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性同一性障害 それでも女子校に進学した理由

ども、Hikaruです。
GWを 皆さんは いかがお過ごしでしょうか。
私の方は この通りnoteを書いて、ややあって 大急ぎで 本を読んでいます。
出かけないのは、現在 手術無しで戸籍上の性別変更審判を受けていて 裁判所との問答等 遅滞した都合で、4月までにお金を使い過ぎたからです泣

最近まで 私は 実経験をベースにしたことを拠り所に、noteやX(@hikaru_acht)での投稿を行ってきましたが、知識が足りないことで 限界を感じました。
経験していることは十分な根拠になりますが、知識も併せて持たなければ 説明は拙くなり、理解は得られないように思います。

私のnoteを初めて読んだ方へ
私は女性で生まれて、しかし現在の生活実態は 男性であり、仕事では 男性営業マンをしている性同一性障害の当事者です。
現在(2024年5月1日時点)戸籍上の性別を男性へ変更しようと 裁判所へ申立しています。

現在の私のビジュアル

それでは本題です。

性同一性障害で 女→男 で生活していくのに女子校に進学したのは何故か という問い

質問箱に お寄せいただいた質問

私は 女子高校出身であることを公にしているのですが、上記のように「なぜ女子校に?」的な質問を何度も受けるもので、そろそろ説明するのも疲れてきました。

上記の質問では 学歴に 女子高校出身であることが記載されていると、戸籍上の性別を変更していても バレてしまうので、戸籍上の性別を変える意味が無いのではないか という問いも含まれますが、それでも 私が戸籍上の性別を変更する理由は社会生活上の不便•不都合にあります。
このことについては 過去にnoteを書きましたので、気になる方は 読んでみてください。

そもそも 明確な 性別違和の自覚は女子高校入学後

そもそも 私が 明確に性別違和を自覚したのは16歳のとき。
幼少期から 性別違和を 明確に 自覚していた場合に、それでも女子校に進学したかと問われると 当時の私がどのような選択をしたかは わかりません。
それでも後述の理由から進学したかもしれないですし、女子学生への配慮への気持ちが上回って 諦めたかもしれません。

16歳で 自覚するのは遅くない?という指摘も ありえると私は考えていまして、その経緯も説明したいのですが、主題と逸れて 話も長くなりますので、別の機会に 述べます。

私は性別のことより 進学やキャリアを優先した

埼玉県だけの話ではなく、地方では このような事情があると考えますが、私が出生した さいたま市では 当時も今も 男女別学の高校が多いです。

例として、私の偏差値は 当時 67程度でしたが、この時点で高校の選択肢は 偏差値65をの高校を下限とすると上位7%未満となり、何故か偏差値が高くなるほど 男女別学の高校の割合も増えるため、選択肢はいっそう狭まりました。

私の当時の考えとしては、どこに進学しても スカートを履くことは変わらず、女子学生であるという扱いは何も変わらないと思っていましたので、共学が良くて別学が嫌という好みはありませんでした。

私が高校に入学した2013年頃は、現在のように 学校側から配慮を受けて 自身が望む性別での学校生活を送るといった 事例が報道された 記憶がほとんどありませんでした。
そのような配慮を受けられるとか、受けたいとか そのような考えさえ 当時の私には ありませんでした。
もの申さず 校則に従うことは当たり前、という考えでした。

いじめを受けても、夢を諦めても、それでも必死で 自分なりに勉強したことを 無駄にしたくなかった

中学時代までは 明確な性別違和がなかったものの、既に服装は男装的であったし 感性も 変わっていたのか、変わり者として いじめを受けました。

私は一卵性双生児で生まれ そもそも多少目立つ存在でありました。

また 14歳の頃 いきなり母が再婚し 在学中に突如苗字が変わりました。当時はまだ 離婚することが一般的でなく、本当に私(と妹)だけ 苗字が変わった状況でしたので、腫れ物に触るような感じになり、これもまた目立ってしまいました。

そして 父方の、画家の祖母のもとで 画を習っており 当然のように画家になることを目指していてましたが、父母の離婚により 師を失うことになった私は 画家の夢も諦めることになりました。

画に ほとんどの時間を全振りしていた私は、中学2年生に上がる頃 偏差値も当時50程度しかなく、不登校になりかけていましたが、勉強に切り替えて 全てやり直しを行いました。
授業中に雑談している生徒を目視したくもなかったため、教卓の前に席を卒業まで固定してもらい、1年後 なんとか中学3年生に上がる頃には 偏差値65を超えました。

どれだけ いじめられても 違和があっても、苦しかったからこそ、自分がやったことを無駄にすることだけは 絶対にしたくありませんでした。

性別ことは一生ついて回るため、自分にとって良い将来とは何かを考えた

現在(2024年5月1日時点)は 戸籍上の性別変更にあたって 女→男 に変更する場合においては 生殖腺を切除する等の手術を要さずに 行えるようになりつつあります。しかしそれは つい最近の話です。

当時は 結局、性別違和を 明確に 自覚しないまま 女子高校に進学してしまったし、当時は 戸籍上の性別変更にあたって 手術が必須であったため、手術つもりがない私は 当然 戸籍上「女」のまま 就労する覚悟をすることになりました。
今更 隠しようがありません。

となれば もはや 女子校出身等は どうでもいいことなので、あとは この身体のまま どれだけより良い人生を歩むかにだけに、私はフォーカスしました。

私は17歳のときに 夢を描いて、取り急ぎ「営業マンになりたい!」と思い、それだけに注力しました。
何をしたかは 改めてnoteに書こうと思います。

性同一性障害なら という思い込み

この質問者は 性同一性障害の当事者の可能性が高いです

冒頭の質問に いったん戻りますが
カミングアウトすることは 性同一性障害の当事者にとって 極めて心的ストレスが高いことです。

現在のところ いかにしてカミングアウトせず、身体的性別を明かさずに生きるか ということを 、何よりも差し置いて 生きる当事者の方が多くいらっしゃいます。

実際に 身体的性別が明かされることで、性同一性障害の当事者が受ける社会的不利益は 大きいです。

私の場合、戸籍上の性別が「女」でありながら風貌が男性であるため、就職面接の担当者の中には 性同一性障害の他に 異性装を疑い

「あなたは性同一性障害ですか。「女」と書いてあるから 異性装と区別がつかないので、違いを説明してもらえますか」

と現在では 明らかに失礼でしかない 質問を 私は投げかけられました。
最初から戸籍上「男」であれば、異性装では?という質問は さすがに受けなかったことでしょう。

また 私は女子校出身でもあったため
「見た目は女性だと思わないけど、本当に性同一性障害ですか。性同一性障害なのに女子校に入りますか?」
と確かに質問を受けたことがあります。

性同一性障害のことばかり 訊かれて それでも面接時間は 他の方と一緒であるから、自己PR時間を失った私は この質問を受けた面接については落ちました。

でも、先述の経緯を読まれた皆さんは 女子校に進学して戸籍「女」のまま 生きてきた私が そこまでおかしい人だと思いましたか。
私も1人の人間であるし、できるかぎり性同一性障害を理由に 人生選択を狭めずに 生きていきたい、これが 素直な気持ちです。

面接で落ちるなら、進学のことを考えても 意味がないから、手術をして 戸籍上の性別を変えた方が良かったのではないか という意見もあります。

また改めてnoteで述べたいと考えますが、手術しても 戸籍上の性別を変更しても、実際は カミングアウトしなければいけない場合が殆どであり、意地でも隠そうとすれば 多くのことを諦める選択をすることになりますから、その選択が必ず良い結果になるとは言えません。

何より私は、戸籍上の性別変更のためだけに 納得しないまま、数百万払って身を切り刻まれることに耐えられませんでした。

男女別学出身 の当事者

私より 上の世代では、もはや男女別学しかほとんど無い世代があり、必然的に 男女別学出身者の性同一性障害の方は 存在しているのですが、マイノリティであるためか あまり知られていません。

はるな愛さん
タレント
椿姫 彩菜さん
モデル、プロ雀士
杉山 文野さん
元オリンピック代表 フェンシング選手

性別を気にせず就職面接に臨んだ結果

思いがけない結果

上記は当時の 私の話ですが、履歴書に「女」と書いていても 気づかれないような状況でした。
学歴も高校については女子校を記載しましたが、上記の通り 調べないようで これも気づかれず。。

気づかれないまま選考が進むのもマズいと思い、最終面接になって 申し出ると、それが原因かわかりませんが 最終面接で打ち明けた企業は全て落ちました。

反対に、一次面接で気づいた3社の企業については 内定をいただけました。
ちゃんと見てくれた企業から内定が得られたなら、もうそれで十分だと私は思いました。

性同一性障害当事者が それぞれ1人の人間であり、人生選択があります。

性同一性障害の方が必ずしも 皆 共学出身者であったり、手術を受けたり、身体的性別を知られるのを恐れる訳ではありません。

私にとって性別違和は手術を要すほどのものでなくて、後遺症等のことを考えると できる限り、受け入れて生きたかったために 現在があります。

「どうして手術を受けないの?」「女は男になれない」と言うのは簡単ですが 言われた当事者がどう思うか、相手も人間であると思って考えてみてください。

様々な生き方が尊重されることを願っています。

追記①
高校進学後、明確に 性別違和を 自覚した私は 誰にも告げずに ひっそりジェンダークリニックに通い性同一性障害の診断書を取得します。そして 図らずも周囲の助けがあって、女子高在学中に ホルモン治療を認められることになります。
女子高 在学中にどのような配慮を受けたか気になる方は下記をお読みください。

追記②
私は 今まで手術を受けずに 男性として生活してきました。なぜ手術を選択しなかったか 気になる方は 下記を お読みください。


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