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どうでもいい日記「無料記事」

久しぶりに2000文字超えの記事を無料にして投稿してみたら、スキが200以上も付きました。

たまたま無料にした記事が良かったのか、有料マガジンにしている記事でもそれぐらいのポテンシャルがあるのか、戸惑いはありますが、久しぶりに社会と握手できた感じがあります。

早々にして野球で例えちゃいますけど、私は割とボールを投げてる方なんですが、バッターボックスの辺りは暗くなっていて、バッターが立ってるのかどうか分からない状態で投げてるんです。極端に言えば、バッターがいてもいなくてもどっちでもいいんです。私はムズムズする肩を落ち着かせるために投げているだけなので。

今回、そこにバッターが立っていました。「いたんだ!」という驚きもありました。書き殴り系の投稿で、推敲もせずに投げ捨てた感がありましたので。でも、推敲もせずに投げ捨てられる時って、書いてる時からグルーヴ感があるんですよね。最後までずっと青信号だったみたいな。

今回の記事はnoteさんとコラボしたステマではありませんw。本心から、みんなnoteを書けばいいのにと思ってますから。何なら、私がnoteを書いて欲しい人を実名でリストにして発表したいぐらいです。

いろいろな人の文章を読んでいると、「なるほど!そうした方がいいんだ!」という文章と、「なるほど!それでもいいんだ!」という文章があります。私はどちらかというと自虐をベースに、後者の方の文章を書いている気がします。

そしてそれは、迷える子羊たちを導いているのではなく、迷える子羊である自分に保険をかけているだけなんです。

自分の弱点を正当化してから、自分の弱点をさらけ出す作戦ですね。例えば、「だらしなさ」を理路整然と正当化してから、「そんな私はこんなにだらしないんですよ。凄くないですか?」という論法です。セコいですね。

私の文章に関しての弱点は何かというと、私は野良の文章を書いている自覚があるところです。「そういう文章が良い」とされている文章があるのは分かりますが、私はアウトプットしてストレス解消にしてるだけなので、文章の筋トレに取り組めないんです。トレーナーに習うのが嫌なんです。「そうじゃない」って言われたくないんでしょうね。

世の中に素直な人は1%ぐらいしかいませんけど、素直な人は成功しますね。人類の叡智をどんどん吸収していきますから。

おじさんは自我が無いとその場に立っていられませんが、自我があることで素直になれないんですよね。おじさんの悲哀。

そして、おじさんの悲哀で締めると、締めた感じになるんです。「自戒を込めて」と同じ効能があると言いますか。

何の話してましたっけ?

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