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震災から13年・移住11年突入

昨日はこの島に来ることになった、東日本大震災の日
心穏やかに1日を喪にふくしておりました。
震災で故郷宮城県石巻の実家が津波で流され、両親未だ行方不明のまま13年が経った。
また当時住んでいた福島市から、生まれたばかりの幼い娘の健康を考えて九州へ避難、そして1年半後に避難先からこの島に。
生涯忘れない日にしていこうと3月11日この島の生活が始まった。
何の縁もない、知り合いもいない場所で50歳でまた人生のやり直しは、経験があってもその経験を使える環境にしていく作業が大変だった。
それでも「これでよかったのか」と苛まれる日々が続いている。
後悔とは違う、人生の生き方が自分の軸をブレずに歩んでいるのかという事。

この13年で様々なことを学ぶ機会に恵まれ、常識を疑うことから始まった。原発事故の国や政治、電力会社の仕組みや、補助金助成金などお金にまつわる流れと歴史。
一体何を優先し世界は回るのか。
世の中は誰かに有利なシステムで動き、その歯車として国や国民が利用された社会が存在すること。

人間生きるだけなら農業で食事を確保できれば仕事などしなくていい。
国家も政治も宗教も必要がない、自然環境の豊かで綺麗な地球があれば生きていける。
しかし現代社会は物に溢れ、それを手に入れようとお金を中心とした資本主義や新自由主義というイデオロギーに心が毒され、生きる事が後回しになってしまった感がある。

だから地方の不便な島という環境を喜んで選択したのだ。
でもね都市生活が長いので保険として、定期船10分程度で都市部と往来が可能な場所、何の不便もない環境こそが都市生活から距離を置くことだった。

1日は穏やかに流れ、人工的な音なども少ない、人口も移住開始からみるみる減っていく限界集落、超高齢化、目立った産業もないに等しい三百人を切る島では観光をっていうが、大型店などない、素敵な施設もない、小さな自営の店数軒のこの島では経済も回らない。そのほとんどが税金で回っている島、島民の半数が年金生活者・・・必要以上にお金を使わない場所。

これから日本が進むべき未来を体現できる島であり、そこから多くを学ぶ事が可能だが、気がつかない人間は不平不満を語る。
様々な雑音の息苦しい都市生活で疲れた人間は一人になれるこの島を好きになる。

たった数十年で炭鉱だったこの島は急激に過疎化した。
この狭い小さな島に人口一万八千人を誇り、地域経済の土台を作った場所で、トーマスグラバーや三菱が関与した島。

時折Noteでお金や経済や政治など書くことがあるが、この島の歴史から考察すれば理解できることであり、現実を目の当たりにしているので嘘偽りはない。
人口が減ることで起こりうる全てのことは経験済みだから。
この場所を表面的な浅はかな知識で見る者は見下したような態度を取る、まるで都市生活者が勝ちなんだと言わんばかりに(苦笑)

今あなたがいる場所が人口30万人前後なら、その周辺の町村は限界集落ばかりになっているはず。大都市周辺では感じないかもしれないが、時間の問題で高齢化、人口減少でその場所は経済が回らず税金投入もこの不景気で限界が近づいている、近い将来専門家が言うように「地方消滅」が現実になる。あの観光立県の京都の財政や人口流失、寺ばかりで固定資産税が異常に少ない場所であり、ここも危険信号が点っている。

移民でカバーすればと国は動いているが、逆だ「移民で日本を埋め尽くしたい」からなんだ。

過去を見ずに今を見ていけ、もうこの社会システムが世界中でぶっ壊れてしまわない限り、世界はもう昔には戻れない。