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“出会い”と”選択”と「今」

「今」こうして綴り始めながらにも、ふと思う
振り向いたその先には、いったいどんな光景が
どんなふうに見えるのだろう

こんな疑問はこれまで定期的に自分の中で湧いてきた
湧いては後ろを振り返り
あぁだこうだと考え
落ち込んだり、悲しんだり、迷ったり

それはきっと物心ついた頃から自然と繰り返すようになり
学生時代に入ってこの傾向は一層顕著になった

歩いてきた軌跡をなぜか確認したくなるというか
背中側が気になるのだ
今思えば、そうやって確認を入れなければ
そこから先へは進めなかったのかもしれない


そうした機会は無意識的で唐突に訪れるというよりも
むしろ必然的とでもいうか
大抵は行先に突然「障害物」みたいなものが現れた時に訪れる

『なんでこんな方にきてしまっただろう・・・』

そんな後悔めいた後ろ向きな念に苛まれるのが
20代までの自分にはいつもお決まりのパターンだったワケだが
この歳に近づくにつれ、さしてそうでもなくなってきたよな
と言っているかのような自分の足跡を眺めながら
「今」少しだけ笑えてきたりする

所謂、そうやって色々と成長してきたんだなってやつだ

そしてその時々では色々とあったにせよ
何だかんだ「出会い」と「選択」の末の足跡は
途切れることなく、ちゃんと一本の線となって
背中側から今この足元まで確かに続いているんだと

家庭、会社、自分の身近にいる人に伝えたい
『オレは、まだまだ生きたいよ。これからもよろしく』
って

特に、父として自分の子供たちには
何かしらのカタチでこの大切さに
先々ちゃんと気づいてくれることが
親として一番嬉しいなと
最近すごく強く思っている

そんなことを含め
多分このnoteには記録していく予定
他人様の何か役に立つであろうHow toみたいな有益なものを発信することはできないんでねw


次回は、
これまでも、これからもきっと必要だろうと思っている

「大切なモノ」と「大切なコト」

moto ege40にて

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