないんです。」と言ったのに心救われた。

「カコの部屋」と「数年おきのブランニュー」。両方に期待する、矛盾のわたし。

はたまたもうひとり、楽観主義のわたしが言う。
「いいじゃない。物理学だって生物学だって。いいとこだけいっぱいとって、楽に生きていこうよ。」


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