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改めて偏見について考える

こんにちは。
社会福祉士、精神保健福祉士のぽこです。


◇改めて「偏見」について考える

皆さんの職場には、いわゆる”困った人”はいませんか?
頑固で有名な人・・・
気難しいあの人・・・
締切を守らない人・・・
「あの人に仕事を頼むといつも○○なんだよね」
そんなふうに、凝り固まったイメージを持たれてしまっている人がいるのではないでしょうか。
今日は、私の職場であった出来事から、改めて偏見について考えていきたいと思います。

・イメージを持つということ

私の施設には、独特な風習があります。
利用者が施設を利用する際、特別な様式の書類(診断書の一種)を用意する必要があるのです。
その書類を作成するのには費用も時間もかかります。
そのため、私たち相談員が新規利用の相談を受けても、「そんなにお金も時間もかかる書類が必要なら、他を当たります」と断られてしまうこともあります。
その書類を求めているのは、長く働いているAさんという職員。
私たちの職場では、Aさんがいる限りその書類が必要になってくる=Aさんのせいでこの書類が必要なんだ、という考えになってしまっています。
そのイメージがあることで、私たちの頭の中にはこんな概念が凝り固まっています。
「本当は不要な書類なのに、Aさんが頑固だから無くならない」
しかし私は、実はほとんどの人が”その書類の必要性”を吟味していないと思うのです。

・本質を見ようとしなくなる

凝り固まったイメージを強く持っていると、それ以外の情報を受け付けなくなってしまいがちです。
”Aさんが頑固だから”というイメージが先に強く出てしまっているせいで
「本当はこの書類、必要なんじゃないか?」
という視点を持てなくなっています。
また、その視点さえあれば、Aさんがその書類を通して解消しようとしている不安に対する、別の方法を考えることができるかもしれません。

・「Aさんだから」

以前上司に、このAさんと書類のことで相談を持ちかけました。
すると上司の答えは
「『Aさんがこの書類にこだわっているせいだ』という考えに拘らず、それを通して何を守りたいのか考えて欲しい。でないと、Aさんが異動してその書類が無くなった時、施設として何かを失うことになるかもしれない」
と言ったものでした。
つまり、問題の鍵はAさんの頑固さではなく、施設の特性上抱える衛生上の不安の方だったのです。
問題の主軸をAさんにピン留めすることで、その本質が見えなくなっていた。
偏見のせいで、本質を見失ってしまう。
そんなことに気がつきました。

連休明け、自分の生活ペースを取り戻すのに少し時間がかかってしまいました。
朝思うように時間が取れなかったり、夜は夜でバタバタしたり。
そんな中でも、執筆を続けられるのは読んでくださる方々のおかげです。
ありがとうございます💐

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