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「なんでも話せる友達」がいない奴

(追記)
想像以上に身内から反響があったので一言。
病んでないです。全然元気です。心配しないでください。相談が必要なときはめっちゃ話しかけます。そういうことじゃないです。

ふと気づいてしまった。

俺は「なんでも話せる友達」に今まで出会ったことがない。

仲いい友達もいる。「いろいろ」話せる友達もいる。
でも、「なんでも」話せる友達がいない。

人に相談するときは、「この相談ならこいつにすればある程度聞いてくれそうだな」とか、「こいつにすれば共感してくれそう」などのある程度の話の成り行きをあらかじめ想像する。
そしておおむね想像通りの会話が展開される。それはそれでいいんだけど。

人に話題を振るときは、「この辺の悩みならこいつ考えてそう」「この辺の話題好きそう」などのセンサーをあらかじめ働かせる。そして大体当たる。
性格面ならこいつが一番合う、地元の話ならこいつ、サブカルな話ならこいつ、居心地の良さならこいつ、自分が話したいときはこいつ、全部分けている。
その全部が自分なんだけど、それをすべて受け入れてくれる”誰か”が存在しない。

俺は変なやつだ。

というのも、その場所によって「古川って○○だよね」の○○の部分が違いすぎる。

優しい、まじめ、変人、面白い、つまんない、不器用、暗い、明るい、コミュ障、友達多そう、話しやすい、話しかけにくい、、
まるで違うのだ。

だから「この人にとって自分がどう見えるか」を考えるところから人間関係が始まる。
「こう見えてるならこうふるまうのがいいのか」と気づいてから自分なりに距離を近づける。俺以外のほとんどの人が必要としない作業が必要なのだ。

だから、結局「その場に応じたキャラクター」になる。それゆえか、人によって話している印象が変わってしまう。

自分が演じるのが先なのか、周りが俺を品定めするのが先なのか
それはよくわからないが、バラバラな古川という人間からキャラクターが相互的に(?)規定されていくイメージなのだ。

正直自分がどういう人間なのか。何がしたいのか。自分でもあまりよくわかっていない。
だからこそ、「全部をわかってくれる人間」が欲しい。

つらいことがあったとき、悩んでいることがあったとき、楽しいことがあったとき、なんでも報告できるような、そんな友達が欲しいななんて、

どっかでは思っているんだなぁ。。。


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