【書けること・書けないこと】1/10:《狂気》について


いくつかの重要な認識が溜まってきたので、整理して行こうと思う。

「書けないこと」というのは、一つにはFacebookの当局にひっかかることは、書けない。すでに2度警告を受けていて、3度目はFacebookの使用禁止になるからです。大した事を書いてきたのでは無いですが、書いてはマズイということがあるのです。

もう一つマズイのは、このFacebookの人間関係で、不快に思われることは、書けない。他人を不快にはできないということが、今日では重要であって、つまり事実を書くこととか、真実を書くことは重要では無くて、嘘を書いても良いのであって、マズイのは不快な事を書いてはいけないという、そういう、ルールが強くあります。

さて、そう言う中で、メディアの使い方としては、FacebookとTwitterでは違うし、もう一つ有料(200円)のnoteでは、違うのです。つまり不快として許される範囲が、この3つのメディアでは違うのです。と言うわけで、この使い分けをしていきます。(note:
《無-文明》の批評)

私のテーマとしては、①《狂気》について、②《芸術》について です。
さて、《狂気》について、この先は、noteで書きます。

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  日本国家が「あなたは、気が狂っています」というライセンスを出しているのですが、それが『精神障害者手帖』です。これを交付されている人が、私の周りに何人もいて、集まってくるのですね。同時に、時間が経つと、去ってい来ます。どうも《違う》と思うらしいのです。私は、この『精神障害者手帖』を持っていないと言うことが、一番大きな差であります。

 『精神障害者手帖』を持っている代表が、「廃いゆー子」さんでした。一度、友人からドラム・セットを借りて、私が叩いたのと、彼にも叩いてもらいました。私は、長時間叩き続けることができるのですが、廃いゆー子さんは、短時間で、途切れて、途切れ途切れにしか、叩けないのです。この演奏の録音をCDに焼こうとしたのですが、その音を、聞き手の許す範囲に落とそうとしたのですが、廃いさんは、それを許さないで、めいっぱいの音で収録することにこだわったのです。ギンギンの音にこだわるというのが、《狂気》の人の特徴です。CDで、めいっぱいのままに録音した音楽は、普通の人には聞けません。

さて、一般論ですが、辛いカレーを、インド人のやっているカレー屋さんにたのむと、私が日本人だから、日本人とみると抑制して、辛いカレーを作ってくれません。何回か通っていると、ようやく、少し辛いカレーを出してくれるようになります。つまり音楽と同じで、辛いカレーも、普通の日本人には、食べられない辛さというものがあって、それを知っているから、プロのインドカレー屋さんは、本気で辛くはしてくれないのです。

同じ問題が《芸術》にも言えて、普通の日本人を相手に美術作品を作る場合に、ギンギンに《芸術》である作品は、嫌われるので、制作しては駄目なのです。これは日本人に限っているのではなくて、フランス人も、《真性の芸術》は、受け付けられないのです。この事を明らかにしているのは、シンディ・シャーマンのコレクションをパリのルイヴィトン財団が、ネット上で解放しているのですが、いつまで見られるか分からないのですが、ここにURLを収録しておきます。

最初の方に、アップで出て来る作品が、下記のものです。

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2. すみません、最初の記事ですが、アップしてから、マガジンの設定でトラブって、記事を消してしまいました。そこで再度書いたのですが、内容が加筆されて膨らみました。ですので、買ってくださった、狩野さん、記事を再度読んでくださるようにお願いします。